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先生の友人

「リチェール寝た?」 「ああ」 寝室から出ると蒼羽が新しいチューハイを冷蔵庫から取り出していた。 「お前今日泊まるの?帰るなら送るけど」 「うわっ、ひどーい。 僕をさっさと帰らせてリチェールとにゃんにゃんする気なんだー」 にゃんにゃんって。 アラサーのおっさんが言っても可愛くねぇよ。 ソファに腰かけて、持ち帰った仕事をするためノートパソコンを起動させた。 「リチェールっていい子だよね。でもちょっと気使いすぎかな」 「だな」 「千が帰ってくるまでさぁ、ずっと千の話してたんだよ。 千さんの好きな食べ物なんですかーとか、学生時代どんな子だったんですかーとか」 カタカタとタイピングの音が静かに響く中、蒼羽が小さくため息をつく。 「でも、千の親のこととか背中のこととか絶対聞いてこなかったよ。本当に愛されてるね」 蒼羽の長い指がつんと頬に当たる。 女の言う安っぽい愛してるとか言う言葉が嫌いだった。 親にひどい扱いを受けた幼少の頃。 だれでもいいから、だれかに愛されたかった時期がたしかにあった。 母親は俺の肌が褐色でなければよかっただの。目が青くなければだの泣きながら言い放った。 この容姿が母親の不貞のなによりの証拠となったから。 父親はそんな母親を許すと言った。 何もかも悪いのは相手の外国人と、生まれてきた俺なんだと酷くなじった。 それなのに、女たちは簡単に愛してると口にして体を委ねてくる。 彼氏が居ようと、婚約者がいようと、目が合うだけで簡単に。 彼氏とうまくいかないだの、婚約者が実はひどい人だっただの、今まで愛していただろう相手を悪者にして言い寄る姿が滑稽に映った。 わがままで自己中で。 幼少の俺が失望してる。 だから、好きとか愛してるとか言わない割りきったやつが俺は好みだったし、逆にそう言われるとどんどん相手を冷めた気持ちで見ていたはずなのに。 『千さん、大好き。愛してる』 もう何度も言われたリチェールの言葉は自然と馴染んでる。 「……知ってるよ」 ふと口元が緩んでしまったことが自分でもわかる。 すぐに手で口を押さえたけど、蒼羽はよりいっそう楽しそうにケラケラ笑いだした。 「あはははは!千のそんな顔初めてみた!きもーい!」 「蒼羽、うるさい」 一通り笑った蒼羽が息をついて、たま一口チューハイに口をつけた。 「でも、よかったよ。千が人間に戻れたみたいでさ」 「言い方ひどいだろ」 「あはは!だってそうなんだもーん」 いつの間にか止めてしまっていた指を再びキーボードに走らせて、蒼羽の笑い声を聞いていた。 しばらく昔話をしてると、蒼羽がうとうとしだしたので車で送ってやり、俺も仕事が一段落ついたところで寝室に向かった。 気持ち良さそうに寝ているリチェールの隣に横になると、すぐに無意識なのか胸にすりよってきた。 いくら体が小さくて女顔でもこいつは男で、ましてや生徒だ。 ほんの数ヶ月前まではあり得ないはずだったのに、不思議なものだと思う。 華奢な肩を抱き寄せると、どんどん重たくなる瞼に逆らわずに目を閉じた。

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