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透明な少年
「あ、ここぉ」
最寄りのパーキング車を停め、ふらふらと頼りない足取りの蒼羽が指差したのは、隠れ家のような作りのひっそりとしたバー。
少し重みのあるドアを開けると、蒼羽は楽しそうに中に入って店内をキョロキョロと見渡した。
カウンターメインの造りで、店内も清潔感があり小洒落た気配りはありつつもゆっくりとしていられる落ち着いた雰囲気。
金曜日ということもあってか、オープンしたてなのにも関わらず席はほぼ埋まってる。
とりあえずカウンターのはしに座るとおしぼりを受け取り、注文を済ませると蒼羽はトイレに向かった。
帰ってくるよな?と不安にもなったが、あいつももういい年なんだし大丈夫だろうと一人で行かせ、もう一度店内を見る。
スタッフもほぼ男で、蒼羽向け。
しかも、顔でとったんじゃねぇのってくらい美男揃い。
5人中3人が男。1人は女だけど、あと一人その5人の中でも一際美形で男か女かどっちかわからない中性的なハーフの子が…………って。
「…………おい」
「あ、はーい。いらっしゃいま………せ」
見覚えのある金髪を呼び止めると振り返った笑顔が固まる。
「まさか校則や日本の法律まで知りませんってことが通じるとは思ってねーよな?アンジェリー?」
「あはは…よくこんな学校から離れたとこにきましたねー」
苦笑いするそいつを壁まで追いやると、こっちも笑顔で対応してみる。
「やー、ほんと、せんせーの笑顔って腹黒くてこわーい」
「茶化すな」
怖いと言われた笑顔をグッと近付けるとあからさまにいつもの飄々とした笑顔がみるみる青くなる。
こいつの表情を露にするのは珍しく、ちょっと面白い。
「あとで話がある」
「………ぁい」
蒼羽が戻ってきたのでアンジェリーを解放し、席に戻ると後ろで安心したようなため息が聞こえた。
まぁ、俺も学生時代は色々、ほんとに色々やりまくってたからあんまり人のこと言えねぇけど、立場ってものがあるしな。
とりあえずここは蒼羽の知り合いの店だしあまり荒波をたてずに越したことはない。
カウンターで蒼羽が店員と親しげに喋ってるのを邪魔しないように静かに戻ったが、すぐに店員が話を中断させ俺に体を向けた。
「はじめまして。蒼羽さんにはお世話になっております。私、オーナーの草薙(クサナギ)と申します。月城さんですよね?噂は予々聞いております」
「くさなぎ堅苦しい~」
丁寧に名刺を差し出してくれる草薙さんに茶々をいれる蒼羽を無視して、俺も「こちらこそ」ととりあえず笑って返した。
「ルリ君とは知り合いですか?」
さっきのを見ていたのか、草薙さんはちらっとアンジェリーを見て目を細めた。
「ええ、まぁ」
「あの子が入ってくれたおかげで店はリピーターがぐんぐん増えたんですよ。男か女かわからない容姿でしょう?ズルいですけど絶対性別は明かさないよう言ったら女性も男性も結構食い付きがよくて」
「商売人ですね」
「で、結局どっちなの?あのおチビ」
「それは店では明かせない決まりなので。……蒼羽さんのお話相手できる方ですよ」
他のお客様に聞かれたらまずいのでと申し訳なさそうに笑いながらもこっそり蒼羽にわかるように答えを言ってる。
「実は私のスカウトなんですよ。コンビニで求人雑誌を手に取ろうとしてたんで、他にはやれないなってその場で」
「あの顔じゃあね」
でもそいつ未成年ですよ。あんたの店、警察来たらやばいですよ。とは、言わない。
まぁクォーターだし、顔から年齢は分かりづらいよな。
「顔もですけど、人当たりもよくていつも笑ってるでしょう?かといって喧しくないし、本当に聞き上手なんで男女問わず癒されるって人が多いんですよ。うちの看板娘みたいなものです」
その看板娘さん明日には来ないですよ。と、言うのももちろん言わず愛想笑いを返した。
「なんでも、日本から絶対に放れられない理由があるらしく、仕事にとても熱心でうちのフルタイムでよく働いてくれてます」
「そうですか」
『やめて、いたいよ、父さん』
つい、今日だ。いつもへらへらと笑うあいつが弱々しく魘されてたのは。
