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第74話 大団円
ふわふわと夢と現実が入り交じる意識の中で、控えめに身体が揺すられる。
起きて、と遠くで声が聞こえた気がした。
「…ん、…美鳥……?」
聴き慣れた、でも、最近ずっと聴けてなかった声。ゆらゆら揺すられる振動とその声が心地よくて、ほとんど無意識に目の前にあった温もりを抱き寄せた。
「あ、あの……」
抱きしめた温もりが腕の中で身じろぎする。
「起きて。本当に、そろそろ起きないと、」
出来るならずっとこうしていたいのに、焦り始め抵抗を強めてきた声に、俺の意識は意志とは関係なく段々と覚醒してくる。
ささやかな抵抗に温もりを強く抱き締めれば、ひ、と泣きそうな吐息が耳元で聴こえた。
「し、色っ、」
名を呼ばれ思わず閉じていた瞳をひらけば、そこには視界いっぱいに広がる亜麻色があって、
「なっ、」
布団を跳ね除け飛び起きれば、目の前に広がる光景に、俺の意識はようやく覚醒した。
一糸まとわぬ姿で俺の隣に横たわっていた飛鳥は、真っ赤に染まる顔を両手で覆い隠している。
「お、はよう、ございます……」
塞がれた両手の奥から掠れた声が聞こえてきて、俺はざっ、と自らの血の気が引いていく音を聞いた。
「おはよう……ございます。」
やらかした。完全にやらかした。
昨日の事が今更ながらに脳内にまざまざと思い出され、頭を抱える。
互いの意志は確認したし、同意の上で傷つけないように優しく……なんて意識を保っていられたのは最初だけだった。
いや、だって、あんな姿見せられて一度で満足しろって方が無理な話だ。
焦点の合わない蕩けた瞳で見つめられれば、まぁ、理性なんて呆気なくどこかへ飛んでいってしまったわけで。
晃から送り込まれた黒猫の衝撃的すぎる差し入れを全て使い果たし、それでも足りないと最後には…………泣かせた。思いっきり、色んな意味で泣かせた。
「あの、……身体、平気か?」
恐る恐るその顔を覗き込めば、顔を覆う指の隙間からちらりと亜麻色が覗く。
「その…………動け、なくて。」
「っ、」
掠れた声で遠慮がちに告げられた事実に、俺はその場に居住まいをただし、ベッドにめり込む勢いでシーツに頭を擦り付けひたすらに謝り倒すしかなかった。
「で、謝りすぎて別れ話だと勘違いした美鳥君をなだめすかしながら……泣き顔色っぽいよなーとか早朝からまた盛っちゃったわけだ。」
「そこまで言ってねぇだろ。……否定はしないけど。」
「お前らなぁ……」
俺と晃の話に、木崎はテーブルに肘をつき思いっきり頭を抱える。
ホテルのモーニング会場であるレストランで晃達と落ち合ったわけだが……まぁ、飛鳥がこの場にいない理由も、晃が指定してきた時間に俺が遅れた理由も明白なわけで。開き直って洗いざらい白状すれば、テーブル越しにそれ見た事かとニヤニヤとした含み笑いと、何してくれてんだという冷ややかな視線が俺に向けられた。
「プレゼント、具合良かったっしょ?メーカーと通販サイト教えとこうか?」
「あ、頼む。」
「貴様ら教師の前でんな話すんな!」
だんっ、とテーブルに拳を叩きつけ凄まれたところで今更だ。そもそも教師なんていう尊敬や信頼出来る大人な存在は、今俺の目の前にはいない。
「……一応部活動なんだからな?わかってんのかお前ら。」
頭を抱え嘆く木崎は俺も晃も綺麗に無視した。
「でも、ホント大丈夫なの?今日帰るんだよ?」
「もう少し休めば大丈夫とは言ってたけどな。あと、……今のうちに家族と話がしたいって言うから、部屋に残してきた。」
「あー、そっか。」
昨日はそれこそ色々とありすぎて飛鳥はスマホを見る余裕なんてなかったわけだが、今朝着信履歴を確認してみれば、家族を含めとんでもない数の着信があったようで、ベッドの上で困惑していた。
「積もる話もあるだろうしな。」
「なるほど。じゃあ、本人がいない今のうちに腹黒い話をしときますか。」
晃がわざとらしく咳払いすれば、隣で木崎が盛大にため息を吐いた。
「……学校には話通してる。視聴覚室好きに使え。」
「おっけ。」
話が見えずに首を傾げれば、晃は俺の前にスマホの画面を差し出してきた。
