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第62話
会えたら言わなきゃいけない事。話したい事。沢山あったはずなんだ。
だけど、涙をうかべるその亜麻色を前に俺はかける言葉を失った。
今やらなきゃいけないのは、きっと言い訳でも謝罪でもない。
俺は掴んだままの手を引いて、歩き出していた。
落ち着ける場所で、こいつの言葉にゆっくり耳を傾けるために。
「……隣、座ってもいいか?」
真夏の炎天下。直射日光を避けるために近くにあった公園のベンチに美鳥を座らせてから、俺はそう確認をとった。
今の俺は、それすら許されないかもしれなかったから。
ほんの一瞬、亜麻色の瞳が俺を見上げまた伏せられる。けれど、しっかり頷いてくれたので俺は美鳥の隣に腰を下ろした。
そこかしこで聞こえる蝉の声が耳につく。
少し離れた場所で彗 さんが俺の代わりに晃に連絡をとっているのを眺めながら、俺はただじっと美鳥の言葉を待つ。
「……ごめん、なさい。」
かろうじて聞こえた声は震えていた。
「それは、晃 達に言ってやれ。」
「うん。でも……」
力なく顔が上げられ、亜麻色が俺を映す。眉根を寄せ、苦しそうに俺に向けられた視線は、そのまま彗さんへと移された。
通話を終えたのであろう彗さんが、俺たちの元へ駆け寄ってくる。
「木崎 先生と藍原 さんがこちらに向かっているそうです。駅で待っていて欲しいと。」
美鳥は無言で頷いた。
「……みんなに、迷惑かけちゃった。二人もお仕事中だったのに……ごめんなさい。」
今にも消えてしまいそうな、小さな小さな声だった。
ここで何故一人で行動したのかと責めることは簡単だ。でも、それじゃあ何の解決にもならない。
今大切なのは、美鳥一人に全てを抱え込ませない事だと思った。
「何があったか、聞いてもいいか?」
しばらくの無言の後、美鳥は小さく頷く。
「昨日、大会の組織委員会から電話があったんだ。演技の構成予定表を見たって。どういう事なんだって。」
次の大会、どれだけ完璧にこなそうとも予選落ちする構成だと、美鳥は以前立華 に言っていた。
そんな演技構成が上の人間に知られれば、当然向こうとしては見逃せるものじゃなかっただろう。
「虚偽の申請をしてもよかったんだけど、どのみちスケート連盟を脱退することをいつかは伝えなきゃいけなかったから。」
つまりはこうなるとわかった上で美鳥は正しく申請したってことだ。構成予定表なんて話、俺もおそらく晃も知らなかった。気づけなかった。
美鳥は初めから自分一人で非難も批判も受けるつもりだったんだ。
「強化選手にも選んでもらって、お金と時間を沢山かけてもらった。それを今から返していかなきゃいけなかったんだ。だから、僕が責められるのは当然で、罰は僕一人が受けなくちゃいけないって、思ってたけど……」
美鳥の膝の上でぎゅっと握られた拳が震える。
「父さんと、大和 …弟がスケート連盟に所属しているのをわかってるかって。二人の立場が危うくなってもいいのかって。」
「な、」
「そんな!酷すぎます……」
完全なる脅しだ。自分一人で全てを背負うと覚悟を決めた美鳥に対して、それはあまりにも酷い仕打ちだ。
そして俺は唐突に理解した。美鳥が何故彩華 に転校してきたのか。何故、選手を引退するというのにこいつの家族が最後の大会に来るという話をきかなかったのか。
世話になっていたクラブチームも、コーチも……家族すらも、迷惑をかけまいと全て断ち切って、これは全て自分一人の意思なんだと周囲に示すため、誰一人として味方のいない遠くの地にやってきたんだ。
もしかすると、次の大会が最後だと家族は知らされていないのかもしれない。美鳥は本当にたった一人で自分の意思を貫くために彩華に来たんだ。
……一人で背負おうとするはずだ。美鳥は俺が思っていたよりもずっと重く強固な覚悟を決めていたんだから。
だったら、俺も覚悟を決めるだけだ。
「……彗さん、」
「は、はい。」
俯く横顔を視界の隅に映しながら、俺は拳を握りしめた。
「sikiの名前でスケート連盟に抗議文を送ったとして、効果はあると思うか?」
俺の言葉に、二人の肩がは、っと揺れた。
「十分あると思います。……ですが、どうせやるなら徹底的にやりましょう。」
驚きに目を見開いて言葉を失った美鳥に対して、彗さんはにやりと口角を上げる。
「マスコミにバラすぞと脅しをかけた上で、うちの社長の名前も入れちゃいましょう。」
「いいな、それ。徹底的にやってやろう。」
「さ、櫻井君っ!」
俺達の言葉が冗談ではないとわかったんだろう。我に返った美鳥が思いっきり俺の腕を掴んできた。
「駄目だよ!そんな事したら、櫻井君の立場だって危うくなるかもしれない。」
嫌だ、駄目だと首を振られても、俺の決意は変わらない。
俺はその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「別にいい。お前が誰にも迷惑かけたくないと思うのは勝手だ。だから俺も好きにさせてもらう。」
美鳥はこの先もきっと誰一人として傷つけたくないと全てを一人で背負おうとする。それだけの覚悟を決めてここにいるし、それだけ周りを裏切った自分を許せないだろうから。
だから、俺達のサポートは受けても自ら俺達を頼ることは決してないんだろう。
でもそんな思い、俺には関係ない。
たとえ本人が望まなくとも、俺は俺に出来ることをする。一人になんて絶対にしてやるもんか。
「逃げてもいい、望まない演技をしたっていい。何があろうと俺は最後まで味方でいるって約束したんだよ。お前が俺達を信じて頼る気になるまで、俺はいつまでだって勝手にやらせてもらう。」
もう絶対選択を誤ったりしない。傷つくこいつを見て後悔するなんてごめんだ。
「……さくらい、くん、」
真っ直ぐ亜麻色を見つめれば、美鳥の細い指が俺のシャツの裾を掴んだ。
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