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ゲーム 3

 嘘つきはあの子と向かい合った。  あの子を攫ってきたくせに、ちゃんとあの子に嘘つきが接したのは初めてかもしれない。  攫ってきといてほったらかし。  見ようともしなかった。  世話をしているのはオレだ。  オレはただでさえ自分のことを自分でしない嘘つきの世話をしている上に、あの子の様子も見てやらねばならない。  身体が弱いし、自分では自分の身体の状態が分からないし、「寝ろ」と言わなけらば寝ないで何やら数学について考えてしまうからだ。  誘拐されても研究は実行中らしい。    何かずっと数式を買ってきてあげたノートに書いている。  少年があの子を気にかけてくれるのは助かる。  少年はとてもいい子だ。    あの子が来てからますます嘘つきは自分のことを自分でしなくなった。  「自分のことは自分でしろ!!」  そう怒鳴っているのだが、服を着せて、風呂上がりに髪まで乾かしてやらなければならない。    あの子の髪も乾かさないといけないのに。  触られるのを嫌がるから、ドライヤーを細かく移動させながらかけなきゃいけないし、結構大変なんだぞ。  風呂上がりに考え事に夢中になって湯冷めして風邪をひかせたらいけないのに。  少年がその辺りも理解してくれるようになって助けてくれてる。  触られるのを嫌がる特性も理解してくれた  まあ、本来30才女性の髪を乾かしたり、なんならお風呂の中で溺れてないかたしかめたりを17才の少年がするのは非常にヤバいのだけど、まあ、少年は全く女性に興味がないので問題ない。  見た目的にはヤバいのだけど。  毎晩一緒に寝てるし。    つまり、この一週間の監禁生活はオレと少年の保育士体験だったんだよ。  お風呂入れてお着替えさせて・・・。  あの子はね、いい。  ずっと世話してきたし、あの子は生きていく上で人の介助がどうしても必要なのは分かっている。    嘘つきだよ。  お前本当は何でも自分で出来るだろ。  なんだよ、その赤ちゃんプレイ。  風呂くらい一人で入って身体を洗え。  そのくせ、人の身体にはヤらしいことをしかけてくるし。  なんだよ、お前。  片腕を失っていらいの甘えっぷりに拍車がかかってきた。  攫っておきながらあの子にまったく構わなかったのだ嘘つきは。  何のためにさらったんだ。  むしろ傭兵方が構ってくる。  アイツばりに悪趣味なワンピースを何着も買ってきたり、お菓子やケーキなどを持ってくる。  どこで売ってるんだこんなレースだらけのワンピース。  アイツと趣味が会いそうだ。  最悪だ。  ワンピースは可愛い。  これを着せたがるお前らの頭の中身が最悪だ。  「可愛いものを愛でたいだけ」  と言う実害のない変態だと自称しているが、傭兵は信用出来ないので、少年に絶対に 見張らせてる。  そんな風に全くあの子に構わなかった嘘つきが、今日いきなりあの子の前に姿を表した。  いつもは寝室に引っ込んでたくさんの携帯やらパソコンやらを並べて、青い光に包まれて何やら交信していて、オレに構って欲しい時以外は出てこようともしないのに。   このホテルの部屋には簡単なキッチンさえある。   部屋も寝室2つ、浴室以外にジャグジーまである。  何度も言うがこんなホテル泊まったことはない。  たまに掃除の人が入ってくるが、多分オレ達は違う姿にみえているのだろうな、と思う。  ソファやテーブルがあるダイニング。  オレや少年、あの子、オレがいつもいるそこに嘘つきは現れた。  真っ直ぐにソファに座るあの子の前まで歩いてきた。  少年が最初に反応した。  飛びかかろうとしたのだろうか。  すごい目で嘘つきを睨みつけた。  ピクリと身体を震わせたが、でも次の瞬間、へなへなと座り込んだ。  