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電車

そして今日一番最悪なのは、 「リチェール、お前なんか俺に隠してるだろ」 千さんが気付き始めてること。 昼休み、じとっと睨まれて笑ってごまかす。 「ええー?何がー?別に隠し事なんてないよー?」 態度に出てたか?いや、出してないと思う。 言ってもいいけど言うほどの問題でもないって思ってた。 でも今朝のことは言ってもいいのかな。 いや、言うべきじゃないだろう。 男が痴漢一人もどうにもできなくてどうするの。 ただでさえアレコレ迷惑掛けてるのにこんなしょーもない内容を言ってどうするっていうの。 構ってちゃんか。 「それより千さん。 次の日曜暇ね、肉じゃが作ってみたい! キッチン借りていいー?」 和食のレシピがのってる雑誌を広げて笑うと、千さんが小さくため息をつくのがわかる。 話そらしたの、あからさまだったかな? 「限界になる前にちゃんと言えよ」 全部お見通しって言うように頭をぽんぽんっと叩かれ、口ごもる。 なんで千さんはいつもこんなにオレに甘いんだろう。 蒼羽さんが言ったみたいに、迷惑を掛けてほしいみたい。 オレが甘えやすくしてくれてるんだって思うと、なんだか泣きそうになる。 言ったところでどうしようもない問題だし、困らせるだけなのに。 「あ、のね……千さん、全然大したことじゃないんだけどね……」 「なに」 迷いながら発した言葉に、千さんは優しく答えてくれる。 膝の上で手をぎゅっと固くしめて、意を決した。 「GW明けからね、電車で……多分、同じ人に痴漢されてるかもしれなくて…」 「は?」 千さんの声が少し低くなる。 拍子抜けって感じ。 やっぱりこんな小さい問題でイチイチ悩むなって思われたに決まってる。 自分でなんとかしろよ、お前男だろって言われそう。 「さ、最初はね、ちょっと触られるくらいだし、気のせいかな?って思ってたんだけど、そうじゃないっぽくて。 でも一週間に2、3回くらいだし、オレ男だし触られるくらい騒ぐことでもないかなって思ってね。 そのままにしてたら、頻度も行動もエスカレートしていって。 でも、満員電車でできることなんと限られてるし、そんなに気にしてないんだけどね」 呆れられたくなくて早口で言う言葉を千さんは黙って聞いて、深くため息をついた。 「………怒ってる?」   千さんの顔を覗きこむと、難しい顔してオレを見下ろした。 「……悩んでる」 何を? 怒ろうかどうか? なんだか、千さんらしくない。 「こういう問題を初めて自分から話したことは成長したと思うし、ほめてやりたい。 でもお前、言うの遅ぇよ。GWって、半年前じゃねぇか」 「え、え、ご、ごめんね? 大したことじゃないって思ってて……」 驚きながら、しどろもどろ答えると、千さんに鋭く睨まれ言葉がつまった。 「何が大したことじゃないって?」 やばい、千さんが怒ってる。 千さんはぶっきらぼうなことはあるけど、滅多に怒らない。 千さんが怒る時は、いつも____。 「___ご、ごめんなさい」 「……………」 「千さんが怒る時はいつもオレが無理してるときだよね。 ごめんね、無理してるつもりはなかったんだ。 最初は気にもしてなかったし、だんだん違和感を感じた時には、こんなことで落ち込むなんて恥ずかしくて言えなくて……」 何て言葉を続けても、言い訳に思えてしまう。 どうしよう。言えばいうほど、呆れられてる気がする。 千さん、こーゆーとき黙っちゃうし、沈黙が怖い。 「嫌いにならないで?」 恐る恐る見上げると、くんっと体が引き寄せられ、千さんの胸に収まる。 なんか、オレずるいよな。 嫌われそうになったら、いつも嫌いにならないでってすがって優しい千さんに付け込んでる。 わかってるけど、やめられない。 千さんに甘やかされたオレはもうこの人なしでは何もできないとさえ思えてしまう。 「よくよく考えたら、お前転校してきてすぐ屋上で三年に襲われそうになった時、どうでも良さそうに無抵抗だったよな。嫌だと思えるだけ、今はマシか」 「うん?うん、千さん以外の人に触られるのやだ」 千さんの雰囲気が幾分か柔らかくなったことを良いことに、顔を胸にすり寄せて甘えてみる。 懐かしいな。 あの頃はまだ千さんと出会ってすぐの頃だ。 初めて千さんに助けてもらったとき。よく覚えてる。 たしかにあの頃は大事になることがめんどくさくて、抵抗しなかった。 今同じシチュエーションになったら、死に物狂いで抵抗するのに。 千さんが、どんどん空っぽだったオレに色んな感情を教えてくれるみたいだ。 悲しいも、苦しいも、愛しいさえあの頃のオレにはなかった。 ただ呆然とある寂しさを、ゆーいちに依存する形で紛らわせてただけ。 誰かの機嫌を損ねることをこんなにも怖いと思ったのは初めてだし。 だって、いつも千さんが怒ってるときはオレが間違ってるから。 アキちゃんの一件でちゃんとわかったはずなのに。 中々変われないな、オレは。

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