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さようなら

千side アンジェリーを叩いてしまった手がいつまでも重たかった。 病院で折山がアンジェリーを怖いと言った言葉は理由も濁されていたし、折山は被害妄想癖もあるから、内容も信憑性にかける。 半年の記憶のブランクでまずは仕事のことを主に色々整理しなきゃいけない時に、これも仕事だから仕方ないけど、正直めんどくさいと思ってしまった。 これから、アンジェリーの話を聞いて誤解を解いてやらなきゃと思う反面、なんでそんな小学生の喧嘩の仲裁みたいなことをしなきゃいけないのかと、内心ため息をついた。 折山はまだまだ精神的に未発達で、扱いに悩む。 けれど、アンジェリーが言い訳もせずに感情を見せないような笑顔で引いてくれたお陰でその場はおさまった。 初めに目があったとき、俺が無事でよかったと泣きそうな顔をしたのに、すぐにいなくなる。 なんとなくあの時の表情が、ずっと胸に引っ掛かっていた。 そんな中、授業中だと言うのに揉めてる二人と遭遇した。 悪者にされても笑って引いたアンジェリーが赤いスヌードだけはどうしても返してほしいと食い下がる。 折山も過呼吸まで起こして意固地だし、アンジェリーも引かないから収拾がつかない。 大切な人から貰ったものなのだと、必死になる姿にチリチリと胸がうずいた。 その正体がなにかわからないまま、俺の手がアンジェリーの頬にぶつかってしまって、一瞬だけ見せた泣きそうな顔にまた胸が強く痛んだ。 そのあと俺の足を力一杯踏んで逃走されて、過呼吸を起こしてる折山をそのままにも出来ずとりあえず、抱えて保健室に運んだ。 折山が落ち着くまで袋を口に当てて、背中を撫でるけど、いつまでも正体がわからない胸の突っかかりが気持ち悪くて、アンジェリーの顔が頭から離れなかった。 少しして、落ち着いた折山がゆっくりと言葉を選ぶように口を開いた。 「あのスヌードには、すごく嫌な思い出があるの………あれで、ルリくんにはすごく傷付くことをされたから、目に入ると辛くて………。 お願い。先生がそのスヌードを棄てて。 もう、見るのも、本当に辛い……」 なんだそれ。 つまりはやっぱりアンジェリーのものなんじゃねぇか。 いや、アンジェリーのものだとわかってたし、折山の被害妄想だって思ってたけど。 あの、悪者にされてもへらへら笑ってたあいつが必死に大切なものだから返せと突っ掛かってきた姿を思い出して、深くため息をついた。 俺はちゃんとお前のこと信じてたんだぞアンジェリー。 俺はそんなに折山を贔屓するように見えるのか。 元々あいつ自身が他人に譲ってすぐ引く性格なのか。 どちらにしても、今回はアンジェリーがあまりにも貧乏クジだ。 「だからって、人のものを勝手にとったり捨てたりしたらダメだろ。 これはお前が悪いぞ」 呆れてハッキリそう言うと、折山がすぐ傷付いたような顔をして泣き出してしまう。 「だ、だって………ルリくんあれで酷いことしてくるんだもん………こわい………すててよぉ………」 ぼろぼろ涙を流してすぐ呼吸が荒くなる折山に少し疲れてくる。 折山はなんとか落ち着いたものの体調を悪くしてしまったので車で送ってやった。 その事を折山の担任の竹田に言うといつもすみませんと笑うだけだった。 そもそもお前がなんとかしろよと思うけど、折山が俺になついてる自覚はあるし、そもそも竹田は仕事も遅れがちだし、それで折山の問題までとなったらさすがに可哀想だとも思える。 タバコに火をつけ、ゆっくり一服すると、またアンジェリーの泣きそうな顔が浮かんで胸が痛んだ。 なんでこんなにあいつの顔ばかり浮かぶのだろう。 イライラ、モヤモヤする。 チッと小さく舌打ちすると、赤いスヌードを本人に返してやろうと掴んで立ち上がろうとした時、ドアがノックされ1人の生徒が入ってきた。 「失礼します」 たしか、アンジェリーと同じクラスの佐久本だ。 俺の手に持っているスヌードを見ると、一度小さく息をついた。 「そのスヌード、返してくれません?」 アンジェリーが友達を代わりに寄越したのだろうか。 へぇ、そんなに俺に会いたくないってか。 「俺ね、小学校の頃イギリスに居たんですけど、言葉が通じないから揶揄われたりしてたんですよ。それを頼んでもないのに、いつも庇ってくれたり、失くされたものを一緒に探してくれたり、しまいには相手をぶん殴ってくれたりしたのがルリなんです。 だから、俺もこういうことがあった時、ルリの味方でいようって思ってるんです。 てことで、それルリのなんで返してください」 敬語を使ってる割には、佐久本はどこか挑発的で俺を睨みあげてくる。 生徒の私物を人伝いに返す教師がいるだろうか。 「俺が直接アンジェリーに返す。友達だろうと大切だって言ってたものを人に渡せるかよ」 「ルリのこと叩いた今のあんたに近付いてほしくないって言ってるんです」 決して叩いた訳じゃない。 というか、こいつ生意気になったな。 俺の記憶だともっと無邪気にいつも笑ってる印象だった。 思わず見下ろすと、一瞬でも息を呑んで佐久本も睨み返してきた。 「先生は過呼吸になった生徒の味方なんでしょ。じゃあルリに近付かないでください。 あんたのために身を引いたルリにこれ以上傷付けるのやめてくれません?」 折山がアンジェリーを悪く言う時、あいつは一度も言い返さなかった。 あれは言い争うことが面倒だとかそう言うことじゃなくて、俺に負担をかけないために身を引いたのだろうか。 「生徒の俺に渡せないって言うなら、もういいです。わかりました。それ勝手にもう1人の生徒に渡したり、ルリに届けようとしないでくださいね」 そう言うと、佐久本は勢いよく保健室のドアを閉めて出て行った。 それから3分後、現れたのはあいつらの担任佐倉だった。 「あー、そのスヌード。ははは。そんなことになってたんですねぇ。ルリくん災難だなぁ」 佐久本に聞いたのか、困ったように笑う。 「それ大切な恋人から貰ったらしいんですよ。俺が返してもいいけど。佐久本くんはうまいこと足止めしとくんで、月城先生ルリくんに直接返してあげてきてくれません?」 「俺はどちらでも」 「じゃあお願いします」 にっこり笑って出て行く佐倉は何か企んでそうな顔をしていたけれど、何故だかこのスヌードを渡す気になれず安請け合いしてしまった。 大切な恋人、ね。 どうしてこんなにも苛立つのだろうか。

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