「その子を傷つけるな!!」  オレも叫んだ。  身体は動かない。  オレはアイツのすることを止められないのだ。  嘘つきは冷たい目でちらりとオレを見ただけだった。  ソファに座るあの子は嘘つきを見上げた。  まあ、外に出るわけでないし、この子は着るものには無頓着なので、傭兵が持ってきたワンピースを着ている。    昔の外国の映画で少女が着ていたようなエプロンドレスだ。  ロリコンむき出しの最低のセンスだが、日本人形にドレスを着せたようなアンバランスさで、確かに可愛くはあった。  30才だから。   この子。  オレと同じ年だから。  嘘つきはあの子を見下ろす。    その目には何の感情もない。    あの子は嘘つきの存在には慣れてきたせいか、混乱はしなかった。  あの子も無表情に嘘つきを見上げた。  切れ長の瞳だけが熱量を持つ。  「・・・あなたの能力は私には及ばない。私には嘘は関係ないからだ。私にはどんな言葉も理解に苦しむ言葉でしかない」  あの子は言った。  そう。  あの子には会話はものすごいパズルをしているのと同じだ。  言葉の意味はわかるがそれが冗談なのか例えなのかさえあの子には分からないのだから。  それが使われる文脈が理解出来ないのだ。   だからあの子は苦労して一つのやり方で人との会話を可能にした。  「私はあなたの僅かな顔の表情を読む。眼球の動き、唇の形、目の見開き方。人間の表情は嘘をつかない。だから私はあなたの嘘が分かってしまう」  あの子は言った。    人間とは正直な生き物だ。    嘘をつく時もそれを嘘だと言うサインを顔のどこかに出す。  あの子は今まで人とした会話で、人がした表情を全て覚えていて、それを解析し、言葉ではなく人間の感情を表情から読み取ることに成功したのだ。  正直、文脈を読み取る方が簡単だと思うのだが、あの子のような人にはそちらの方が容易いらしい。  膨大なデータの中からパターンを見つけ出すのはあの子が得意なことの一つだ。     「あなたは私を洗脳できない。申し訳ないが」  あの子は言った。    嘘つきはそれでもを見下ろしているだけだった。  冷たい冷たい眼差し。   そう、何のためにあの子を攫ったんた嘘つきは。    「憎んでいる?・・・私をか?・・・いや、違う。あなたは私が嫌いだが、その憎しみは私に向けられたものではないな」  あの子は嘘つきの表情を読む。    「・・・何をそんなに憎んでいる?全て消し去りたいと思う程に」  あの子は嘘つきに訊ねる。    そうだ。  嘘つきは憎んでいる。  殺しを楽しむ以上に何かを憎んでいる。  オレもそれを感じていた。  オレは一つの仮説をたててはいる。  それが、嘘つきが、殺しを止めてオレと何処かへ消えることを望みながら、大量虐殺をしようとしている、この矛盾した行動の理由だ。  嘘つきはあの子の言葉に笑った。  声を上げて笑う嘘つきをオレは初めて見た。  微笑むか、軽い声を立てるくらいしか知らなかったからだ。  だかその笑顔は。  これを笑顔だと言うのなら。   これは。    おかしくてたまらないといった風に笑うその顔は、裂けるように大きく開かれ、声も確かに軽やかな笑い声であるのに。  その目はあまりにも冷たく、見開かれていたからだ。  氷のような闇がその目にはあった。  そしてその闇は嘘つきの身体を満たし、その目がそれを映し出す。  この男は闇でできあがった男なのだと思い知らされた。    笑顔でありながら、それは憤怒の顔だった。  それは憎悪の顔だった。  そこにはひたすらオレに甘える、ダメな男はみえない。  泣きながらオレを求めるように抱く男はいない。   ヤキモチをやいて、オレから離れようとしない困った男はいない。    