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嫉妬

家につくと、ゆっくりソファに下ろされなんとなく寂しくて千さんの服を掴んでしまった。 さっきだって本当は歩けたけど、くっついていたくて抱き上げられたときそのまま甘えた。 「そんな顔してんじゃねぇよ。服、替えないとずぶ濡れだろ」 ぽんぽんと頭を撫でてくれる手に、つい自分からすり寄ってしまう。 シンヤのこともそうだけど、昼間の女性を支える光景が頭から離れなくて、なんともいえない不安感に、少しも離れたくなかった。 「着替えなんていいよ。先にお風呂入りたい」 言ってしまってからハッとする。 まるで今そういうことをしてきましたって匂わせるような台詞。 今日はどうしても物事を上手く考えられない。 千さんもぴくっと眉を潜めて、怒りを耐えるような深い息をついた。 「風呂、いれてやろうか」 「いい、大丈夫」 「お前、今顔色最悪だから、少しでも体調悪くなったら倒れる前に呼べよ」 「うん、ありがとー」 辛うじて笑うと、ゆっくり立ち上がった。 こんな歯形だらけの汚い体を見られたくないのもそうだけど、少し頭を整理する時間も欲しかった。 服を脱いで、シャワーを捻ると冷たい水が頭に降り注ぎ、熱が冷めると少しずつ頭がクリアになっていくようだった。 明るいところで見ると、シンヤがつけた跡は赤黒く変色してるものもあってひどく目立っていた。 たぶん、千さんも気付いていたと思う。 少し押すだけで痛むその跡をボディーソープをつけたスポンジで強く乱暴に何度もこすった。 「…………っ」 痛む度にシンヤとの行為を思い出してしまって鳥肌がたち、全身がガタガタ震えた。 シンヤは口では色々いってたし、ひどいことをされたけど、表情は、切羽詰まったように辛そうだった。 自分でもそう言ってたようにあの優しいシンヤにあんなことさせてしまったのはオレなんだろう。   父さんも、名前も知らない同級生も、シンヤも、オレがおかしくしたのかな。 汚い、さわるなと言ったゆーいちの言葉が今さら頭に響く。 ごめんね、ゆーいち。 ゆーいちの大切な友達とこんなことになってしまった。 やっぱり今更仲直りなんて無理だよね。 ……どの面さげて。 何度もオレを救ってくれたゆーいちの屈託なく笑う顔すらもう朧気でよく思い出せない。 _________ お風呂から上がると、千さんはソファに腰かけていて、オレに気付くと吸っていたタバコをもみ消して、隣をぽんぽんと叩いた。 座れって意味なんだろう。 「……飲み物、とってこようか?」 「いいから、座れ」 少し気まずく思いながら、体ひとつ分のスペースをつくって座る。 千さんを見ると、横顔からは何を考えてるかわからなかった。 「………せんさ」 「秋元にされたのか」 名前を呼ぼうとしたら、低い言葉に遮られた。 千さんは、やっぱり気付いてる。 「………え、っと…………」 「どこまでされた?」 言葉につまって、ぎゅっと服を握る。 本当のことをいったら、千さんは昼間の女性のところに行ってしまうのだろうか。 そう思うと、胸が刺されるように痛んだけれど嘘をつけるはずもなく小さく口を開いた。 「……最後まではしてない……けど、それ以外のことは……」 千さんの返事が怖い。 このまま捨てられたって仕方ない。 震える手を隠して返事を待った。 「…………あの時、お前をつれて帰るべきだった」 え。と聞き返そうとすると、肩を抱き寄せられた。 とん、と千さんの胸板が顔に当たる。  「頼まれた仕事だからって、泣いてる折山をそのままには出来なかった。 リチェールが秋元の手を引いて出ていったとき、何を差し置いても止めてればお前がこんなに傷付くことはなかったんだろうな」 「ちが………っオレが………」 「リチェールは何も悪くねぇよ。辛かったな」 労るように押さえつけられた手首の跡を撫でられ、止まったはずの涙がまたこぼれ落ちた。 あれ、累くんだったんだ。 勘違いして、千さんの気持ちを疑って突っ走って、本当にオレはバカだ。 千さんはいつだってオレを攻めたことはなかったのに。 「ムカつく。キスマークの付け方も知らないガキが人のもん好き勝手しやがって」 「んっ」 首の歯形に千さんの唇が触れて、くすぐったい。 そこの痛みが、すっと引いた気がした。   手の震えがいつの間にかおさまってることに今さら気付いた。 「…………さっきまでね、シンヤの声とか、感覚とかそればかり思い出してずっと息がつまったように苦しかったのに、千さんすごいね」 「ん?」 「千さんの腕の中にいると、安心する」 ああ、そう。と、千さんは穏やかに笑うけど、本当にすごいと思う。 匂いも、声も、体温も、全部が優しくオレの体を解してくれるようだった。 それから、熱中症で倒れたこととか、お風呂場でのこととか、シンヤの家から逃げ出したことを、言葉を選びながら話したけど、さっきまでの怖さはもうなくなってた。 千さんは、平然とした表情で、オレを撫でてくれてたけど、反対側の手が爪が食い込むくらい強く握られてたことに気付いて、少し切なくなった。 オレが気にするって思って表情に出さないようにしてくれてるんだ。 こんなに優しい人にどうしてオレは頼るばかりで何もできないんだろう。

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