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祭 6

 雨のような声がした。  暖かな大地に染み込むような声だった。    詐欺師が話し始めたのだ。  詐欺師が挨拶から始める。  ずっと聞いていたいそうおもってしまう声だった。    軽いジョークに笑ってしまう。   思わず心がほどけてしまう。    詐欺師の話は面白く、思わず引き込まれてしまう。か  俺は詐欺師の声をそういえばまともに聞いたことがなかったことに気付く。  優しく甘えたように情報屋の名前を時折呼ぶ以外では、詐欺師は話すことはなかった。    傭兵と二人部屋に閉じこもっているときは知らないけれど。  情報屋は詐欺師の言葉以外から、詐欺師の言いたいことを察してやっていた。  ホントあんたすごいよな。  スゴいコミュ力だよな。  舞台袖に佇む情報屋に目をやる。  今は何の表情もその顔にはない。  今情報屋の目にあるのは虚無だ。  俺にしかわからない。    情報屋に甘えていた、あの猫のように気ままで我が儘だった綺麗な男は今ここにはいない。  それを情報屋はわかっているのだ。    そして俺は気付く。  詐欺師は話さなかった。  嘘の言葉の一つさえ。  つまり、あの部屋の二人には嘘はなかったのだ。    でも、今、ここにいるのは言葉と声とその姿だけで人を捕らえる化け物だ。    舞台の上で、話す詐欺師は、その声だけで人々の心を掴みとっていく  恋をする。  その話す言葉の全てを受け入れたいと。  恋をする。  わずかでもこちらを見てほしいままと。  恋をする。  その話の中に自分をかさねて、何故この人は自分のことを分かってくれるのかと。  恋をする。  この人に従えばいいんだと。     恋をする。  この人を喜ばせたい。  恋をする。  きっと助けてくれる。  恋をする。  この人の為ならなんでもする。     人々は恋するように詐欺師に支配されていくのが、見ているだけでわかった。  俺の脳に呼びかける何かがある。    「許してあげる」  誰かが何ががささやく。  許してくれるの?  俺は思わず泣きつきたい気分になる。    あの人が残忍にたのしげに殺す姿が見える。   笑いながら鼻を削ぎ、楽しげに指を切る。  終わらない苦痛に悲鳴をあげる人。  俺はそれをみてきた。  そしてその苦悶の後に死んだ人々の死体の前であの人に抱かれてきたのだ。  涎をたらし、自分から腰をふり、あの人モノを穴でも口でもくわえ込んだ。  夢中で俺もあの人を求めた。  えぐり出された眼球に自分を映しながら。  でも殺されたのは悪者達だ。  俺は叫ぶ。  でも・・・あの人が悪者だけにそうしていたわけじゃないって知っているんだろ。  その声は囁く。    分かってるんだろ。  初めてあった時のあの人は、街でみかけた好みの男を殺して犯していたじゃないか。  ただあの人の好みだったという理由だけで。  その声が誰の声なのか俺にはもう分かっていた。  それを聞かせているのは詐欺師だ。  でもこの声は・・・俺の声だ  お前にあの人を許す資格はあるの?  あの人といるの?  何もなかったことにして?  殺された人の痛みは?   殺された人を愛した人々の気持ちは?      だから俺はこの声から逃げられない。  ごまかせない。  俺がおもっていることだ。  これは。  でもね、許してもらえる。  そんなにあの人を好きなことを許してもらえる。  だから従おう。  楽になれるよ。  許してもらえるよ。  甘く囁かれた。  詐欺師に従えば。  罪の意識も全て詐欺師に渡してしまえば。  あの人を愛していてもいいんだよ。  詐欺師が全ての罪を引き受けてくれる。    そう声は呼びかける。  俺の前に俺がいた。  俺の痛みを理解してくれる俺がいた。  伸ばしてくれる手にすがりつきたいと思った。  罪を渡して軽くなりたかった。  俺は目の前に立つ俺の顔面を思い切り拳で打ち抜いた。  歯が折れただろう、頬骨も折れただろう、目玉も飛び出したかもしれない。  そして実際、その痛みは自分自身で感じていた。  自分を殴ったのだから当然か。  それでも俺は自分を殴り続けた。    痛い。   苦しい。      でもそれは当然だ。  殴られるべきなのは俺なのだから。  「どうして・・・?」  俺が言う。    血塗れの顔で。  頬骨を砕かれ飛び出した目玉に俺が映る。  俺の目玉も飛び出している。  どうして?   罪を引き受けてくれるのに。  救ってくれるのに。  そうすれば何も考えずあの人を愛せるのに。    「許される必要なんかないんだ」  俺は俺に言う。  言い聞かせるように。  「あの人のしたことは俺が背負う。俺がしたことだ。責められ憎まれるのはもう俺だ。・・・俺は誰にも許されないでいい」  誰にも赦されることなど望まない。  人を一人でも助けることを決めたのも赦されるためじゃない。  俺は俺の胸を殴りつけた。  骨が折れただろう、肺に刺さっただろう。  喉を殴りつけた。  鈍い音がした。  顔が有り得ない方向に曲がる。  全ての痛みを俺は感じていた。    でもそれで良かった。  「もう赦される必要なんかないんだよ」  俺は俺を血塗れにしながら言った。  俺の苦痛と血。  それを捧げ続ける。  赦しさえ求めずに。    「誰も赦してくれなくていいんだ」  俺は俺を殴り続けた。    赦しなどいらない。  俺でさえ俺を赦さない。  それでも俺はあの人から離れない。  離さない。  もうそれは決まったことだった。  だから詐欺師。  お前はもう二度と・・・俺を支配することはできないんだよ。  俺は目を開けた。  そこには異様な光景が広がっていた。  会場はうねるような声に包まれ、人は座席で蠢いていた。  しゃくりあげるように泣く人。  狂ったように笑う人。  まるでオーガズムの最中のように身体を震わせている人。  怒鳴り叫ぶ人。      俺の隣りの女の子は泣きながら叫んでいた。  誰かを押しのけるように伸ばされた腕の先には誰もいない。  でもその子には見えているのだ。  「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。誰か殺してソイツを殺して殺して」  見開いた目から、涙が零れ落ちる。  女の子の高いソプラノも会場から湧き上がるどよめくような声に溶け込んでいく。  「お父さんなんか死んじゃえ!!」  確かに女の子はそう叫んだ。  それぞれが俺が向かい合ったように自分の何かと向かい合っていた。  それは自分として生きていく責任なのかもしれないし、俺のように赦されたいと思うことなのかもしれない。  うねるような集まった声はまるで嵐の中で効いている風の音のようだった。  俺は圧倒された。  それは凄まじいまでの負のエネルギーだった。  絶望、羨望、嫉妬、嫌悪、衝動。  ただ一つ分かっていたのは救いを求める声であること。  地獄で焼かれる亡者達のように彼らは救いと赦しを求め叫んでいた。  それは醜く哀れな渦だった。  俺もこの一人であったはずなのに、俺は嫌悪を感じてしまった。  それはだって、あまりにも惨めなモノだったのだ。  助かるために・・・全てを差し出す。  文字通り・・・全てを。   他人の命や何もかもを。  そして自分の意志さえも。    舞台の上で詐欺師はそれをにこやかに眺めていた。  こんな時でさえ詐欺師の笑顔は魅力的だった。       詐欺師は抱きしめるように会場に向かって、そのおぞましい渦に向かって手をのばした。  

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