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腕の中
千side
リチェールが学校を休んで3日、ようやく佐久本の話で休んでる理由がわかった。
それと同時に今までにない感情が湧き出す。
これは、怒りなのか、焦りなのか。
リチェールがイギリスに帰らないと啖呵切った話は聞いていたけど、普通次の日にすぐ海外にくるか。
自分達がしてきたことを世間にバラさせると焦りを感じたのかもしれない。
それを差し引いても狂気のような執着心を感じる。
しかも、よりによってそれを佐久本に知られてしまうなんて、つくづくあいつは運がない。
"ゆーいちに知られたら、生きていけない"
そう言って震えていたあいつを思い出して、思わず舌打ちが溢れる。
やはり、月曜日の電話で様子がおかしいと思った勘は外れてなかった。あの時もっと問いただすべきだったんだ。
いや、そもそも土曜日いっそ家に泊めればよかった。
そんなことを今更考えても仕方ない。
とにかく早くリチェールに会おうと家向かうも留守だった。
携帯も電源が落とされているアナウンスが響き、メッセージも既読がつかない。
まさか、本当に思い詰めてバカな真似してないよな。
いや、親父さんがまだいるのか?
そんなことを考えると背中に冷たいものが走る。
警察に連絡するかと本気で考え出した時、ポケットに入ったスマホが音を立てた。
見ると蒼羽からのメッセージで、今は無視しようとしたけど、目に入った最初の一文が目に入りすぐ全文を開いた。
"草薙のところの千のお気に入りの子のことで千に連絡取りたいって人いるらしいから、電話番号伝えとくね。気が向いたら電話してだって"
すぐかけてみると、出たのはあのふざけた画家だった。
話の内容は、リチェールが土曜日の夜から家に泊まってることと、あと2、3日で絵が描き終わるから迎えに来て欲しいという話だった。
「今すぐ迎えにいく。どこですか」
「あー、今はダメ。まだいいとこまで描いてないもん。特急で描いても油絵って乾かす時間途中で必要だし、通ってもらう形でもいいけど、あなた一回ルリのこと返したらもう貸してくんないでしょ〜。あと2、3日待ってね」
「ふざけるな」
「大丈夫。俺にはあなたがルリに向けてるような感情はないよ。指一本触れてないし。……あ、キズはちょっと作っちゃったか」
「……おい」
傷をつけただと?
今すぐにでもぶん殴ってやりたい。
怒りで、スマホを持つ手が震える。
気をつけないと割ってしまいそうだった。
「うっわ、何その声。こわいなぁ。わざとじゃないっすよ。ガラスが割れちゃったんだけどルリが避けなかったんです〜」
人の感情を茶化すように軽率に笑うこの男に神経を逆撫でされる。
「会った時、殴らないでくださいよ。そんな怖い声出されたら、家教えるのやめよっかなって思てくんじゃん」
「うるせぇ。今すぐ言え」
「だから、せめて3日待ってって。本当はあと2週間くらいかけたいんだけど、ルリが限界だから苦渋の決断であんたに電話してる俺の身にもなって」
「おい、限界って何だ」
「えぇ〜?メシはくわねー、睡眠はとらねーわ、風呂は冷水シャワーで血が出るほど体洗ってるわで、放っとくといい加減死にそうだわ」
「ふざけんな!本気で殺されたくなかったら、今すぐ場所言え!」
「だ、大丈夫!さすがに栄養ゼリー口に突っ込んで飲ませてやったって!俺は絵を完成させたいんだよ!大体、ルリが自分で選んであんたの所より俺の所にいるんだろ!大体あんた親戚つったって、親兄弟でも付き合ってるわけでもないんだろ?関係ねぇじゃん!」
焦ったように早口に言われた男の言葉に、思わず一瞬言葉が止まる。
関係ないと言えばない。
でも、あいつは俺の生徒なのだから心配なのは当たり前だ。
……そんな言い訳が通用しないくらい、特別扱いしていることはいい加減自覚があった。
あいつを傷つけた奴は親父さんだろうと殺してやりたいと思うし、あいつが俺以外の男を頼ったことにも腹が立つ。
黙った俺に、男が俺の様子を伺うように慎重に声を出した。
「一回でも倒れたり、本気でやばいと思ったらちゃんと返すよ。俺も面倒に巻き込まれるのはごめんだし。遅くても3日後、ちゃんとあんたに電話するから、迎えに来てやって」
これ以上脅して、本当に家を教えなくなることの方が今は避けたい事態だ。
断腸の思いで、わかった、と答えた。
それから電話が来るまでの3日間、タバコの量は増えるし、イライラして、リチェールのことが頭から離れなかった。
やっと電話が来て、伝えられた家に向かう。
リチェールの家からそう遠くない所だった。
画家の男に会った瞬間、本気で殴りたいと思ったけれど、何よりも先にリチェールを捕まえようと、男が指をさした廊下の先のリビングに向かって進んだ。
「……な、んで」
俺をバケモノでも見るかのような目で見て真っ青になって固まるリチェールはたった8日間で、驚くほど生気を失った顔をしていた。
さらに、でかいTシャツ一枚に、曝け出された白い太もも。
その無防備な姿に顔が強張ることが自分でもわかった。
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