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解除 4

 「ギザギザがある?心に?」  俺はわからなくて聞き直した。      詐欺師はまた情報屋を連れ込んで抱いてる。  何時間そうされてんのかな。  情報屋の声が悲鳴みたいだ。  何があったか知らないけれど、「自業自得」らしい。    「それでもな、4回に一回位はやり返してんだよ!たまには泣かせてんだよ。それ以上にやられてるけどな!」  情報屋が言ってる意味は分からないし説明もしてくれない。    喘ぎ声とか、嬌声とかそういうのではない声がする。  知ってる。 死にそうにイカされてる時の声だ。  抱かれる立場からすると・・・気の毒だ。  快楽も過ぎると苦痛と変わらなくなる。    おかしな気分になるけど耐える。  あの人に突っ込んでもいいという言葉だけが俺を正気にしてくれている。      あの子はこの何日もぼんやりとひらくだけだった目をしっかりと開けた。  どうやら、起きる気になってくれたらしい。  横たわっていたソファから起き上がり、ソファの前の床に胡座をかいている俺と向き合った。  「まずはいわゆる『洗脳』と言うものがどういうものかについてから説明しよう」  あの子は可愛らしい外見からは想像もつかない冴え冴えとした口調で話はじめた。  そうは見えないが、やっぱり大学の先生なんだな。  俺は変なとこで感心した。  「洗脳と言うのは基本的に政治思想などを転向させるためにつかう言葉だ。長期間の思想教育で信じていたことを違うものに変える修法だ。そういう意味ではあの男が行っていることとは異なる。むしろ、あの男が行っていることは『マインドコントロール』と言うものに近い。だが、基本原理は洗脳もマインドコントロールもあの男がしていることも同じだ。『自らそうだと思い込む』ようにすることだ。しかもあの男の場合、幻覚を見せることにより、行動をより自分の望むものにコントロールすることが出来る。例えば、君に君の恋人の幻覚を見せ、違う相手を抱かせたりすることも可能になる」  あふっとあくびをしながらあの子は言った。  小さな口を小さな指で押さえる姿は可愛らしいのに、語り口けだけが大人のそれなのがすごいアンバランスだ。  「・・・つまり?」  俺にはこの子の言っている言葉はわかるが言いたいことがわからない。  俺には難しい。  めちゃくちゃ簡単に結論だけいって欲しい。  「自ら思考することを放棄してすぐに答えを欲しがるそういう人間が洗脳されやすい・・・君みたいな、な。君が洗脳されたのはそういうところが原因と思われる。思考を放棄しないことをお薦めする。だが慣れない思考で時間を無駄にするのは我々の利益にならない。だから、特別に答えよう。君が私の学生だったなら絶対に許さないが」  あの子は淡々と言った。      難しく長い言葉だけど、「仕方ないな、バカが」と言われたのんじゃないかと思ったのは気のせいてではないと思う。  「人間は望まないことはしない、と言うことだよ。人は洗脳されようがマインドコントロールされようがしたいことをすると言うことだ」  あの子の言うことにますます俺はキョトンとしてしまった。  「従来のマインドコントロールや洗脳のやり方としては長時間の監禁、薬物の使用、眠らせない等の手法によって精神状態を不安定にする。そして、まず、自分自身を糾弾させる。自分の何が悪かったのかを誘導しながら、自分自身の言葉で自分を責めさせる。そして、それを洗脳するものは許してやる。受け入れてやる。罪を認め許してこやる。そして、新たな価値観を叩き込む」  あの子は平坦な声で言う。  まるで感情なとない声で。  可愛らしい人形のような顔が、大人のようなしゃべり方で難しいことを話すのは、ものすごく違和感があった。   けれども、大学ではこんな感じで教えているんだろうな。  なんてことを俺は思った。  でも、まだあの子の言いたいことが見えてこない。  「そうやって叩きこまれた価値観を何のために人は受け入れるのかと言うことだ。自分自身からも否定された自分を救ってもらいたいからだ。受け入れたいからだ。救われたいからだ。そのために今までの価値観を捨てて、新しい価値観を受け入れる。救われるために。人が洗脳されるのは、そうされたいと思うからだということだ」  あの子の言いたいことはやっとわかった。  捕食者が従属者の意志をしばるのとは違うのだ。  あの男は俺が自主的に逃げたくないと思わせるようにしてあるのだ。  ただし、普通の洗脳とは違いあの男から離れたなら洗脳は解けるけれど。    「私は数字や記号を呼び出すことができる。ギザギザが在るんだ。そのギザギザにピタリとあう数字や記号を私は見つけることができる。そしてそれがピタリとあったなら、あの男はそれをまわす。鍵だ。扉が開くそしてあの男は進んでいく」  あの子は言う。  「暗号解読」というあの子の能力だろう。  「あの男が人に入る時、あの男もそんな感じでドアをあける。心のギザギザに合う何かを差し込んで回し、入ってくる。キーワードがあるんだ」  あの子は言った。  「・・・えっと」  俺は良くわからなくなってきた。   てか俺は何を知りたいんだろう。  ここに何のヒントがあるのだろう。  わからなくなって混乱してきた俺を見て、あの子はため息をついた。  「今まで私が話したことをまとめてみろ」  あの子が言った。  「アイツの『洗脳』は言うことを聞かせる能力ではなく、そうさせる能力。自分からそうしたいと思わせる能力。何故そうしたくなるのかは、受け入れて欲しいと思うから。あんたの力はギザギザの部分の記号を見つけられる。それは鍵みたいになっていて、それをあけて、詐欺師はネットを動きまわる。