23 / 594

後戻り

「お前は意地でも言わねぇんだな」 諦めたように笑い、先生はオレの鼻を軽く摘まんだ。 「言うも何も本当に転んだだけだからねぇ」 嘘をつくなら突き通す。基本じゃん。 へらりと笑うと、せんせーはそれ以上は深く聞かずもういつも通りになっていた。 「オレ、そろそろ帰るね。手当てありがとー」 これ以上いると本当に甘えてしまいそうになる。 立ち上がると、せんせーも「送る」と車の鍵を持って立ち上がった。 「いいよー。この間みたいにせんせーの行きずりの女性に勘違いされて怨みを買いたくないもの」 ついそう言ったあとで少し後悔する。 もう少し、一緒にいたかったけど、さすがにこれ以上お世話になるのは忍びない。 けど、せんせーは気にした様子もなく鍵を指で遊ばせながら玄関に向かった。 「車なんだから誰にも会わねーよ。つーか勘違いされたのはお前がチビで女顔だからだろ」 「わー。言葉の暴力ー」 どうしよう。一階は断ったしいいかな? うん、いいよね。 緩む口許を隠しながら、せんせーの背中を追いかけた。 「あ、せんせー、オレの家じゃなくてゆーいちの家におねがいしていい?」 「はいはい」 車に乗ると、せんせーは早速運転席の窓を開けてタバコに火をつけた。 せんせーのタバコと香水の混ざったいつもの匂い。 さっきまでの気まずさはもうなくて。 イギリスでもずっと思ってた。 またこの空間に早く戻りたいって。 せんせーに、早く会いたいって。 「ねぇ、せんせー、さっきの、せんせーは色んな人に愛されてるって話」 「あ?」 あ?って。相変わらず口が悪いんだから。オレも英語だと人のこと言えないけどさ。 それでも、このひとの優しさを知ってるから、その一言でも、なんだか声を聞けるだけで嬉しいような気がするのはきっとオレがイギリスで疲れて帰ってきたばかりだからだと、自分に言い訳をして、言葉を続けた。 「オレも、せんせーのこと愛してる一人だよー。手当てありがとう。月城千さん、愛してるぜー」 冗談っぽく笑うとせんせーは、ばかじゃねぇのって鼻で笑うだけだった。 「あはは。ほんとだよー?せんせーがいつまでも女の人のとっかえひっかえで婚期遅れたら、オレが嫁にもらってあげるからねー」 「オレが嫁かよ。きもちわりぃな」 「そうだねー。あはは。オレも自分でいっといて何だけど、せんせーのウェディング姿とか全身鳥肌立つくらい気持ち悪いねー」 「最近お前俺に大した口叩くよな。一回調教が必要か?」 丁度赤信号で車止まり、せんせーは腹黒い笑みを浮かべてオレの顎をつかんだ。 ずいっときれいな顔を近付けられ、思わずどきっとする。 「いいいやいやいやいや、せんせー?大人げないよー?」 ちょっと焦りながら身を引くと、せんせーは『くっくっ』と、喉をならして笑いながら体を離して、青に変わった信号を進んだ。 「掘り返して悪いけど、お前さ前襲われかけたとき、どーでもよさそーにしてたよな」 「え?あーー、あの時?そうかな?」 普通に厄介だなぁとか思ってたけど。 「そんな風に顔赤くして焦ることもあるんだな」 「はぁっ?なにいってんのー?ばかじゃないのー?あはは、焦ったこととかないし」 うそ。焦ってる。でも、なんか悔しくて、悪態つくと、せんせーは面白そうにオレの頭をくしゃくしゃした。 「はいはい。かわいいかわいい」 男に可愛いとか、ほんとばかじゃないの。 「うれしくないよ。もー、ほんっと意地悪。やめてよね」 でも、この頭撫でられるのはちょっと嬉しい気がして。 なんだか調子が狂う。 だから、怒ったふりをして顔を背けた。 でも、また楽しそうにくっくって笑うせんせーの声が聞こえるのは、やっぱり好きだな、なんて思ってしまう。 こんなの、イギリスで疲れて帰ってきたせいだ。 だから、距離感掴めてないだけ。 走ったあと見たいに心臓がばくばくするのも、全部そのせい。 ゆーいちの家のすぐ近くのコンビニに車を止めてもらい、もう一度ちゃんとお礼を言おうと、せんせーの方に体を向けた。 「せんせー、怪我の手当てに送ってまでくれてありがとー。それと、今日話聞けて嬉しかったよー」 「ん。もう傷作るなよ。次はほっとくからな。めんどくせぇし」 「あははっ。そんなこと言って優しいからほっとかないくせにー。こーゆーのあれでしょ?ツンデレってやつ~」 「やっぱり調教が必要か?」 ニコと腹黒い笑みを向けられ、ゾッとする。ほんと、なにが保健室の王様だよ。魔王だろ。 