84 / 92

第71話

話がしたいと、望んでくれた。 拒絶しないでくれた。 今度こそ間違えない。ちゃんと、話がしたい。 伝えられなかった言葉を、全部、全部、伝えたい。 カードキーで部屋を開け、壁に付けられていたホルダーにそのままカードを差し込めば、室内にやわらかな明かりが灯る。 背後でゆっくりと扉が閉まる音を聞きながら、俺は先に室内に入った飛鳥に手を伸ばし、後ろからシャツの裾を引いた。 「飛鳥。」 「っ、」 前を向いたまま、その身体が硬直する。立ち尽くすその肩からするりとスポーツバッグの肩紐が滑り落ち、とさりと落下した。 シャツを強く引けば、その背中がぴくりと震える。 「あ、あの、櫻井く…」 「ごめん。」 裾を掴んだまま、その背中に頭を下げる。 反応を見るのが怖くて、顔をあげられなかった。 「最低な事をした。謝って許してもらえることじゃないのはわかってる。それでも、……」 許されないとしても謝りたいなんて、ただの自己満足かもしれない。 それでも、目を閉じればあの時の光景が浮かぶ。嫌だと、やめてと、声を枯らして泣き叫ぶ声が耳から離れない。 「ごめん。本当にごめん。」 許して欲しいわけじゃない。でも、謝らずにはいられない。 震える俺の手を、飛鳥の細い指がそっと掴んだ。片手をぎゅっと握られ思わず伏せていた顔を上げれば、そこには眉根を寄せ涙に滲む亜麻色があった。 「違うっ、悪いのは僕なんだ。」 ごめんなさい、と小さな声がする。 「たくさんっ、たくさん貰ってたのにっ。自分に自信が持てなくて、櫻井君の気持ちごと否定した、」 ごめんなさい、ごめんなさい。 あの時と同じように、何度も何度も繰り返す飛鳥に胸が軋む。 どうしたらいいんだろう。 どうしたらよかったんだろう。 俺達はどこから間違ってたんだろう。 「……なぁ、飛鳥。」 出来ることならもう一度。 俺は、ぎゅっと握りしめられていた飛鳥の手をゆっくりと解いて、白い頬を流れる涙を指で拭った。 「許してもらえるなら、やり直してもいいか?」 「……え?」 「ちゃんと伝えなきゃいけなかった言葉を、言ってもいいか?」 今更だ。 本当に今更だ。 だけど、たぶんきっとこの言葉が始まりで、原因で、答えなんだ。 驚きに見開かれた亜麻色から、否定の声はあがらなかった。 その瞳は真っ直ぐに俺を見つめる。 「……好きだ。」 じわりと滲んだ亜麻色から、涙が一粒こぼれ落ちた。 「飛鳥が好きだ。」 ようやく言葉にできた想いは、俺自身の心臓をじん、と震わせる。 とくとくと早足で刻まれる心音を聞きながら、俺はただ答えをじっと待った。 震える指が伸ばされて、俺のシャツの裾を掴む。 「……しき。色っ、」 鼓膜を震わせた小さな声に、呼吸が止まる。 息が、出来ない。 嗚咽混じりに呼ばれた名に、じわりと視界が滲む。 「僕も、色が好き。」 はらはらと涙をこぼしながら、それでもその口元に笑みが灯った瞬間、俺はシャツを掴んでいた手を強く引き、その身体を抱き寄せた。 とくとくと心音が聴こえる。熱が、伝わる。 「飛鳥っ、」 「色っ、しきっ、」 震える身体を互いに強く抱きしめて、耳元で互いの名を呼びあって。 涙でぐちゃぐちゃになった互いの顔にほんの少しだけ笑ってから、俺達は唇を重ねた。 唇から伝わる温もりが溶けて等しくなっていくのを感じながら、頬を伝うものが乾いて消えるまで、俺達は何度も唇を重ねては二文字の言葉を口にした。 もう二度と、間違えないように。 離れてしまわないように。

ともだちにシェアしよう!