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嫉妬 1

 「服を脱げ」  あの人に命令された。  あの人と俺の部屋に、いや、もう部屋だった、と過去形になるのかな。  あの人は俺をいらなくなるから。  連れ帰られてすぐに、寝室に俺は連れ込まれた。  ダイニングには、スーツやスーツの元嫁がいるけど、この人にしてみれば我慢した方だ。  帰りの車の中で、あの人が必死で耐えていたのが分かった。  本当は後部座席でめちゃくちゃに俺を犯したかったのだ。  スーツなんか気にせずに。  それぐらい、苛立っている。    でも、耐えてくれた。  それが辛い。  俺はシャツに手をかけるけれど、手が震えてしまう。  どうしてだろ、服か脱げない。  「脱げって言っている!!」  あの人が怒鳴った。  こんな風に怒鳴られたことはなかった。  この人は気が短いから怒る。  でも、その分すぐ反省する。  怒鳴った瞬間に後悔していたのに。  怒りの深さがいつもとは違う。  でも、俺は躊躇ってしまう。  だって脱いだらあんた、俺に触るだろ?  俺、あんたに触られるべきじゃない   もう。  「・・・他の男の服を着て僕の前にいるつもりか。その服すら脱げないのか?」  あの人は声を震わす。    俺が着ているのはピチピチのTシャツ。  本来7分丈だったはずが膝丈で着てるパンツ。    情報屋か詐欺師の服だ。  「・・・俺、俺、俺・・・」  俺は何か言おうとする。  でも、どう言えばいいのかわからない。  情報屋を殺すわけにはいかない。    でも、このまま、あの人に抱かれるのは・・・それも出来なかった。  俺は服を脱げずに、俯いた。  「脱げと言っている!!」  あの人は怒鳴った。     空気が歪むような怒りが、風圧のように叩きつけられた。    俺はビクリと身体を震わせた。  怖かった。  怖かった。  嫌われるのが怖かった。  「・・・あんたとは・・・もう出来ない・・・」  俺は泣きながら言った。  強引にされてきた。  強姦まがいのものもあった。    最初から「死ぬか専用の穴になるか」みたいな始まりだった。  でも。  俺は。  俺は。  俺が最初からあんたが欲しかったんだ。  殺した男を犯しているあんたを見た時から、俺は狂った。  そんなあんたが欲しいと思った。  あんたが「穴」だとか言いながら、それでも恋人みたいに扱ってくれたから、それでも俺だけしか抱かないから、酷くしても、それでも優しくしてくれたから。  余計に欲しくなった。  あんたが好きだ。   あんただけが好きた。  そしてそれが一番あんたに届くって分かった。  あんたは、自分を怖がらずに、自分だけを見て、自分だけを愛してくれる人が、ずっと欲しかったんだ。  その場しのぎに殺して犯して楽しんでいたくせに。  あんたは知ってる。  そんなあんたなくせに知ってる。  愛することも、愛されることも。  きっと、それはあんたの無くした過去にあるんだろ。  あんたは殺人鬼のくせに人を愛することを知っていて、愛されることも知ってる。  だから、あんただけが欲しくて、あんただけが好きな俺に捕まった。  俺なんかに捕まった。  あんたは愛されたかったから。  昔のあんたを愛した人は、きっとあんたを裏切らず、あんただけを見てくれる人だったんだろ?    俺はあんたを見つけた。  自分だけを見て、自分だけを愛して欲しいと願っているあんたを見つけた。  これであんたを手に入れられるってわかった。    これなら俺には出来るって分かった。     あんたは俺のものだって思った。  あんただけを愛してやると。    あんただけを見てやると。  それだけがあんたを手に入れられる方法なんだと。    たった一つで、あんたに届くただ一つの方法。    俺、それをもうなくしてしまったんだ。  「・・・あんたとは出来ない」  俺は泣いた。  俺はあんたを裏切った。  あんたを真っ直ぐに見つめられることだけが俺の武器だったのに。  あんたが何をしようと、俺だけはあんたを裏切らないことが俺の戦略だったのに。    俺が裏切らないからあんたは、俺に不安を覚えながらも、それでも、俺が否定さえすれば安心できたのに。  裏切らない俺だけをあの人が抱いて眠る。    あの人の何一つ信じられない世界で、俺だけはあの人を守れる盾だったのに。  俺はあの人を見つめた。    唇を噛み締め、目に燃えるような光をたたえ、耐えるように拳を握りしめているあの人は、こんな瞬間でも、綺麗だった。  鬼のように綺麗だった。  「殺していいよ」  俺はあの人の目を見つめて言った。      「お前は・・・何を言っている!!」  あの人は叫んだ。  何度も小さく首を振る    違う、違う、と言うかのように。  違わない。  裏切ったのは俺だ。    「俺ね、俺ね・・・」  俺は告白しようと思った。  他の男を抱いたこと。  でも、そんなこと言わなくていい。    そこが問題じゃない。  もうあんたを真っ直ぐ見られないから辛いんだ。  どんなあんたでも、俺は見て来たのに。    俺は涙を流す。  あんたを、見れない。  それが辛い。  「殺していいよ」  俺はもう一度言った。  あの人が近づいてくる。  何で、そんな苦しそう何だ?  何で、怒る代わりにそんな辛そうな顔してるんだ?  察しのいいあんただ。  俺があんたを裏切ったのはもう分かっているんだろ?  真っ直ぐには見られないから分からない。  綺麗なあの人が見れない。  残酷で時に下品で、卑怯で狡猾で。  でも、たまらなく可愛くて綺麗なあの人をもう一度、前のようにこの目に映したかった。  あの人の肌の匂いか嗅げるほどちかくにあの人はいた。  俺は、俺の足元を見ていた。  ひやりとした感触が頬に触れた。  いつも少し冷たいあの人の指。  「僕を見ろ」  俺より、少し低いあの人が俺の頬に触れて言った。    俺は泣きながら首を振る。    見れない。  見れない。  もう、前みたいには見れない。  「・・・見て。お願いだから」  優しい声だった。  その声に驚いて思わず、足の先を見ていた視線をあげた。  あの人の顔が見えた。  怒りはもうなかった。  そこにあったのは恐れだった。  あの人の唇は真っ白だった。  あの人の目は恐怖に震えていた。    「・・・僕を置いて行くなんて許さない。僕から逃げるなんて許さない。僕はお前を迎えに来た。ちゃんと間に合った。お前か死ぬ前にお前を取り戻した。・・・なのにお前は死んで僕から逃げるのか?」  あの人は震える唇で言った。  「でも・・・俺・・・俺は」  俺は言おうとした。  あんたを裏切った、と。    「・・・黙れ。僕に言わせるな。『お前が何をしても許す』なんて絶対に言わせるな。そんなことは有り得ない。僕を裏切ったら殺す。殺すんだからな!!だから言うな!!」  あの人はヒステリックに叫んだ。

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