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代用品
千side
ホテルを出れば、痛いほどの寒さに包まれた。
そのうち俺のことなんてそのうち忘れて、あの綺麗な肌に誰かが触れ、熱の籠った瞳に俺以外の奴を映すのだろう。
そう思うと、胸が焼けるような痛みが走るのに、俺にはあの子を受け入れる心がなかった。
今まで人を愛したことも、興味を持ったことさえもない俺が、悲しいほど真っ直ぐ愛してると言うアンジェリーの気持ちにどう向き合えると言うのだろうか。
きっといつか傷付ける。
これでよかったんだ。
あいつは俺を忘れると言ったんだから。
ため息をこぼせば、それは白く消えていく。
ポケットの中で、スマホが震えた。
取り出して確認すると蒼羽からからの着信だった。
「ちょっと、千。僕リチェールの電話番号知らないから今すぐ教えるか、そこにいるなら代わってもらっていい?」
まさか蒼羽からアンジェリーの名前が出てくるなんて。
蒼羽にも紹介するような仲だったんだな。
そういえば、半年分の遅れを取り戻すために仕事夢中でまだ蒼羽には言えてなかった気がする。
「蒼羽、伝えてなかったけど…」
蒼羽に現状を伝えると、電話越しで大袈裟なほど大きなため息をつかれた。
「そう動くか。バカリチェール……。んー、僕としては千が大切にされてるようで何よりだけど」
蒼羽にしては珍しく悩んだようにそう呟くと、わかった、と何かを決めたように声を出した。
「僕のセフレで草薙ってのがいて、そいつのBARでリチェール働いてるんだけど、草薙のいとこが少し前にリチェールの絵を描いてたみたいでさぁ、今日その個展に草薙と行ってきたんだけど、多分記憶戻した後の千が見たら怒るだろうなって絵が飾られてたから、教えてあげようと思って」
「何で俺が怒るんだよ」
「うーわ、本当にリチェールと付き合う前の千じゃん」
蒼羽はどこかショックを受けたように呟く。
そんなに俺はあいつと付き合って変わったのだろうか。
28年もこうだったんだから、人はそうそう変わらないと思うけど。
「この絵は千と付き合う前のやつだとは思うけど、他の人も見えるところにあるのは記憶戻った時、絶対千も嫌だろうから、明後日一緒に観に行かない?
それで記憶戻ったらラッキーだし。
あ。戻っても戻らなくても僕は千の味方だからね〜。
じゃあ、明後日ね」
こちらの話も聞かず、一方的に電話を切られた。
たった今、改めて別れてきたと言うのに、俺と付き合う前のアンジェリーという言葉がいやに引っかかった。
俺が嫌がるような姿で、誰かの絵のモデルになったのだろうか。
そう思うとまた胸にモヤがかかる。
いや、今更関わるべきじゃない。
そんな中途半端なこと、アンジェリーにあんなことをさせておいてできるはずがない。
勝手にプライベートを覗くような真似したいとも思えず、蒼羽には断りのメッセージを入れた。
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「千おはよー。はい、行くよ!準備してー」
たしかに断りのメッセージを入れたにもかかわらず、翌々日の朝10時モニターには蒼羽が満面の笑みで映っていた。
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