「順を追って説明しますとですね。今回の美鳥君の選手引退にあたって、一社だけ、雑誌社に取引もちかけたんだ。……というか、まぁ、美鳥君が口滑らせちゃったんだけどね。」
画面に表示されていたのは、電子版の月刊誌の記事だった。緊急増刊号と書かれたその雑誌は、俺もよく知っている。
月刊ピアニッシモ。取材を受ける前から時折読んではいた雑誌だが、緊急で発刊するなんて未だかつて無かったことなんじゃないだろうか。
「担当さん、話してみたらまぁ信用できそうな人だったからさ。美鳥君が今回で選手を引退するって予め伝えて、独占でインタビュー記事書いてもらったの。但し、発売時期は大会直後にするって条件付きで。」
晃の言う通り、電子版の配信日は昨日になっている。大会当日の発売にも関わらず、そこには飛鳥が何故点の取れない演技をしたのか、何故田舎の高校に転校して一人で練習を積んでいたのか。誇張や虚偽は一切なく、飛鳥の想いをしっかりとインタビューで引き出し、記されていた。
下手に週刊誌に書かれるよりいい記事だと思うが、何故一社だけに独占記事なんて。
疑問を声に出すより早く、晃の口元がニヤリと弧を描く。
「美鳥飛鳥がたかだか地区予選で敗退。しかも、どうやらわざと低い点数を出したらしい。そんなビッグニュースを取材しようにも本人はマスコミの手の届かないところにいる。そこに事細かに取材した記事が出たとなれば……他社は当然この雑誌をベースに記事を書くしかないよねぇ。」
「……一日猶予が欲しかったのは、その為か。」
美鳥がピアニッシモの取材を受けたのは確か一ヶ月前だったはず。
こいつ、その時には既にここまで計算してたってのか。
自分のスマホでニュース記事をいくつか確認してみたが、美鳥に関する記事は、確かにどれもピアニッシモの記事と同じように、フィギュアスケーターとして表現にこだわり、それ故に苦悩し、葛藤の末に自分を貫いた今回の演技にいたったのだと……どの記事もおよそ好意的に書かれていた。
応援していた人間に対する裏切りだとか、勝手な行動だとか、危惧していた反応は今のところ見当たらない。
「好意的な記事ばかりが出れば、当然世論もこちら側に傾く。恨みつらみを言いたいだろうスケート連盟は、某有名音楽家とうちの学校からの脅しに近い抗議文で下手な発言は出来ない状態だろうし……この状況で美鳥君の事を悪者にするのは難しいだろうねぇ。」
ニンマリと悪魔の笑みを浮かべる晃に、開いた口が塞がらない。
「あとは今日、学校で美鳥君に集まってるだろう記者さんたちを相手に雑誌の内容は全て真実ですって語ってくれれば完璧よ。……って、何、二人ともなんなのさ、その目は。」
不機嫌そうに口をへの字に曲げる晃に、俺と木崎はほとんど同時に深いため息をついた。
「……お前さ、政治家にでもなった方がいいんじゃねぇの?」
思わずそう口にすれば、晃の隣で木崎が盛大に頷く。
全て良い方に動いている。でもそれらは全てにおいて晃の手のひらで踊らされた結果だ。
学校どころかついにはマスコミすら手玉に取り始めた友人様の手腕は、どうしても、どうしても、手放しで喜べない。
なにせ、明日は我が身なんだから。
「僕が動くのは楽しそうな事か、友人の為だけだよ。……というわけで、」
ニヤリとその口元に再び悪魔の笑みが浮かぶ。
「今後の楽しい計画の話をしようか。」
まだ何かあるのか!?
俺と同じように目を見開いて動揺したところをみると、どうやら木崎もこの先の話は初耳らしい。
「な、聞いてないぞ。藍原、お前まだ何か企んでるのか!?」
胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄る木崎にも、晃は涼しい顔だ。
「企むなんて人聞き悪いなぁ。僕はただスケート部の部長として提案と話し合いがしたいだけだよ。……部員全員でね。」
突然晃の手がすっと真上に伸ばされ、ぶんぶんと大きく振られる。
何事かと振り返って視線の先を目で追えば、レストランの入口でこちらに向かって控えめに手を振り返す飛鳥の姿があった。
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