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亀裂
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「月城さんの付き添いの方、いらっしゃいますか?」
しばらくして、一人の看護士さんに呼ばれた。
三人で反応して、ガタッと立ち上がりまた立ち眩みを起こして倒れそうになったオレを雅人さんが支えてくれる。
「二人はここに残っててね。すぐ戻ってくるから」
オレも行く!とさっきのように暴れたかったけど、雅人さんに優しく微笑まれ、なにも言えず小さくうなずいた。
「僕が話を聞きます」
素直に座り直したオレと累くんの頭を順番に撫でて、看護士さんの元にむかった。
二人っきりになって、しん、と気持ちの悪い静寂に包まれる。
……きっと、大丈夫。
大丈夫だから。
「………二人ともお待たせ」
しばらくして、神妙な顔つきで雅人さんが戻ってきた。
オレと目が合い、切なそうに顔が歪む。
なんでそんな顔するの?
どくん、どくん、と心臓が大きく跳ねて、嫌な汗が頬を伝う。
「命に別状はないよ。15分前に意識も取り戻てたらしい」
それから一呼吸置いて、言葉を続けた。
「ただ、ここ半年くらいの記憶をなくしてる。いつ記憶が戻るかもわからないみたい」
雅人さんの言葉に累くんがショックを受けたような声をあげた。
「そんな!は、半年って、僕が不登校から学校に来はじめたことも覚えてないんですか!?」
「俺は今少し会ってきたけど、二人について少し質問したら、累くんは不登校で何回か家に通ったところで止まってるし、ルリくんに関しては……」
覚えてないって?
気まずそうにオレを見る雅人さんと視線が合い、その場にしゃがみこんだ。
「ルリくん、落ち着いて」
「………よかった」
え?と雅人さんが聞き返す。
覚えてないとか、そんなこと、どうでもいい。
生きてさえいてくれたならどうでもいいよ、記憶なんて。
ようやく血が体に通い始めた気がした。
千が無事でいてくれたなら、それだけでいい。
「……二人共、会ってみる?」
二人と共はいうけど、雅人さんの心配そうな視線はオレばかり。
「会いたい」
素直にそう言うと、累くんもこくんと頷く。
顔だけでも見たかった。
オレのこと覚えてなくても、せめて一目見て安心したかった。
「わかった。気をしっかりもってね」
雅人さんに肩をぽんっと叩かれ、二人で雅人さんについていった。
奥に向かうと、ひとつのまだ名札もまだない病室があった。
「月城先生、入りますよ」
コンコンとノックして、返事を待たずにガラッとドアをスライドさせた。
ベットの上半分を起こして座る千はゆっくり振り替えってこっちを見た。
さっきまで一緒にいたのに、なんだかすごく久しぶりな気がする。
気がつけば涙がまたぼたっとこぼれ落ちそうになって、ぎりぎり耐えた。
「……無事でよかった…………っ」
体から力が抜けて、雅人さんに肩を抱かれて支えられる。
千がふっと微笑んでこっちを見るから、どきっと胸が高鳴った。
「せ…………」
「折山、お前外に出られるようになったんだな」
千、と名前を呼びそうになって固まる。
千はオレなんか眼中にないように累くんをまっすぐ見た。
「せんせぇ………ぶ、ぶじてよか……っ」
言葉が続かず、累くんは声をあげて泣きながら千に抱き付いた。
その光景に胸がズキッと痛む。
そっか。そうだよね、オレと出会う前の千なんだから。
「ぼ、僕を庇ったせいで………っめんなさい!ごめんなさい……!」
「覚えてねぇけど、まぁ折山が無事ならいいよ。
せっかく学校に来れるようになったのに災難だったな」
千の大きな手が累くんを撫でる。
その手は、ついさっきまでオレを優しく包んでいたもの。
でも、もう、いい。
無事なんだから。
「佐倉先生、そっちの子がさっき言ってた落ちたもう一人の生徒ですか?」
急に千に呼ばれ、ゆっくり顔をあげる。
包帯とか所々巻かれた千の瞳はこれまでオレを映すものとは全く違う色をしていて、本当にオレのことを全く知らないんだと痛感させられる。
千に一歩だけ近づいて、笑顔を作った。
「はじめまして。リチェール・アンジェリーです。
階段から落ちたところを庇ってくれてありがとうございます」
痛む胸をぐっと我慢して笑うと、千も笑ってくれる。
それこそ、どうでもよさそうに。
「アンジェリーな。
佐倉先生から聞いたけど、今年度から転校してきたんだろ?
かばったとか覚えてねぇから気にするな」
アンジェリーって名字で呼ばれたの、久しぶりだな。
また泣きそうになって、ぐっと拳をにぎった。
「ありがとう。それじゃあせんせー、ゆっくり休んでねー」
オレも当時のようにせんせーと呼んで会釈だけすると逃げるように病室を後にした。
ドアを閉めると、堪えていた涙がぼたぼた落ちて、指で拭い、落ち着かせるようにふーっと深く息をついた。
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