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第68話

ポケットに入れていたスマホが振動して、俺は咄嗟に通話ボタンをタップする。 『もしもし、(しき)!今どこ!もう一つ前の選手の演技始まっちゃうよ!』 こちらが応答する前にまくし立てられ、俺も負けじと叫び返した。 「もう見えてる!もうすぐだ!」 『入口で待ってるから急いで!』 わかってると叫びながら、通話を切りスマホをポケットへと戻す。 (すい)さんのおかげで奇跡的に予定よりも早い時間にここまで来れた。 焦る気持ちを、シートベルトを握りしめ必死に押さえ込む。 もうすぐ、もうすぐだ。絶対に間に合わせる。 「色さん、正面に車をつけます!そのまま直ぐ走って下さい!」 キィィッと音を立てて車が急停車したのと同時に、俺はドアを開け車を飛び出していた。ありがとうと彗さんに礼を叫びつつ、身体は前へ。 階段を二段飛ばしで駆け上がり、全力で走った。 「色っ!!」 アイスリンクの入口、(あきら)が俺の姿を見つけて駆け寄ってくる。ぶんぶんと振り回すその手に握られているのは紐付きのネームホルダー。 駆け寄る晃と一瞬視線を合わせ、バトンのように差し出されたそれを走りながら受け取った。 「それ首から下げて、真っ直ぐ突っ切れ!」 「サンキュ!」 悲鳴をあげる足をそれでも踏み出し晃の横を全力で走り抜ける。 自動ドアをくぐり、大会の為無人だった受付を通り過ぎ、突き当たった扉を思いっきり開いた。 「っ、美鳥!」 名前を呼ぶも乱れた呼吸ではしっかりと音にならなくて。 近くにいた数人の視線が俺に注がれるが、視線の先に捉えた亜麻色は、けれど寸での差で名前をアナウンスされ氷上へと滑り出してしまった。 せっかくたどり着いたのに。 目の前にいるのに。 フェンスに駆け寄り身を乗り出す。 「美鳥!」 叫んでも、俺の声は同じように声援を投げかける周りの人間に紛れてあいつに届かない。 二階の観客席からはひっきりなしに美鳥の名前が叫ばれ、本人はその声に答えることなく集中しようとリンクをゆっくりと滑っている。 届かない。 俺の声は、言葉は、どうしたら届く。 そばにいるって、どうしたら伝わる。 ぐっと、拳をにぎりしめる。 どうしたら、なんて。俺は答えを知っていたはずだ。 そうだよ、このままであいつに届くはずがない。 伝えなきゃ。 誰の代わりでもない、大勢の中の一人でもない。俺はあいつを、たった一人を特別に思っているんだって、伝えなきゃ。 もう、逃げない。 自分の気持ちから。逃げずにちゃんと言葉にするんだ。 「飛鳥ぁぁっ!!」 腹の底から叫ぶように名を呼べば、リンクを滑っていたその細い身体がピクリと肩を震わせこちらを振り返った。 視線がぶつかる。 亜麻色が、真っ直ぐに俺を見た。 驚きに瞳を見開き、その口元がわななく。肩を小さく震わせながら、泣きそうな顔で笑みをみせたその亜麻色に、俺は無言で頷いた。 大丈夫。そばにいる。胸を張れ。 無言の言葉に、氷上から小さく頷き返される。その身体はリンク中央でくるりと円を描きピタリと止まった。 俯き、小さく呼吸を整える。その顔がすっと上げられれば、会場から音が消えた。 誰もが息を飲み、ただ一点を見つめる。 氷上で一人、凛と立つ美鳥飛鳥を。 しん、と静まり返った会場にピアノの音が流れ始めた。

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