何度もオレの名前を叫んで達する情熱的な男はいない。    いや、違うこれこそが嘘つきの本当の顔だ。  闇は冷たく、でもそこには焼け付くような憎悪があった。  芯で燃えるその憎悪こそが嘘つきのエネルギーの源なのだとオレは思い知った。  「憎む全てを消し去りたいのか、あなたは」  あの子は呟いた。  怯えていたのかもしれない。  嘘つきは外した仮面をまたはめるように、笑うのをやめて小さな優しい微笑みをつくった。    そして、あの子へと手を伸ばした。  青い言葉が唇からこぼれていく。  どんな嘘なのかも、オレは聞いていない。  だがあの子は震えながら嘘つきの手へとその細い指を伸ばす。  あの子は嘘ではなく、嘘つきの表情を読んだのだ。  そしてそれはあの子が、人に触れられるのをあれほど嫌がるあの子が親しい者にならなんとか我慢して握手はできる程度のあの子が、そうしなければならない理由をそこに見たのだ。  「彼を苦しめるな」  あの子は嘘つきに手を掴まれた瞬間叫んだ。  まるで焼けた鉄に触れたような苦痛の叫びをあげながら。  あの子には接触は苦痛。  恐怖でしかない。    それでも手を伸ばした理由など僅かしかない。    彼を苦しめるな。    嘘つきが脅したのだ。  彼を苦しめると  彼女が苦しめられることを恐れる「彼」は  オレかアイツだ。  自慢じゃないが、アイツよりオレの方をあの子が信用し、頼っているのは間違いない。  だが、嘘つきはオレを苦しめることなどない。  それはあの子がアイツよりオレを信用しているのと同じ位確かだ。  つまり「彼」はアイツだ。  嘘つきはアイツを使ってあの子を脅した。  そしてそれは本気だった。  言葉は嘘でもその本気にあの子は怯えた。  そしてあの子は嘘つきの手を掴んだ。  嘘つきの外したはずの仮面が剥がれ落ち、苦痛の叫びを上げる彼女の手をつかみながら、嘘つきはまたあの邪悪な笑顔を浮かべた。  そこにはどこにもあの清らかと言ってもいいような顔はなかった。  凶悪な悪魔のような顔があった。  醜悪な悪鬼のような顔がそこにあった。  決して傷付けられることはないことが分かっているオレでさえ怯えた。    つり上がった唇が、開かれ青い言葉が洪水のように吐きだされていく。  青い光が溢れ出していく。  そしてそれは彼女の悲鳴を上げる小さな唇の中に吸い込まれていく。  「嫌だ・・・」  彼女は目を見開き身体を硬直させた。  小さな身体が小刻みに震える。  何かをたっぷりとその身体に注がれたのだ。  オレは助けることも出来ず、震えていた。    彼女がガクガクと震えた。  嘘つきは彼女を支えるために抱き寄せた。  背の高さかあまりにも違う嘘つきと彼女では、子供を抱きしめるようにさえも見えるはずなのに、その二人の抱擁は危うい何かを含んでいた。  そうまるで、セックスのような。  嘘つきは彼女を犯していた。  嘘つきの邪悪な何かで。  それは身体を使ったセックスではなかったけれど、精神的なレイプのようなものだった。    嘘つきは冷たい目のままあの子を抱きしめながら床に座る。  苦痛のように彼女は顔を歪め、でも、力無くその胸に顔を埋める。  小さく震え続けている。  いや、苦痛なのだ。  180近くある嘘つきの身体に150センチない彼女はすっぽりと包まれ、彼女は恐怖のため悲鳴をあげる。  触られることへの恐怖だ。  だが、嘘つきは容赦ない。  彼女を自分の胸に預けたまま、その顔を撫で上を向かせた。  その手は丁寧で、ソフトだが優しくはない。    初めて俺を抱いた時と同じように。      「嫌だ・・・」  あの子が泣く。  助けてやれない。    「やめろ!!」  オレは叫ぶだけだ。  ソファにだらりと身体を横たえている少年の目から涙がこぼれるのが見えた。  少年も動けないのだ。  