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第50話 行き違う思い
「それでは、美鳥君の大会の成功と、色の初めてのオーケストラのお仕事の成功を願いまして〜、」
『かんぱーい!』
数学準備室に響く晃 の声に合わせて、テンションの違いはあれど俺達は手にした紙コップをこつりと合わせた。
壁はど定番の折り紙の輪っかと手書きの「激励会!がんばれ!」の文字が書かれたボードで飾り付けられ、デスクの上にはデリバリーのピザにチキンに駄菓子の数々。
終業式で生徒会長としてスピーチもあったというのに、いつの間にこれだけの準備を整えていたのか。
改めて室内を見回して、俺は感嘆のため息を吐いた。
そもそも、書類と参考書とゴミで埋め尽くされていたこの部屋をよくこれだけ片付けたもんだ。
チラリと向かいに座る木崎 に目をやれば、その目はいつも以上に生気がなかった。何か言いたげに晃に視線を送っているところを見ると……今回は何をネタに脅されているのやら。
掃除も装飾もこき使われたんだろう。ご愁傷さま。
「あのなぁ、今日終業式だったろ?もう夏休みなんだから、こういうのは外でやれよ。」
「えー、ほら、これも部活の一環だし。ね?」
「……じゃあ、あとでピザ代領収書渡すからな。」
木崎の恨めしそうな視線にも、晃は全く動じない。
まぁ、見慣れた光景すぎて美鳥 ですらニコニコしながらやり取りを眺めていた。
「さ、今日は我らが顧問の奢りだぞー!」
『ごちそうさまでーす。』
俺たち三人は声を揃えて、木崎に向け紙コップを軽く掲げた。
がっくりと肩を落とした哀愁漂う姿に笑いを漏らしつつ、手にしていたコーラを一気に飲み干す。
ちなみに、毎日徹底したカロリー計算と栄養管理を行っている美鳥には、烏龍茶とサラダが追加で用意されている。
食べすぎても足りなくても駄目。毎日食事のたびに計算アプリを開いては数値を確認する姿はもはや日常の光景だ。
こういう所はアスリートなんだよなと変なところで感心してしまう。
「自由に飲み食いできないのも大変だよな。」
「え、そ、そう、かな。もう慣れちゃったから。」
ん?…………なんだ?
平気だよと笑うその顔がどこかぎこちない。いや、ぎこちないどころか思いっきり固い。
「ほ、ほら、櫻井君だってその、お仕事前に大事をとって体育の授業見学したりとか、えっと、大変そうだし。」
「あー、そうだな。」
じーっと視線を送ればその目は不自然にそらされ、右へ左へと泳ぎ始める。
「……美鳥。」
「え、えっと、」
遂には全く俺の方を見ようとしなくなった美鳥はひとまず置いておいて、懐疑的な視線を晃へと移してみれば、俺たちのやり取りを眺めていた晃は思いっきり噴き出した。
「ふはっ、美鳥君わかりやすすぎ。」
「……二人して何隠してんだ?」
ため息混じりに改めて美鳥を問いただせば、その肩がビクリと震える。
「えっと、その……」
眉根を寄せておずおずと俺に向けられた視線は、そのまま縋るように晃へと流れていく。
「最後の予定だったけど、まっいいんじゃない?」
よくはわからないがお許しをもらって、美鳥はほっと胸を撫で下ろした。
俺の頭には疑問符が浮かぶばかりだ。
何が始まるのかと木崎に視線で聞いてみても、さあ?と肩をすくめられるだけで、答えは返ってこない。
二人は何やら身を寄せあってヒソヒソと話をしてから座席の脇に置いていた晃の鞄をごそごそと漁り始めた。
「そんじゃ、ちょっと早いけど。色 !」
「な、なんだよ。」
ニコニコと笑顔を張りつけた晃と美鳥に詰め寄られ、俺は思わず席を立ち後ろへ後ずさる。
笑顔が逆に怖い。何があるのかと思わず身構えたのだが、二人は顔を見合せ、せーのの合図で後ろ手にしていた物を差し出してきた。
『ハッピーバースデー!』
「…………は?」
一瞬耳に飛び込んできた単語の意味がわからず固まってしまった。
「え、誕生日……?」
「そ。だって色は明日から実家帰っちゃうでしょ?だから早いけど今日渡しちゃおって前々から美鳥君と相談しててさ。」
そういえば数日後、八月は誕生日だったなと俺はようやく思い至った。
晃の誕生日が四月の春休み中。俺の誕生日が夏休み中という事で、毎年学校で誰にも祝ってもらえないから二人で寂しくプレゼントでも交換しようよと持ちかけられたイベントはこれで何回目になるだろう。
春には晃にプレゼントを渡してはいたのだが、まさかこのタイミングで、しかも美鳥も一緒になってサプライズを仕掛けてくるとは。
予想外の展開に面食らったが、晃が絡んでいるにしては珍しくまともなサプライズに、俺は気づかれないようほっと胸をなで下ろし、ありがとうと差し出されたプレゼントを受け取った。
俺の両手に収まる長方形の小さな黒い箱には、赤いリボンがかけられている。
「ほら、早く開けてみてよ。」
中身を知っているはずの二人にワクワクしながら急かされて、俺は座席に座り、巻かれていたリボンを解いた。
入っていたのは洗練されたデザインのボールペンだった。ブランド品であろうその側面にはローマ字で俺の名前が刻まれている。
青みがかった深い『みどり』色なのはおそらく晃のチョイスだろう。
「へぇ。いいもん貰ってんじゃねぇか。」
いつの間にやらこちらを覗き込んでいた木崎に、やらねぇぞとひと睨みしてから、俺は箱からペンを取り出す。
握り心地も適度な重みも、木崎の言う通り確かにいい物なんだろう。思わず感嘆の声を漏らせば、目の前の二人は嬉しそうに目を細めた。
「美鳥君がさ、身につけてもらえるものがいいって。で、考えたらいつもペンとメモ帳持ち歩いてるよなって思ってさ。」
晃の言葉に美鳥はこくこくと頷く。
「その、お仕事大変そうだけど、僕みたいに近くで応援できるものじゃないから。だから、その……気持ちだけでも、その、近くにあったらなって。」
なるほど。基本的にアクセサリー類は演奏の邪魔になるだけなのでほとんど身につけたりしないが、確かにこいつなら必然的に普段から持ち歩く事になるだろう。
ニコニコと注がれる視線に気恥しさを感じながら、俺は手にしたペンを胸ポケットへ挿した。
「サンキュ。……大事に使わせてもらう。」
照れ隠しに微妙に視線をそらせながら礼を言えば、二人は顔を見合せ嬉しそうに互いの両手をパチンと合わせた。
「よしよし、じゃあ試し書きにサインでも、」
「んなもんねぇよ。だいたい、そんな恥ずかしいこと出来るか。」
笑いながら箸袋を渡してきた晃の額をふざけんなと指で弾いてやれば、俺の隣で美鳥がピシャリと固まった。よく見れば、その手に握られているのは生徒手帳。
「……美鳥。」
「あ。……です、よね。」
白紙のページを開いたその両手がゆっくりと下げられ、手帳はそっと胸ポケットに戻される。
いつもは姿勢正しくピンと伸びている背筋がしゅんと丸められ、わかりやすく落胆した美鳥に思わずぷっ、と噴き出したのは誰だっただろう。
何かを言いたげにじ、と俺に視線を送るその姿に、俺も晃も木崎ですらも声を上げて笑った。
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