それと同じように、嘘つきは人の中に入ってきてその能力を使う」  俺の言葉にあの子は満足気に頷いた。  「それで?」  あの子は俺の言葉を待つ。  でも、そこまでだ。  わかんないよ。  わかんない。  「自分で考えろ。自分の頭で考えろ」  あの人もいつも言う。    「誰かがそう言ったからではなく、何でそうなのか考えろ。生き残りたければ、自分で考えろ」  あの人の言葉を俺は良く分からないまま聞いていた。  自分で考えるって本当はどういうことなんだろう。  「でも素直なのはホント可愛い・・・」  そう言ってキスされて、首筋に落ちてくる唇とか、胸を弄りだす指とか・・・いや違うからちがうから集中しろ。    情報屋の声がうるさいんだよ。  また悲鳴のような声がする。  クソっ何してんだろう。  したい。  したい。  あの人に挿れられなかったら、挿れられんのでもいい。   気持ち良いとこ擦って何も考えられなくして欲しい。  集中しろ。    集中・・・。  あの人のとこに帰るんだ。  帰ったらあの人が抱かせてくれる。  また可愛いあの人を見れる。  俺の腕の中で蕩けるあの人を見たい。  あの人は洗脳されない。  俺はされる。  詐欺師は俺には入れて、あの人やスーツには入れない。    俺が詐欺師に好意を抱き信用するからだ。  それが能力の条件の発動。    分からない分からない。  「・・・洗脳されても意志を縛られているわけではない。したくないことは出来ない」  俺は呟く。  あの子は頷く。  「そうだ。例えばある人種やある国の人間を殺すべき忌むべきものだという思想を刷り込まれても、実際その人間を前にして殺すかどうかはその人間の意志だ。刷り込めるのは思想であって意志ではない。あの男も、君に誰かと性交を強制することはできない。幻覚やそういう状況をつかって、君が性交したい人間がいると思わせることが出来ても」  あの子は言った。  性交ですか。  そんな言葉使う人初めてだ。  ・・・わかってきた。  「つまり、逃げられないと思わさせられているだけで、逃げようと思ったら逃げられるんだな?」  俺の言葉にあの子はまた頷く。  なら簡単じゃないか。  俺は直接触れないようにこの子を毛布でつつみこみ、さっさ 担ぎ上げた。  逃げる。  帰る。  あの人のとこに帰る。  あの人に触れたい。  あの人を抱きたい。  あの人に会いたくて会いたくてたまらない。  「そんな簡単な話では・・・」  あの子が何か言いかけているけど気にしない。  担いだまま、窓をあけ、テラスに向かう。  下を見下ろす。  20階位か。  人や車がおもちゃみたいに見える。  ドアを開けたらブザーが鳴るように細工されてある。  もしかしたら傭兵も近くにいるかもしれないし、ドアから逃げるのはやめたのた。  この子を担いだまま、テラスのフェンスに立つ。  下からの風が、髪を逆立てる。  あの子が怯えた声を出したが、大丈夫、俺のバランスは簡単に崩れない。  次の階のフェンスに飛び移り、また次の階のフェンスに飛び移る。  下までいける。  俺なら行ける。  この子を担いでもいける。    俺は自分に言い聞かせる。  「ダメだ!!」  あの子が何か叫んでいるけど気にしない。  俺は軽くフェンスから飛び降りた。    飛び降りた瞬間、俺を襲ったのは拒否感だった。  全身が拒絶した。  この部屋から離れることを。    嫌だ。  そう思った。  分からない。   ただこの部屋から出たくないと思った。  でももうすでに俺は宙に浮かんでいて、しかもそこは20階以上はある高さで。  俺は崩してならないバランスを崩していた。  このまま落ちたら間違いなく、狙った下の階のフェンスにおりたつことはできなかった。    肩に担いだあの子が引きつった声をあげた。  俺はいい。  俺は死なない。  でもこの子が!!  俺は必死で手を延ばす。  フェンスの下のへりにわずかに指が引っかかった。  俺は指一本あれば、全体重を支えられる。  でも、この子の体重まであったなら・・・。  でも、俺は必死で耐えた。  僅か指二本で俺はフェンスにぶら下がっていた。  足元を見れば、ミニチュアの街並みが見える。  その非現実的な小ささが、ここの高さを教えていてゾッとする。     やばかった・・・。  俺は指を増やし、片手で身体を引き上げる。  俺の肩の上であの子が泣いていた。    「・・・最初の頃に何回も何回も部屋から出ようとしてダメだったくせに・・・なんでこんなことするんだ・・・バカだ。バカだ。動く前に少し考えろって言われたことないなか!!」  泣き叫ぶ言葉はごもっともだった。  あの人に良く言われている。    そうだよね。  何回も逃げようと試して出られなかったんだったよね。  忘れてた。   「本物のバカだ!!脳まで筋肉でできているのか!!」  泣き叫ぶあの子の言葉に何一つ反論できなかった。  フェンスを乗り越え、部屋にもどり、あの子をソファに横たえた。  「まだ話の途中で飛び出して!!」  あの子がクッションで俺を叩くのをおとなしくされるがままになる。  殺しかけてしまった。  何も言えない。  死にかけていた俺達を気にも止めず、詐欺師が寝室で情報屋を責めて泣かせる悲鳴のような声だけが聞こえる。  これだけ没頭できるのは俺達が逃げないと信じられるだけの理由があるのだ。    「とにかく、何をつかってアイツが君の中に入ったのかを知る必要があるんだ。もう、君は何も考えるな。私の言うことらだけ聞いていろ!!考えない方がマシな人間もいることを知ったぞ!!」  あの子はおこっていた。  まあ、当然だった。    

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