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第75話

俺達を見つけた飛鳥は、恥ずかしそうに視線をさまよわせながらこちらへとやってくる。その歩き方がぎごちないのは……まぁ、気のせいじゃないよな。 泣き腫らした瞳に、時折腰に手を当て眉を顰めるその表情。辛そうにしているのにそこには妙に艶があって、見てはいけないものを見ている気がしてならない。 あーあ、という晃の呆れの声と木崎の視線が俺に突き刺さるのを感じながら、俺は隣の席の椅子を引き飛鳥に座るよう促した。 「えっと、その……おはよう、ございます。」 昨夜何があったかなんて明白だ。羞恥に顔を真っ赤に染め、申し訳なさそうに頭を下げる飛鳥に木崎は深いため息と共に再度頭を抱える。 飛鳥の視線は俯いたまま、ちらりと晃に向けられた。身体を強ばらせ、おずおずとまるで許しを乞うようなその視線に、晃はふ、と口元に優しい笑みを浮かべる。 「おはよう、飛鳥。」 「ぁ、」 晃の口から初めて名前を呼ばれ、俯いていた顔が勢いよく上げられた。 「今まで誰かさんがずーーっと美鳥美鳥呼んでたから僕も遠慮して呼んでたけど、もうその必要もないみたいだし。ね?飛鳥。」 「晃君……」 声を震わせる飛鳥に、晃はむすっと口をへの字に曲げる。 「はい、やり直し。」 「え、えっと、あ、…あきら。」 うんうんと満足そうに頷く晃に、飛鳥の口元にも笑みが浮かぶ。 二人は顔を見合わせ、何やら視線で会話を交わし互いに小さく頷いた。それを横目に木崎もふ、と口元を綻ばせたところをみると、どうやら無言の会話の内容がわからなかったのは俺だけらしい。 詳しく聞こうにも、俺の言葉はパチンと両手を合わせた晃によって見事に遮られた。 「さて、それでは部員全員揃ったところで、今後のスケート部の活動について話し合おうじゃないですか。」 にこにこと楽しげに語る晃に、俺達三人は首を傾げる。 そもそもスケート部、晃曰く正式名称『スケートを滑る美鳥飛鳥を支える部』は飛鳥が大会に出場する環境を整える為に作った部であって、その目的は昨日で達成されたはずだ。 今更何をしようというのか。晃の言葉の真意がわからず眉をひそめれば、晃はふっふっふっと不敵な笑みを浮かべ、ドヤ顔で俺達三人を一瞥する。 「畔倉アイスアリーナに話をつけまして、活動の場を貰える事になりました。」 パチパチパチと拍手と共に言われても、いまいち話が見えてこない。 勿体ぶらずに要点を言えと木崎に促されれば、晃の大きな瞳が真っ直ぐに飛鳥へと向けられた。 「好きに滑っていいってさ。」 「え……?」 「月二回、出来るなら毎週でもいいけど、土曜日に三十分時間を貰ったんだ。その間お客にはリンクの外に出てもらって、スケート部の好きに使っていいって。」 亜麻色が大きく見開かれる。 「そ、それって……」 声を詰まらせる飛鳥に、晃はよかったねと瞳を細め、その口元に弧を描く。 「アイスショーやろ!スケート部として、卒業までずっと!」 「、うそ……」 それ以上は言葉にならず、飛鳥は震える口許に手を当て、信じられないと呆然と晃を見つめる。 「近隣の小学校や保育園に声掛けて、ボランティアで子供達の前で演技するの。田舎の小さなスケートリンクだから、照明設備もなければ音響も古いけど、それでもよければって源さんが。」 「そんな、そんな事……」 設備なんて関係ない。どんな場所だろうと、環境だろうと飛鳥にとってはどうでもいい事だ。 規定や制約に縛られず、自分の表現が出来る。それは、まさに美鳥飛鳥のやりたかった事そのものなんだから。 「っ、やりたい、…やりたい!」 拳を握りしめ、力強く答えた飛鳥に、晃はうんうんと頷く。その視線が、俺と木崎へと向けられた。 「打算的な話をあえてするけど、これは多くの人間に飛鳥の演技を見てもらえるチャンスなんだ。