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電車
ひどかった格好をある程度整えて、保健室にむかった。
早く、千さんに全てを話して、抱き締めてほしかった。
千さんなら何とかしてくれる。
上手く、この状況を解決して、ぎゅって抱き締めてあんなやつの感触なんて忘れさせてくれるはずだ。
すがるように保健室にむかって、ドアの上にある正方形の小さい小窓から、電気が見えるから、中にいることが分かりほっと息をついた。
「う………っうう………っ」
ドアを開けようとする一歩手前、中から累くんの泣き声が聞こえて手が止まった。
「そんなに泣くな、折山。目、腫れるだろ」
千さんの優しい声にフレッシュバックするファミレスのあの光景。
胸が苦しくて、息が詰まりそうだった。
出直したらいいのに、足が硬直して動けない。
千さんはお仕事なんだから。妬くな。
累くんはすごく苦しんでるのに、嫌だなんて思っちゃダメだ。
必死にそう自分に言い聞かせて、後ずさる。
「だって………だって、怖いし、気持ち悪いよ…………あんなにたくさんの人とエッチしてさ…………」
なんの話をしてるの?たくさんの人とエッチして?
………オレ?
どくどくと、胸が苦しいほど早鐘を打つ。
「そうだな、もう忘れろ」
千さんの言葉に頭が真っ白になった。
そうだな?
やっぱり千さんは、色んな人とエッチしてきたオレを気持ち悪いって思ってたんだ。
"月城は折山ともできるんだよ"
田所先生の声がよぎって、すぐ頭を振る。
そんなわけない。
だって、愛してるって言ってくれた。
「いつも、迷惑かけてごめんなさい………月城先生…………僕のこと、どう思ってる…………?」
「…………っ」
その答えを聞きたくなくて、弾かれたように、その場から走り去った。
"リチェールは汚くなんかねぇよ"
千さんの優しい声が頭の中で再生される。
嘘つき。
他のやつに触らせんなってのも、気持ち悪いから?
慰めで付き合ってるの?
気を使ってオレのこと触ってくれてたの?
……そうしてる相手って他にもいるの?
たくさん千さんに救われた。
少しの期間だったけど、本当に想い合えたって思えたし、幸せだったけど。
_____こんなに苦しいなら、そんな優しさいらなかった。
駅に駈け足向かうと、電車を待つホームで千さんから着信があった。
そう言えば、今日は一緒に帰るって約束をしていた。
取ろうかどうか悩んだけど、取らなかったら心配してしまうんだろうなって思う。
優しいから。
皮肉な笑みがふと溢れて、ついでに涙まで溢れそうになった。
「もしもし」
「リチェール?今どこにいる?
今俺も仕事終わったから帰るぞ。駐車場に来れるか?」
優しくて、穏やかな声が届いて、胸が刺されるように痛んだ。
この優しさも全部、ひどいものとは思わない。
偽物だったとしても、救われたのは事実だし、千さんがオレのこと気持ち悪いって思いながら同情で付き合ってとしても、オレが千さんをずっと好きなのは変わらない。
今までたくさん助けられてきて、こんな形で巻き込んでしまった。
オレから解放してあげることが唯一できる千さんへ恩返しだ。
スマホを握り直して、ひとつ息をはいた。
「そのことなんだけどねー。
オレ今日たまたま痴漢やろーの正体見付けてさー」
「は?」
「ほら、手を引っ掻いたっていったでしょー。
手に新しい引っ掻き傷のある生徒がいて、その人に詰めよったらあっさり白状してくれたんだよねー。
もう正体もわかったし、しないってー」
「なんだそれ。そいつだれだよ」
「名前までは聞かなかったけど、ネクタイ見ると三年生かなってだけ。もう解決したしいいよー」
声が段々険しくなっていく千さんに、オレは変わらず明るい声で話し続けた。
「俺からキツく言う。そいつの特徴は?」
「いやいやー、もうしないって言ってるんだからいいんだってー。
千さん、オレだってこれくらいの問題自分で解決出来るんだよ」
胸がズキンズキン痛んだ。
胸だけじゃなくて、壁にぶつけた頭も、噛まれた唇も痛い。
田所の舌が未だに体を這ってる感触が残って鳥肌が収まらなかった。
今すぐ抱きしめてほしいよ、千さん。
「だからね、千さん。もう大丈夫だよー」
ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
千さん、オレはまた今日違う男に触られて、キスされたよ。
その事を言ったら、汚いって思いながらも、慰めてくれるんでしょう?
そんな優しい千さんにこれ以上迷惑はかけられない。
「オレはもう大丈夫だよ千さん。自分のことは自分で解決できる。
だから、その……もういいからね」
「……なにが言いたい?」
千さんの声が一気に低くなる。
なんで怒るの。
喜んでよ。オレが精一杯できる恩返しってこれくらいしかないんだよ。
胸が苦しくて、言葉を発せずにいると、電車が来て、震えてしまいそうな声をぐっと飲み込んだ。
「ごめん。電車が来たからもう切るねー。ばいばい」
「おい、リチェール」
まだなにか言おうとしてる千さんを遮って、電話を切ってしまった。
ぼたぼたと涙が溢れて、よく声に出さなかったなと自分を褒めたい気持ちだ。
「……っう………」
父さんに犯された時、迎えにきてくれた。
オレが抱いてと言えば、リチェールが大切だから少し怖いって笑いながら優しく触れてくれた。
少しの間だったけど愛されてるんだって錯覚できたのは幸せだった。
いつのまにこんなに弱くなってしまったんだろう。
抱かれることなんて、なんともなかったはずなのに。
あんなに優しくされて、こんなに弱くされてもう一人で耐えれる自信がない。
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