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裸で転がるリチェールの体は真っ白な肌に痛々しい無数の痣があり、所々血が滲んでいる。 体が一瞬硬直する。 『……どけ!!』 『うわっ!なんだお前!!』 リチェールに股がりバシバシ叩いていた男を蹴りどかし、華奢な体を抱き上げた。 ずぶ濡れで氷のように冷たい。 恐らく起きないからと冷水をぶっかけたんだと思う。 息をしてるのか、不安ながらにも胸に耳を当てると、トク、トクと弱々しくもちゃんとなっていて、一先ず安心した。 けれど、口から大量の血を流していて、この血がどこから流れたものなのかわからず、冷や汗が伝った。 まさか………と、いやな想像をしてしまい、思わずリチェールを一度強く抱きしめた。 とにかく、リチェールを病院に連れていくことからだ。 コートを脱ぎ、リチェールの冷え切った体に巻き付けると口にハンカチを噛ませる。 そのまま抱き上げると、またリチェールの父親が突っかかってきた。 『なんだお前!!!エリシアを返せ!!僕のだぞ!!!』 ______殺意が芽生える。 その手を振り払い、顔すれすれの壁を思いっきり殴り付けた。 ガンと重い音が響いて、ヒッと父親が息を飲む。 急いでるんだよ、俺は。 『お前がこいつの父親じゃなかったら当ててたよ』 それだけ言って離れると、へたりとその場に父親が崩れた。 構ってる余裕はなく、急いで母親を中に呼んで救急車を呼ばせた。 母親はひどい有り様のリチェールを見て、ショックを受けたように顔を青ざめさせていた。 頭からも血を流していて、下手に触ることもできず、体から体温がなくならないようにと、冷たい体をきつく抱き締めた。 あの日、リチェールのそばを離れなければ。 もっと早く記憶が戻っていたら。 もっと早く気付いたら。 あげだしたらきりがない後悔の念に生きた心地がしないまま到着した救急車に乗り、リチェールはそのまま緊急手術室に運ばれていった。 しばらくベンチでリチェールの手術の終わりを待ってると、警察がやって来た。 『少々、お話をお伺いしたいのですが、英語は話せますか?』 『はい。多少は』 『答えられる範囲で結構です』 たぶんリチェールの父親も母親もそれぞれ事情聴取されてるんだろう。 冷静に答えられる反面、頭が鈍く痛んだ。 『まずアンジェリーさんご一家とはどのようなお知り合いですか?』 『ご子息のリチェールが日本で通う高等学校で教諭をしてます。 彼から親御さんからの日常的にされていた暴行の相談を受けていたので今回心配でついてきました』 『リチェールさんは普段、どのような暴行を受けていたと話していますか?』 『父親からは日頃から性的虐待を受けていたと聞いております。母親は見て見ぬふりだったそうです』 淡々と聞かれた質問に答えていく。 しばらくすると、警察はお礼を言って離れていった。 無心にベンチの背もたれに体を預け、天井を見上げた。 そういえば、俺が階段から落ちたとき、あのリチェールが泣いて取り乱して俺から離れなかったと佐倉から聞いた。 俺は大人だから。 泣かないし、取り乱さないし、状況の判断も、受け答えもできる。 だからって平気なはずがなかった。 なぁ、頼むよリチェール。 無駄に賢くて、変なところで不器用で意地っ張りでさ。 すぐすねるくせに、キスのひとつで機嫌を直したり、名前を呼ぶだけで嬉しそうに笑う顔が頭から離れない。 こんなに世話のかかるやつは他にいない。 お前は目を離すとすぐ危険な目に会うし、心配はつきないけど。 リチェールがいなくなるなんて、耐えられない。 やっと、こんなにも大切に思えるものができたんだ。 手遅れだけにはならないでくれと、祈ることしかできなかった。

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