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逃避

「ルリ。すごい格好だけど、何してんの」 呼ばれた声に顔をあげると、傘を持った新野さんが立っていた。 「あ、新野さんだー。こんばんは。さっきも会ったよねぇ」 一瞬で笑顔が顔に張り付く。 今は誰にも会いたくなかったのに。 「……すごいな。少し前から様子見てたんだけどひっでぇ顔してたのにそんなすぐ表情つくれるもんなんだな」 新野さんがまるで珍獣を見るかのように面白そうに笑いながらまじまじとオレの顔を覗き込んでくる。 ああ、もう。厄介な相手に会ってしまった。 放っててほしい。 「えー?雨降ってきてうざーいって気持ち顔に出てたかなぁ」 「ううん。不幸のどん底ですって顔だったよ」 試すような含み笑いに、ひくっとこっちの笑顔が引き攣る。 ズケズケと、やめてよ。 「ここ慎太郎の店から近いよね。ルリが仕事あがるのはいつも終電より後だし、て言うことは自宅は店から徒歩圏内。 なのにこんな雨の中、家に帰らずそんなボコボコの顔で歩いてる理由は、な、あ、に?」 訳ありなのは全部お見通しですって顔で笑う新野さんに、言い訳とか作り笑いとかすることがひどく面倒に思えて笑うのをやめた。 「やっぱりルリはそういうの、似合ってるよ」 「…ハッコー?」 「うん、そう。薄幸そうな雰囲気ね」 思わず、くっと笑ってしまう。 たしかにぼろぼろの姿はオレにお似合いだよな。 昼間のようなあの人の隣ではしゃぐ姿なんて、分不相応にもほどがある。 「ねぇ、なんか自暴自棄になっちゃってるルリに提案。1、ルリはなんらかの理由で家に居たくない。2、頼る場所もない。3、お金もすこし困ってる。以上に間違いないならさ」 指を一本ずつ立てて、三本たったとき、新野さんは傘をオレに傾けて、指を立てた手を開いて差し出してきた。 「全部解決できちゃうから、俺の家来いよ」 多分、かわりに絵のモデルになれって話だろう。 こんな顔じゃまたしばらくBARの仕事は休まなきゃいけないし、悪くない話なのかもしれない。 何より、あの家に今はとにかく居たくなかった。 「オレ、こんな顔ですけど今更モデルなんてできますかね」 「へーきへーき。寧ろルリの様子見ながら1発3万とかで痣作っていいか交渉するつもりだったし」 「はは。じゃあ今、割と好都合だったりします?」 「うん、手間は省けたよな」 オレ、金さえ握らせたら殴っていいような奴に見えるのかな。 見えるんだろうなぁ。 そんなこと考えることすらもはや面倒だ。 「先に言っておくけど、ずっと面倒を見る気はない。あくまでもギブアンドテイクだと思ってるから、絵が泊まり込みだと1週間から10日で完成するから完成したら出ていってくれ」 そこに優しさとかない。 あくまでもメリットがあるからだとハッキリ伝えてくれる。 新野さんはきっとオレ個人にはとことん興味なんてないんだろう。 それが今は心地よくて差し出された手をろくに働かない頭のまま握った。

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