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代用品
翌日の朝一に簡単な荷物とパスポートと持って空港に向かった。
相変わらずリチェールとも両親とも連絡がつかない苛立ちに昨夜はほとんど寝れなかった。
手早く手続きを済ませて飛行機に乗り込み、12時間と言うひたすら長く感じる時間をたまに仮眠をとりながら憂鬱な気持ちで過ごした。
……タバコが吸いたい。
"千のタバコ吸ってるとこかっこよくて好きだけど、体に悪いから頑張って控えてね"
柔らかいリチェールの言葉を思い出して、深く息を吐いた。
あの体に他の男が今、傷を付けてるかもしれないという苛立ちに時間がひたすら長く感じる。
思えば、GWの時もあいつの父親が日本に来た時も、俺がリチェールに傷を手当てしたのは数日経ってたからだ。
生々しい新野の絵が頭によぎって、ギリッと奥歯を噛んだ。
イギリスにつくと、佐倉からもらったリチェールの家の住所を確認しながらタクシー乗り場まで急ぐ。
ガヤガヤと騒がしい周囲は英語で溢れていていつも以上に周りの声が入ってこない中、リチェール、という名前が聞こえた気がして足を止めた。
『リチェールがロンを足止めしてくれてる今しかないのよ。急いで!』
たまたま耳に入った会話に反射的に振り返ると、リチェールに本当によく似た女性が少し焦った様子で気弱そうな男の手を引いていた。
『エリシア!本当にいいの?
旦那さん僕を殺すっていってるんだろ?』
『だから、その前にこうして離れるんでしょ?私もまさかあの人がこんなに私に執着してるって思わなかったわよ』
焦った様子の二人は周りなど見えておらず、不穏な会話に眉を潜めながら近付いた。
『大体、本当に息子さんイギリスに帰ってきてるかな?』
『それなら大丈夫。あの子誰に似たんだか家族想いだから。
あの子がロンに抱かれるの抵抗やめた時って、ロンが過去に一度だけ私に手をあげたのを見たあとよ。
それからあの子はロンの暴行を受け入れるようになったんだから肉親が倒れたって言えば確実に帰ってきてるはず』
ふっと笑うリチェールによく似た女性は間違いなく母親らしい。
怒りが込み上げて、苛立ちを押さえながら声をかけた。
『こんにちは、アンジェリーさん』
名前を呼ばれてビクッと振り返った顔は、見れば見るほどリチェールによく似ていて綺麗なのに、怒りの感情しかわかない。
『どうもはじめまして。
私リチェール君の高等学校で教諭を勤めております。月城です。
どうして私がわざわざ日本から来たか、思い当たることはありませんか』
皮肉な笑いを浮かべると、母親がまるで化け物でも見るように目を見開いて怯えた顔をする。
怯えた顔が特にリチェールによく似ていて、苦い気持ちになりながらも、リチェールの元へ早く行きたくて厳しい口調で手短に言葉を発した。
『今の会話は聞いてました。これだけの人がいるんだから、間違いなく証言もとれます。大人しくついてきてくれますね?』
母親は真っ青な顔で黙り込んで、しばらく考えると、小さく頷いた。
『まずはご自宅に案内してください。
あんたはついてくんな。旦那に刺されたくないでしょう』
後半はついてこようとしたナヨナヨした男を睨んで言った。
男は動揺したようにリチェールの母親を見て、彼女が頷くとほっとしたようにその場のベンチに腰を下ろした。
リチェールを身代わりにしなければならないほどの、父親の精神状態を思うと円滑に話を進めるために母親も家についたら外で待っていてもらった方がいいだろうと考えながらタクシーに乗り込んだ。
家につき、すぐにチャイムをいくら鳴らして見ても応答がなく、母親から鍵を借りて家の中に入った。
リチェールの一人暮らしの家もそうだけど、そういう家庭だったのだろう。
綺麗に整理整頓された無駄なものがない家の中は少し寂しく映った。
『エリシア!!おい!!起きろって!!僕を一人にするな!!』
聞こえてきた不穏な叫び声に、心臓が跳ねる。
その声のする奥の部屋に駆け足で向かい、乱暴にドアをあけると映った光景に息を飲んだ。
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