「お願いだ。離してくれ!!」   オレは叫んだ。  嘘つきが何をする気なのかはわからない。  でも嘘つきは女を抱くこともできる。  老若男女にその身体を好きにさせてきたのだと、少年から聞いている。  幼い子供の頃から犯されてきた嘘つきに、子供にし見えないあの子を犯すことに何の抵抗もない。   それが悪いことだという概念がない。  オレ以上に倫理などない。  そして、レイプという概念もない。   と言うより、拒絶する選択肢さえ嘘つきにはなかったからだ。  あの子を平然と犯すことも嘘つきにはできる。  「お願いだ!!」  オレは懇願する。  あの子はアイツに抱かれることには耐えれた。  それはアイツを愛しているからだ。  苦痛でしかなくても、アイツだから許し耐えた。   でも、嘘つきになら?  あの子は壊れてしまうかもしれない。   嘘つきはあの子の首筋を舐めた。  あの子は悲鳴をあげる。    嘘つきは薄く残忍に笑った。     嘘つきがふとオレを見た。  それは、意外にも悲しそうな顔だった。  とてもとても、傷ついたような顔だった。    ソファから起き上がれない少年の手が強く握りしめられ、手のひらに食い込んだ爪が血を流す。  洗脳に逆らおうとしているのだ。  「やめてくれ・・・」  オレはただ懇願する。  嘘つきのオレへの好意のようなものにすがるしかない。  嘘つきはあの子の耳たぶを噛んだ。  あの子は絶叫した。  嘘つきはそのままその耳元に何かを囁いた。  それは嘘ではなかった。  だって青い言葉ではなかったから。  あの子の目か見開かれ、まるで凍りついたように表情が固まった。    そしてあの子の小さな唇が開いた。  そこからたくさんの青い言葉がこぼれだしていった。  光の洪水。  無数の記号、数字、アルファベット。  あの子の中に嘘つきが注ぎこんだものが、形を変えて出てきたみたいに。  溢れだすその青い光は蒸発するようにきえていく。  最後の一つの文字を吐き出した後、あの子は目を閉じ、気絶した。  それと同時に嘘つきが閉じこもっていた寝室からたくさんのアラームや起動音が鳴り響きはじめた。  青い光が僅かに開いたドアからこぼれていく。     何かが始まった。  そして、それを始めるために嘘つきは、あの子を必要としたのだ。    嘘つきはあの子を床に横たえた。  その仕草に特に優しさはないが、酷さはなかった。  嘘つきはあの子への興味をまるでなくしたかのようにもう二度とあの子へ目をやることもなかった。  そして立ち上がった。  寝室に戻ろうと嘘つきは歩きはじめた。    だが、オレの前を通り過ぎようとしたその瞬間、またオレを痛々しい目で嘘つきはオレを見た。  なんだよ、その目は。    何でそんなに傷ついたような顔をしているんだ。  嘘つきは低く唸るような声をあげて、突然オレの唇を奪った。  貪られるようなキスにオレは慌てる。  嘘つきは怒っていた。  それでもオレを欲しがっていた。    お前は・・・なにをそんなに・・・怒っているんだ、オレに。  乱暴なキスの後、突き飛ばすように身体を離された。  「お前・・・何を・・・」  オレの言葉を嘘つきは無視した。    嘘つきのそんな態度は初めてだった。    もう一度傷ついたような目を向けた後、嘘つきは寝室へと戻っていった。  そこでは沢山の端末達が青い光を放っていた。   よく見ればそれらの光が無数の青い言葉であることがわかった。  そこではそれらが何かと繋がっていた。  そこでは、何かが始まっていた。  今、あの子が嘘つきに与えたものが、何かの始まりだったことがわかった。  今、ゲームが始まったのだ。  

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