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第61話
「色さん!」
突然息を切らせながらステージに駆け込んできた彗 さんに、俺と海音 さんは何事かと顔を見合せた。全力で走ってきたんだろう。彗さんは俺達の目の前で荒い息を繰り返す。
「す、彗さん?どうした?」
「っ、わかりません、でも、っ、」
言葉にならない乱れた呼吸の代わりに、彗さんは手にしていたものを俺の前に差し出してきた。
録音が始まる前に彗さんに預けていた俺のスマートフォンだ。
俺はそれを受け取り画面を開いてみる。背後から海音さんも何事かと首を傾げつつ遠巻きに様子を伺っていた。
「っ、先程から、ずっと、鳴り止まないんです。きっと、何か……」
そこに表示されていたのは何十件にものぼる不在着信だった。
相手は全て同じ。
「晃 ……」
あいつは今日俺が何をしているのか 知っているはずだ。にも関わらずこれだけの着信があるなんて。
理由を考えるより先に、俺の手の中でスマホが再び振動して着信を知らせる。俺は迷わず通話ボタンをタップした。
「もしもし、」
『っ、出た!色!』
電話の向こうであの晃が動揺しているのがわかる。一瞬にして身体に緊張が走った。
「一体何があった。」
『ねぇ!美鳥君、そっちに行ったりしてないよね!?』
状況説明にはその一言で十分だった。
「っ、いないのか。」
俺の言葉に彗さんも状況を理解したのだろう。目の前の瞳が見開かれ、不安げに俺を見つめる。
『やっぱりそっちじゃないんだね?今日は取材入ってなかったし、互いに別行動してたんだけど、さっき畔倉 アイスアリーナに様子見に行ったら朝から来てないって源 さんが!』
つまり今朝から、いや、昨日の夜中から美鳥の姿を見た人間がいないってことか。
俺は念の為スマホでメールと通話の履歴を確認してみたが、晃以外の着信は一切ない。
嫌な予感しかしない。ざわりと背筋が粟立った。
「実家に帰ったとか、別のところでトレーニングしてるとかそういうんじゃないんだな?」
『そう思って学習棟の美鳥君のロッカーを確認してみたんだ、そしたら……制服がなくなってたんだよ。』
「制服?」
美鳥は毎朝トレーニングを終えてすぐ登校するため、制服は校内にある個人ロッカーに置いていた。
ジャージではなく制服がなくなっている。しかも、あいつが誰にも行き先を告げずに姿を消すなんて、絶対にいい話じゃない。自分一人で何か背負い込もうとしているに違いないんだ。
晃もそれをわかっているからこそ珍しく取り乱しているんだろう。
「くそっ」
答えが見えずに自らの髪をかき乱す。
考えろ、考えるんだ。
大会を来週に控えたこの時期に、あいつが誰にも行き先を告げず、制服なんてあらたまった格好で出かけなければならない場所。
「…………なぁ、スケート連盟の本部ってどこにある?」
自らが発した言葉に、内蔵が凍りついていくのを感じた。
電話の向こうで、晃が息を詰めたのがわかる。
『まさか。……呼び出されたって事?』
「もしくは、この先迷惑かけるからって自ら行ったか。どっちにしろありえない話じゃないだろ。」
違うかもしれない。でも、もしそうだとするならあいつは今頃……
「本部、近いですよ。」
声は、俺のすぐ目の前から聞こえた。
今までの会話で状況を察してくれたのだろう。彗さんが差し出してきたスマホの画面には、スケート連盟の地図が表示されていた。
「休憩時間中に行けない距離じゃないです。」
迷ってる時間はない。
「彗さん!」
「表に車まわします!」
俺の言葉を聞くより早く、彗さんは走り出していた。
「晃!今から本部に行ってみる!お前は立華に連絡取れるか?」
『そうか!電話してみる!』
「そのあとはひたすら美鳥に連絡とり続けろ!」
『わかった!』
俺は通話を切りズボンのポケットにスマホをねじ込む。
背後を振り返れば、状況がわからず海音さんが一人ぽかんと取り残されていた。
「海音さん、ちょっと外に出てきます!」
「えっ、あ、はい。……えっと、何しに?」
状況を説明している時間はない。そもそも複雑すぎて何から話せばいいのか。
「えっと、だから……振られに!」
「へ?……えっと、が、頑張ってくださ…い?」
結果俺は意味不明な叫びをホールに響かせ、困惑する海音さんを背に走り出していた。
俺が行ってもなんの意味もないかもしれない。そもそも拒絶されるかもしれない。
でも、それでも。あいつが今傷ついているのだとしたら。もしも許されるなら。……そばにいてやりたい。
俺は俺の予想が外れることを祈りながら、ポケットに挿していた深緑のペンごとぎゅっと胸を握りしめた。
「本当に連盟本部にいらしているなら、恐らくはこのルートで駅まで向かわれるはずです。」
いつもの彗さんの運転よりも早い速度で流れていく景色に俺は目を凝らした。
全くの見当違いかもしれない。ここにいる可能性は限りなくゼロに近いかもしれないと思うのに、嫌な予感に胸がざわつく。
どうしても、脳裏をよぎってしまった最悪な考えが頭から離れない。
「とりあえずスケート連盟本部まで行って、時間ギリギリまで前で待ってみましょう。」
「ああ。たの…」
彗さんの言葉に答えるより早く、ズボンのポケットに入れていたスマホが振動し、俺は窓の外に目を向けたまま視界の隅で通話ボタンをタップし急いで耳元にあてた。
「晃!」
『色、ビンゴだよ。立華さんに確認してもらった。美鳥君はそっちにいる!』
「くそっ、」
最悪だ。どんな話をしているかなんて想像がつく。あいつがそれをどんな思いで聞いているかなんて、それこそわかりきってる。
なんでだ。なんであいつはいつも一人で抱えて傷つこうとする。
『僕達も今そっちに向かってる。でも二時間はかかるから…』
「わかってる。その前に絶対探し出す。」
たとえあいつがそのつもりでも、これ以上一人になんて絶対させない。
約束したんだ。そばにいるって、最後まで味方でいるって。
もう、あいつに辛い思いはさせたくないんだ。
「美鳥さん、やはりこちらにいるんですね?」
「ああ。」
彗さんの問いに端的に答えながらも俺は窓の外を凝視し、亜麻色を探していた。
いるはずだ。いてくれ。
拳を握りしめ、祈るように外に向けていた視線の先を見知った色が通り過ぎた気がした。
「とめて!」
俺の声に彗さんが素早く反応し、速度を落としてウインカーを上げた時には、俺はもうスマホを座席に投げ出し車から飛び出していた。
走れ。とにかく走れ。
全力で亜麻色を追いかける。人混みをかき分けながら、ひたすらに走った。
バクバクとありえない速度で脈打つ心臓なんて無視をして、ただ夢中で追いかけて、
見つけた。
茶色のブレザーに、揺れる亜麻色。普段はしゃんと伸びている背筋が、肩を落として項垂れている。
間違いない。間違いない。
「美鳥!」
必死に腕を伸ばし、その手を掴む。
びくりと身体を弾ませ、項垂れていたその顔が俺を振り返った。
「櫻井君!?え、どう、して…」
驚きに見開かれた亜麻色の瞳には思った通り涙が浮かんでいて。
俺は絶対に離すまいと手首を掴むその手を強く握りしめた。
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