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リチェール
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『アンジェリーさん、おはよう。
本当に目が覚めたのね』
窓の外が薄明るくなってきた頃、コンコンとノックをして看護師さんが入って来た。
声を出せない代わりに笑って顔上げると、相手も柔らかい笑顔を返しくれる。
『ふふ。あなたの笑顔は天使のようね?
でも、無理しちゃダメよ?朝ごはん食べられそう?』
正直、食欲なんて全然なかったけど、優しい看護師さんが困らないように笑って頷いた。
『一杯食べて体力が戻ったら声も出るようになるわ。気楽にね』
食事のトレイを受けとると、看護師さんが優しく笑って部屋を出ていき、ふぅと息をつく。
温かい食事を目の前にしてもどうしても口をつけたいと思えず、申し訳ない気持ちにながらも、手をつけないまま下げてもらった。
窓の外を見ると外はパラパラと雪が降っていた。
窓にぼんやり映ったオレは、片目は眼帯で隠れて、反対のほっぺには大きなガーゼが張られ、情けない姿だった。
そんな自分を見たくなくてまた寝ようとした瞬間。
ガラッとドアがノックもなしにスライドして、振り返るとそこには、一番会いたくて、一番会いたくなかった人が立っていた。
「……っ起きたのか」
もう二度と会うこともないだろうと思っていた千はオレと目があって、目を見開いた。
どうして、ここに千が。
ありえない。
もう、オレとの約束も、付き合ってたことも忘れて、あの日で未練がましい恋心もお別れしたはずなのに。
固まるオレを見て、千は切なそうに顔を一瞬歪めて、抱きしめた。
「リチェール」
懐かしいブルガリブラックと、タバコの匂い。
それから、もう呼ばれることのないと思っていた名前を口にされ、心が揺れた。
まさか……記憶が。
いつも優しく抱きしめてくれる千が、痛いほどの力でぎゅっと抱きしめて、深く息をつく。
それから、ゆっくり頬を両手で包まれてスカイブルーの瞳と視線が交差した。
「リチェールのことどれだけ大切だったかも、約束も、全部思い出した。……一人で怖い思いさせてごめんな」
どうして、千がそんな悲しそうな顔するの。
オレはひとりだけ全部投げ出して最低な形で逃げようとしたんだよ。
こんな所まで追いかけてきちゃダメじゃん。
父親も母親も捕まって、千との約束を台無しにしたオレが今更合わせる顔なんてないのに。
「もう大丈夫だ。リチェールに怖い思いも、痛い思いもさせねぇよ」
どうして、またオレを守ろうとしてくれるの。
きっと、千はオレのことなんか思い出さない方が幸せになれたのに。
それでもこの温もりを手放すことなんて出来なくて、溢れた涙を隠すように千の背中に手を回した。
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