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冷たい背中
週の始まりの月曜日だと言うのに。
家を出るときは降っていなかった雨が登校途中からポツポツと降り始め、走ったけれど段々と強くなった雨足に学校につく頃にはずぶ濡れにされてしまった。
早く着きすぎた。
なんとなく早起きしちゃってのまま天気予報も見ないで家を出たらこれだよ。
「はぁ…」
ブレザー着てこなかったのが不幸中の幸いだけど、パンツまでぐっしょぐっしょに濡れて、寒いわ重いわで最悪。
元々少し長めだった緩いウェーブの髪が濡れたせいで長さを増し、首やら肩やらに張り付いて気持ち悪い。
今日は体育がないからジャージもないし、このまま今日一日過ごすとかあり得ないんだけど。
そういえば前、保健室に予備のシャツあったし、聞きにいこう。
かなり早く来ちゃったけど、せんせーいるかな?
廊下を濡らさないよう、ズボンを七分におって靴下を脱いで来客用スリッパを拝借すると、持ってきてたタオルで簡単にあちこちを拭きながら保健室に向かった。
ドォーーーーン!
「わっ」
大きい音にビックリして外を見ると、ついに雷まで鳴り出したらしい。
この天気のせいでまだ人のいない校舎はいつもより薄暗く、気味が悪い。
早足に保健室にむかうが電気がついていない。
やっぱりまだ来てないか。
鍵、空いてたりしないかな?勝手に借りてもあのせんせーならなにも言わなさそう。
「あれ?」
少し手をかけると、音たてずにドアが小さく横にスライドした。
あ、来てるんだ。
そっと中を覗くと、せんせーも濡れたらしく上半身裸でタオルで身体を拭いていた。
「………え?」
オレには背を向けているから気付かれてないけど、その広い背中を見て思わず固まる。
広くて大きい背中には、無数の古い傷痕。
遠目でもわかるくらいはっきり残っていて、痛々しい。
「せんせー……」
つい、本当に体が吸い込まれるようにゆっくりと、せんせーに近付いた。
多分、こーゆー話題は気付いても触れない方がいいんだろう。
けれど。
『ああ、君は、ぼくだけの───』
男の声が頭を過り、誰に重ねる訳じゃないけど、放っては置けなかった。
せんせーがビックリしたように振り返り、目が合うといつもの調子でふっとわらった。
「なんだよ。お前が早くから来るなんて。だから雨降ってんじゃねぇの?ほら、タオル」
「……ありがとう」
ぽいっと投げられたタオルをキャッチすると、せんせーはもう新しいシャツを着て背中を隠していた。
「ねぇ」
近付き静かに声をかけると、無言で目を向けられた。
「せんせーの家ってさ、愛妻家で有明なんだってこの間友達に聞いたんだけど、その、背中の傷ってどう見てもDVだよね……?」
こんなときでも、わらった顔を作ってしまうのはオレの悪い癖。
でも、口にしながら胸が痛んだのは、本当なんだよ。
「さぁ?」
短く切られ、冷たい表情に言葉がつまった。
ああ、触れられたく無いよな。普通。
誰にだって詮索されたくない過去のひとつやふたつあるもんだし。
ましてや年下のオレにそんなの聞かれたくないよね。無神経すぎた。
「ごめん…」
でも、なぜか。日曜日見た冷たい横顔が頭をよぎって、止まらない。
背中に、そっと触れる。
「もう、痛くないの?」
せんせーを見上げると、目を見開かれた。
「痛くねぇよ。何年も前のことだ」
「あはは。そうだね……。でも、早く傷が癒えるといいのにね」
こんなの、本当にオレらしくないけど、せんせーの冷たい瞳が、とても痛々しくて、悲しいんだ。
「だから、痛くねぇって」
せんせーはさっきよりずっと穏やかに笑い、オレの頭をタオルでわしゃわしゃ掻き回した。
「それより早く髪乾かしてジャージに着替えろよ」
「ないんだよねぇー。今日体育ないからさー」
へらりと笑うと、せんせーも呆れたようにため息混じりに笑い、ジャージを上下渡してくれた。
「ありがとー。そこのベットカーテン使っていいでしょ?」
「男同士でなに気持ち悪ぃ気遣いしてんだ」
「男のお着替えシーンなんて見たくもないでしょー?」
受け取ったジャージを持ってカーテンを閉めると、ぺちょ、ぺちょと纏わり付く鬱陶しい服を脱ぎ、身体をもう一度拭いて、着替えを始めた。
降り始めに一応コンビニで靴下を買っておいてよかった。
「せんせー、やっぱりこのジャージおっきいよー」
「お前がひょろひょろなんだよ」
「今流行りの細マッチョなんですぅー」
「マッチョをどっかに落としてきてるぞ。探してこい」
……ほんとに意地悪だな。
でも、いたずらっぽく笑うせんせーに、オレもつられて顔が綻んだ。
「そういえば、お前弓道部に入ってまだ一回も来てねぇだろ」
ふと、思い出したようにせんせーが椅子をくるりと回した。
「あーー、うん」
「うんじゃねぇよ。もう少しで部活動合宿あるから、お前も参加しろよ」
「あははっ。やだよー」
「これは全校生徒絶対参加なんだよ。うちの学校一応部活動力入れてんだから」
いやー、知ってたよ?知ってたけど、サボれるとばかり思ってた。
「エーーーー。いつから?」
「来週の金曜日から二泊三日」
ついガクッと肩を落としてしまう。
よりによって週末。バイト休めるかな?
悩んでいると、センセーがタバコに火をつけながらまじまじと顔を見てきた。
「なに?」
「いや、お前極力一人で行動すんなよ。サボろうとして人気のない所行ったりしたら襲うからな」
こんにゃろ。
前回みたいな稀なことはないだろーし、オレだって男だっての。
「やだー。せんせーってば男色家ー?」
「さぁ。試してみるか?」
「ははっオレ男の穴にいれるのなんてまっぴらだなー」
「なんで俺がやられる方なんだよ」
いたずらしてくるせんせーにこちらも笑顔で対応。
さりげなくさっきの冷たい空気を変えてくれていたことに気づかないほど鈍感じゃ無い。
この優しい人と過ごすこの空間はとても好きだ。
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