今、マスコミは飛鳥に注目してる。それを上手く利用出来れば、飛鳥の演技を大勢の人に見てもらえるはず。」 「……そうすれば、スポンサーや何かしらのオファーがくるかもしれないってことか。」 俺の言葉に、晃の口角がにやりと上がる。 「ただ、実現するのは大変だよぉ?宣伝に観客の整理に音響、飛鳥の体力を考えれば三十分フルで演技なんて無理だろうから繋ぎを考えないといけないし。どうやったって一人で出来ることじゃない。」 確かに、これは中々に骨が折れる。何とも晃らしい破天荒な提案だ。 「あ、あの、……我儘を、言ってもいいですか?」 飛鳥がおそるおそる俺達の顔色を伺う。 「皆に迷惑をかけることになるのはわかってるけど、それでも、……やらせてください!お願いします!」 深々と頭を下げる飛鳥に俺と木崎は顔を見合わせ、どちらからともなく自然と口角を上げていた。 そもそも晃の提案に断るなんて選択肢は毎回用意されていない。いつだって驚愕の内容で、強制で……最高なんだから。 「やるに決まってんだろ。」 「ま、乗りかかった船だからな。」 俺達の言葉に飛鳥は顔を上げ、ほっと息を吐く。その顔が嬉しそうに綻んだところで、パチンと晃が再び手を叩いた。 「よし、そうと決まれば……みんなには覚悟を決めていただきましょうか。」 今までの空気をぶち壊し、三度浮かぶ悪魔の笑みに、ぞくりと背筋が凍りつく。 「飛鳥、帰ったら視聴覚室で記者会見やるからね。台本暗記して、今度こそ余計な事は言わないように。」 「ひ、……は、はいっ。」 「大丈夫、会見はスケート部の顧問として木崎ちゃんが隣についててくれるからね。」 「はぁ!?」 「それから色、畔倉アイスアリーナの音響何とかして。せめてマイク使えるようにしといてね。」 「いや、何とかって…」 「sikiとして、美鳥さんの姿勢に共感しました、協力させてもらいますって声明出して。そうすれば人脈と権力と財力使って環境整えられるし、曲も堂々と提供出来るでしょ?今日中に会社説得して。」 「んな無茶苦茶な。」 「ん?みんなまさか僕に文句があるとでも?」 じろりと俺達を一瞥する視線に、皆ぐっと口を噤む。 そうだ。スケート部の設立を含めた飛鳥のサポート、果ては俺が飛鳥に対して色々やらかした事についても、全てフォローを入れてくれたのは他ならぬ晃だ。 背中を嫌な汗が伝う。 そうだよ、よくよく考えなくても、俺はこの先……こいつに一生涯頭が上がらない。 にんまりと不敵な笑みを浮かべる晃に何も言えず、行き場の無い思いはテーブルに叩きつけるしかなかった。 「ま、お前も頑張れ。」 うんうんと頷き俺に向けられる木崎からの哀れみの視線に、俺は怒りに震える人差し指を突きつける。 「てめぇにだけは同情されたくねぇんだよ!教え子に顎で使われてる教師の屑が!」 「あ?それを言うならお前はファンに手ぇ出したアーティストの屑だろうが。」 「あ、あの、喧嘩は、」 「はいはいそこまで。」 一触即発の空気はパチンと三度叩かれた晃の手によって霧散させられた。 「時間がないの。これ以上低レベルな言い争いするっていうなら……」 口元はニッコリと弧を描き、けれども目元は一切笑っていない。 あ、これはヤバいやつだ。 俺も木崎もなぜか飛鳥も条件反射で背筋を伸ばし、絶対零度で微笑む晃にすみませんでしたと揃って頭を下げてしまっていた。 sikiの名前と、記者会見の最後に盛大にマイクに頭をぶつけた飛鳥のど天然な行動により、部長様のシナリオ以上に世間の注目を浴びるようになってしまうのは、それからわずか五時間後の話だった。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 次回最終話の予定です。

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