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透明な少年

________ 「────う」 苦しそうな呻き声が聞こえて、パソコン入力する手が止まる。 『や……めて。いた、い。……いたい』 苦しそうな英語の声が聞こえ、振り返って閉じられたベットカーテンに近づく。 英語を自然に話す奴なんて、一人しかいない。 シャッと勢いよくカーテンを開けると、アンジェリーが窓の開いた春の涼しい空気には似合わない量の汗をかいて、普段のへらへら面からは想像もつかない苦しげな表情で呻いていた。 寝てる、んだよな? どんな悪夢みたらこんなにリアルに苦しむんだよ。 「おい、アン………」 『やめて……父さん………っ』 伸ばした手が、アンジェリーに触れる途中で止まる。 いつかのだれかの声と重なり、冷や汗が頬を伝う。 けど、すぐにあほらしいと、考えを振り払った。 「アンジェリー、起きろ」 肩を揺すると、ビクッと目を覚まし手を振り払われた。 『クソが!!さわんな!!』 まだ脳が起きてないのか、不安定な呼吸で辺りを見渡す顔は真っ青で普段の張り付いた笑顔はない。 それから一度うつ向き、深く息をついた。 「せんせーおはよー。もうオレ起きる時間ー?」 『この俺にくそとはいい度胸だな?』 「あらー、英語できたのー」 さっきまでの呻き声がまるで嘘のように明るい笑顔で顔をあげた。 喉に冷たいものを感じる。 こいつ、本当に高2か? 「……お前、うなされてたぞ」 「まじでー?あはは、せんせー夢にまで出てこないでよー」 「お前な……」 こんなときでも憎まれ口をたたく。 人間味をようやく垣間見たと思ったら、また隠される。 まぁ、でも、本人が聞かれたくない内容なら無理に聞くのは逆効果でしかない。 「……あんま無理すんなよ。それと汗拭いてこい」 新しいタオルを棚からだし、冷たい水で絞るとアンジェリーの顔に叩き付けた。 「わぁ、乱暴だなぁ。でも、冷たくてきもちいー。ありがと、せんせー」 問いたださないことに安心したのか、普段の笑顔とは別の柔らかい微笑を浮かべアンジェリーは頬にタオルを当てた。 そんな表情もできるんだな。 「うーん。でも、汗かきすぎだねぇ。せんせー予備のシャツとかないのー?あるでしょー?かしてー?」 謎の疑問系。あるの知ってるなら聞くなよ。 「めんどくせぇな。ほらよ。Lしかねぇけど」 シャツもタオル同様投げると、微妙な表情で受けとるアンジェリー。 そりゃそうだ。こいつはどうみてもSサイズあるかどうか。Lなんて、ワンピースのようになりそうだ。男としては微妙だろう。 しかし、よっぽど汗が気持ち悪いのか、着替えてくると、シャツを片手に部屋を出ていった。 一人になった保健室でタバコに火をつけると、今閉まったばかりの扉が開いた。 「月城先生。ルリ起きてる?」 アンジェリーの保護者役、佐久本。 こいつも、律儀にわざわざ迎えに来て、大変だなと感心する。 「アンジェリーなら漏らししたからトイレに着替えに行った」 「あ、そう」 気まずそうな顔でうつむく佐久本は、あのアンジェリーと違い素直で可愛らしい。 高校生っつったらこうだよな。 「なぁ、あいつってクラスでうまくやれてる?」 「え?」 俺からの質問が意外だったのかキョトンと目を丸める佐久本。 でもすぐに、頷いた。 「やれてますよ。あいつのサボり癖はイギリスからなんで。本当にただの面倒臭がりなだけっす。基本的に誰とでもすぐ仲良くなりますよ」 まぁムカつくことに頭の出来もいいからテストに影響ないですし器用にサボってますよって佐久本は笑って椅子に腰をおろした。 「めずらしいっすね。なんか、月城先生がそーゆーの聞くの」 「普通だろ。一応教師だからな」 腑に落ちないような表情でふぅんと鼻をならし、佐久本はくるっと椅子を回転させた。 「先生は、ああいうのがタイプ?」 「は?」 「ほら、ルリ女顔だし、背も低いし華奢だし、髪も男にしては長い方だし」 拗ねたように口を尖らせる佐久本に思わず吹き出した。 「ほんっと、お前はあのひねくれ者と違ってかわいーねー。心配しなくても俺は健全な女にしか興味ねぇの。お前の大切な親友に手ぇ出したりしねぇよ」 からかうように頭をわしゃわしゃ撫でると、「別にそんなんじゃないですよ」と顔を赤くしてますます可愛らしい。 俺の高校時代なんて、こんなピュアじゃなかったもんな。 そんなやり取りをしていると、着替えを済ませたアンジェリーが戻ってきた。 「あれ?ゆーいち来るの早いねー。まだ授業が終わる10分前だよー?」 「途中から自習になったんだ。お前大丈夫なのか?」 「なにがー?」 「その……」 「漏らししたパンツは大丈夫かって聞いてんだよ」 気まずそうにしている佐久本にかわり俺が意地悪に口を開く。 「はぁっ?」 「わっ!先生!そんなストレートに!」 「ちょっとなにそれー?ゆーいちになに吹き込んでんのー?てか、ゆーいちも信じたのー?ばかじゃない?」 それぞれ違う反応を見せ面白い。 アンジェリーも、佐久本の前じゃ普通の高校生だな。

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