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逃避
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新野さんの家はオレの家から割と近くの一軒家だった。
こんな広い家に一人で住んでるとは思えない。
「……オレやっぱ迷惑じゃない?一緒に住んでるご家族とか……」
「いねぇよ。ここ、自宅兼アトリエだから多少ボロいが広めの中古の家買った。マンション暮らしの頃より毎月の支払い安く住んでるよ」
よかった。
正直、今誰かと会ってもうまく取り繕う自信がなかったから。
3LDKで、リビング以外の部屋は一室寝室であとの2部屋はどちらも仕事部屋らしい。
「悪いけど俺、人がいると寝れないから。ルリはリビングのソファで寝てくんない」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ早速、今表情めちゃくちゃいいし、描き始めるからついてきて」
「オレ、ずぶ濡れなんですけどお仕事場にこのまま入っていいんでしょうか。お部屋や道具濡らしちゃいません?」
「いーのいーの。今の悲惨な現状のまま描きたいから」
悲惨ね。
だよなぁ。たしかにボコボコでずぶ濡れって中々悲惨だ。そんなこと、誰にどう思われようがもはやどうでもいい。
奥の部屋に行くと、部屋の雰囲気がガラッとかわって一昔前の西洋風のインテリアに、イギリスを思い出してチリっと胸が疼いた。
「ハイじゃあ、服脱いでそこの出窓に座って」
こちらに目も向けず新野さんはガチャガチャと画材を広げなが口にする。
初めて新野さんからモデルの仕事を頼まれた時、多少恥ずかしさはあるだろうと思っていたのに、心一つ乱れず服に手をかけた。
「下はカーテンで隠すからパンツまで脱げな」
「……わかりました」
風景とか、棚とか、そういうものと変わらないものを見る目で新野さんはオレを映す。
凶器のように鋭く、そしてひどく濁ったような父親の瞳も、軽蔑と嫌悪感むき出しのゆーいちの瞳もここにはない。
穏やかで優しい瞳を向けてくれる千さんだって、今後その目でオレを映してくれることはないだろう。
全部脱いで、言われた通り出窓に腰掛けた。
新野さんが近寄ってきて、カーテンの位置を決めると、少し離れて考え込むようにうなる。
「片足は膝を立てて上にあげようか、で背は縁にもたれて、表情は窓の外見て」
言われた通りにすると、「いいね」と呟きながら棚の置物を手に取ると振り下ろした。
オレの顔当たるか当たらないかのギリギリを横切り耳元でガシャと音を立てて窓が割れる。
「うん、やっぱここは割れてる方が味が出るな」
満足げに笑って、キャンバスその前の椅子に腰掛け、じゃあ始めるぞ。と一言声をかけて、カリカリと静かな音が鳴り始めた。
「あ、悪い。割ったガラスで太ももとほっぺ切れてんじゃん」
そうなのかな。
痛くはないけど。
「かまいません」
「……顔に当たるか当たらないかで鈍器振り下ろされたら普通、反射的に避けねぇ?顔色ひとつ変えないで、お前大丈夫?生きてる?」
大丈夫?という割にその声は楽しそうだ。
あの瞬間、当たろうがどうでもよかった。
何もかも考えることが面倒で、カリカリと響く音と外から聞こえる雨の音だけが耳に届いた。
そんな時間がひたすら続いて、やがて時間の感覚がなくなっていく。
オレは今、生きてる状態なのだろうか。
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