「せんせー、ほんとうに顔こわいよー。これあげるから見逃して?」 笑ってごまかしながら準備していた小包をせんせーに差し出した。 なんだこれ?と、つまむせんせーにもう一度笑って「内緒」と答えた。 「さっき言ったでしょー?お土産あるって。日頃の感謝をこめた心ばかりのお礼です」 「賄賂の間違いだろ」 「あはは。バレた?これからも保健室のふかふかのベットで寝かせてねー」 せんせーはオレの頭を小突きながら「あほ」とふっと笑った。 ああ、やっぱり。このひとの笑顔を見るだけでなんか泣きそう。とか。 今日のオレはやっぱりおかしい。 「じゃーね。せんせー。また学校で」 なんとか笑顔で手を降るとせんせーは軽く手をあげて行ってしまった。 自分の感情に納得のいかないまま、ゆーいちの家に早足で向かい、ゆーいちの家のチャイムを鳴らすころに落ち着いていた。 「あら!ルリくん!やだ!なにその怪我!あなたはもうほんと昔から怪我ばっかりしてるんだから~!」 オレの顔を見てぎょっとした顔でゆみちゃんが抱きついてきた。 その体を受け止めながら懐かしいなって思う。 イギリスにいる頃もこうだったから。 いつもこの人の腕に包まれて安心していた。 「ゆみちゃん、いたいよー。イギリスに行ってたからお土産あるよー」 「まぁた昔の悪いお友だちとやんちゃしてきたんでしょ~!もうもう!おばかさん!だめよ!」 ああ、この明るい声が、好きだ。 安心する。 「ごめんなさーい。ねぇねぇ、今日は、ゆーいちいる?」 「2階よ。ジュース持っていくから、ゆっくりしていってね。今日は晩ごはん何が食べたい?」 当たり前のようにご飯を聞いてくるゆみちゃんに、また自然と笑い返した。 「ゆみちゃんの作るごはんは何でも美味しいからえらべないよー」 「あら!そんなこと言われたら張り切っちゃうじゃない!ねぇ、やっぱりうちで一緒に住みましょうよ!」 「あはは。また泊まりにくるね」 ゆみちゃんの腕から抜け出し、階段へ上がりながらも、ゆみちゃんは「ほんとうに住みましょうよ!」って言っててくれた。 オレ、昔は本当にゆみちゃんと結婚するっておもってたんだよね。 ゆみちゃんお嫁さんに来てって言ったら、嬉しそうにいくいく!って言ってくれたから。 今はね、ゆみちゃんがオレのお母さんとかお姉さんだったらよかったのにって少し思うよ。 「ゆーいちー。きったよー」 部屋のドアをノックもなしに開けるとゆーいちーは、ベットの上で安らかに寝息をたてていた。 ベットまでの短い距離を軽く助走をつけてゆーいちーの上に飛び乗った。 「ぐぇっ」 突然のことに軽く咳き込みながら、目を白黒させているゆーいちーに、「おはよう」と意地悪く微笑む。 「あー、んだよ。ルリかよ。帰ってきたの?」 「うん、ただいまー。会いたかったでしょー。真っ先に会いに来てやったぜー」 オレの体重なんて、全く感じないように軽々と抱えられたまま起き上がったゆーいちーはまだ眠たそうに大きくあくびをしている。 「普通に起こせよな」 「連休だからって夕方からグースカピースカ寝てるゆーいちーが悪いんだよー」 「てか、その怪我………あー、いいや。あんま無茶すんなよ。貧弱なんだから」 「誰が貧弱だって?」 オレの頬の大きなガーゼに触れて、気まずそうに手を引っ込められた。 オレが、イギリスで荒れて喧嘩ばかりしていた時期を知ってるからか、ゆーいちーはオレの怪我にたいして周りほど敏感じゃない。 だからこそ、居心地がいい。気を使わないというか。 『お前は器用なのか不器用なのかわからねーやつだな』 あんな風に、優しく触れられると正直どうしていいのかわからなくなる。 「てか、宿題終わった?」 手に巻かれた包帯を見てせんせーのことを考えていると、ゆーいちーが話題を変えてきた。 「あんなもん。初日で終わらせるものでしょー」 「お前、不良の癖に真面目に宿題なんてやってんじゃねーよ」 「学年4位の秀才になんてこというかな」 てか、不良じゃないし。器用なだけで。 「そんなこと言うなら写させないよー」 持ってきていたノートをひらひらさせると、手のひらを返したようにゆーいちーが「ルリ様」なんて言い出すから、仕方なくノートをそのまま渡してあげた。 さっきまでのんきに昼寝していたやつとは思えない必死の形相で写しだすゆーいちーのノートを覗きこむと、きれいに真っ白だった。 こいつ。はじめからオレの写すつもりだったな。

ともだちにシェアしよう!