その、日本から放れられない理由に繋がってる気がして、少し胸に引っ掛かりを感じた。
同時に目の下にクマを作り青い顔でよく寝ているアンジェリーの理由も頷けた。
「覚えもよくて、真面目なんで本当に助かってますよ」
「まぁ頭はいいですね。真面目かどうかはさておき」
真面目なんてあいつからかけ離れた単語だろ。
草薙さんと話し込んでいると、コツンと肩に蒼羽の頭が当たった。
………寝てやがる。
「おい、蒼羽」
肩を揺らしても少し唸るだけ。
草薙さんは大丈夫ですよ。冷えたおしぼり持ってきますねと、奥に消えていった。
取り合えず一服して待とうと、タバコに火をつけると、ガシャンとグラスの割れる音が響いた。
「いい加減にしろよ!」
「きゃあ!!」
同時に聞こえる男の怒声と女の悲鳴。
騒ぎのする席を見ると、テーブル席で男が立ち上がった際に床にグラスが落ちたらしい。
幸い怪我はないようだけど。
「おい、店長は?」
「裏口に出て電話中。やべーよどうする?お前行ける?」
「ふざけんな、お前行け」
そばにいた二人の従業員のやり取りから、草薙さんはこの事を知らないらしい。
「おい……」
仕方なくその男女に割って入ろうとすると、金髪の少年がそれより早く女の前に庇うように立っていた。
「お客様、おそれいります。他のお客様のご迷惑になりますのでどうか落ち着いてください」
深々と頭を下げるアンジェリーは申し訳なさそうに笑顔を作っていた。
「……すみません。ついカッとなって。グラス弁償します」
予想と違い丁寧な姿勢に安心したのか、アンジェリーはいつものへらっとした顔に戻り割れたグラスの片付けを始めた。
「とんでもないです。自分もよく割るんですよー。すぐ替えのドリンクお持ちしますね。なに飲まれます?てか、売上献上ありがとーございまーす。あと3つくらい割っていいですよ」
いたずらっぽく笑うアンジェリーに周りから小さく笑いがおき店の雰囲気が和やかになった。
しかし、
「ほんっと、ばっかじゃない!?恥かかせないでよ!これだからモテない男ってやなの!」
我慢ならないと言ったように、見るからにプライド高そうな女がバシャッと自分のカクテルを男の顔にぶっかけながら勢いよく立ち上がった。
「浮気される原因が自分にあるってわかんない?あんた金だけはあったから付き合ってやったけど、ほんっとつまんない男だったわ。さよなら」
まくし立てるように一気に言うと、乱暴にブランドもののバックをつかみコツコツとヒールをならしながら足早に扉にむかった。
男は拳を握り下にうつむき、さすがのアンジェリーも固まっている。
次の瞬間、男は勢いよく血相を変えた顔をあげ女の後ろ姿に掴みかかろうと大股で近寄った。
「stop!はーい。お兄さん、落ちついてー」
いち早く反応したアンジェリーが前に回り男を止める。
「どいてください!浮気するたび泣いて謝るから許してたのに!!」
「わー。さいてー。あなたみたいな、人の過ちを何度も許せる優しい人はそんな人にこれ以上1秒たりとも時間を費やしちゃダメですよー」
アンジェリーが男を止めた間に女はそそくさと店を出ていった。
『ね?』と、アンジェリーが優しく微笑むと、つらそうに顔を歪める男。
「とりあえず、服着替えましょー?ここの制服のシャツと、タオルもあるんで。裏に来てください」
「………すみません」
アンジェリーに案内され、二人が裏に消えていくと店内はまたざわめき始めた。
「勇敢な子だね」
「起きてたのか」
「あの騒ぎじゃね」
まだ眠たそうにあくびをする蒼羽に少し目を向け、すっかり氷の溶けたドリンクを再度注文した。
従業員から騒ぎを聞き、謝って歩く草薙さんを蒼羽が茶化してさっきまでつぶれてたのが嘘のように楽しんでいる。
俺は、少しアンジェリーを見直していた。
もっと、冷たいやつだと思っていた。
感情が欠落したような、人間味のないあの少年が、真っ先にあんな面倒役をかって、甲斐甲斐しく世話を焼いて。
そこらの連中よりずっと優しいんじゃないかって。
なんて、俺らしくもない。
届いたドリンクをぐいっと飲むと、変な味がしてぐらりと視界が暗転した。
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