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リチェール

千side 情事が終わって、ぐったり寝ているリチェールの体をタオルで拭いて服を直すと、小さな頬に触れた。 気丈に振る舞って虚勢の笑顔を見せたり、怯えてるくせに触れれば惚けた顔で体を委ねてきたり、本当にこいつの扱いは難しい。 結局、最後まで声は出なかった。 悲鳴をあげても音を出さない姿が痛々しくて、正直見ていられない。 飯とか睡眠はどうにかなりそうだけど、声だけはよっぽどのストレスが原因なのだろう。 リチェールが思い出したくもないだろうと、あの日父親にどんなことをされたのか聞かなかったけど、一度詳しく話をしてみる必要があるかもしれない。 コンコンと、ドアがノックされ、返事をすると看護師が入ってきた。 『うそ、アンジェリーさん寝てるの?』 リチェールの笑顔をみて、信じられないと言うように何度も顔を覗き込む。 『今日は散歩したらしいので疲れたんでしょう』 『ああ、月城さん早く来ないかなって門のところに何度か行ってたわね』 微笑ましそうにリチェールを見つめる看護師の言葉に一瞬固まる。 たしかに今日は病院に来る前少しリチェールの伯父に会ってきたから遅れたけれど。 こんな寒空の下、何度もうろうろするくらいなら、メッセージの一つでも送ればいいものを。 寂しいとか、心細いとか、そう言う気持ち全部教えてほしかった。 『あのね、先生が今晩のごはんも食べれるようなら、明日にでも退院して月城さんのそばにいさせた方が、回復も早いんじゃないかって』 どう?と尋ねてくる看護師に、よそ行きの笑顔を向ける。 『そうですね。本人も早く退院したがってたんで』 勝手にそう答えると、看護師はにっこり笑って先生に伝えておくと言うと、カーテンを開けて部屋をあとにした。 今日の晩飯は頑張ってもらわないとな。 "千、だいすき" 屈託のない穏やかな笑顔のリチェールを思い浮かべて、小さくため息をついた。 正直俺もそれなりにこたえてる。 早く、リチェールの声が聞きたい。 おはよう、でも。おやすみでもいい。 ああ、でも。 やっぱり千って名前を呼んでほしい。 _________ しばらく横で本を読んでいると、リチェールが、もぞっと動いた。 本から顔をあげると、ぼーっと天井から俺に視線を移した。 3時間くらいは寝たか? もう少し寝たらいいのに。 「おはよう。体はキツくないか?」 目が合うと、見る見る赤くなってさっきのことを思い出したことがまるわかりだ。 ピュアかよ。 パクパクと口を動かし、何て言ってるのか読み取れずテーブルのペンとノートを手渡した。 "ずっとそこにいてくれたの?" 「勝手に帰ったら、誰かさん寂しがるだろ?」 そう言って鼻を摘めば、リチェールが寂しそうな顔をしてうつ向く。 "せっかく千がいたのに寝ちゃってて勿体ないなぁ。 千、ここに泊まれないのー?" 「無茶言うな」 笑いながら頭を撫でると、リチェールは体を起こしてぴったりくっついてくる。 今日の飯を頑張れたらすぐ退院だと伝えたら喜ぶんだろうけど、無理して吐くまで食べそうだから今は黙っておいたほうがいいだろう。 それよりも、声の原因もいつまでも先延ばしにもできない。 「早くリチェールの声聞きてぇな。 なんでストレスが声に来たんだろうな?」 俺の言葉に、リチェールは思い当たる節があるのか、ぴくっと体を震わせ、気まずそうに目を逸らした。 「親父さんに何された?」 遠回しにするのもまどろっこしく、ストレートに聞くと、リチェールが困ったようにニコニコ上っ面の笑顔を浮かべる。 それを誤魔化すことを許さないよう、まっすぐ見据えると、うつむいてしまう。 それから、観念したように弱々しくペンを走らせた。 "えっちしてるときに" 書き初めで、もうその紙をぐしゃっと握りつぶしたくなる。 ここで不機嫌になったら、リチェールが怯えて話せなくなるからと、なんとかポーカーフェイスを保った。 "イくの止められてて、『愛してる』って言ったらイかせてやるって言われて" ペンを一度止め、ふ、と自嘲的に笑うと、続きを走らせた。 "ああでもしなきゃ言ってしまいそうだった。 でもやっぱり千以外にそんな言葉言いたくなくて舌を噛んだ" リチェールの書いた文を読んで胸が締め付けられる。 愛してると言うことでリチェールが楽になるなら、言えばよかっただろ。 舌を噛むくらいなら、嫌だけど何とでも言って逃げてほしかった。 それから、震えた字で"ごめんなさい"と続けた。 "オレが記憶のない千に強要した行為は、父さんがオレにして来ることと変わらないことをしてたよね" 「そんなわけないだろ!」 リチェールを怖がらせてはいけないと、最後まで黙って話を聞こうと思っていたのに、ついリチェールの手を掴んで声を上げてしまった。 エメラルドの瞳が悲しそうに揺れる。 なんであのクソ親父とリチェールが同じだと思うんだよ。 "違わないよ。手段が違っただけ。オレもあの人と変わらない" どうしてお前はいつも自分のことを、そう汚いもののように見るんだ。 「俺はあの時にはリチェールに惹かれてた。じゃなきゃ他の野郎から奪ってまで連れ出したりしない」 "生徒だから助けてくれたんでしょ" 「生徒にどう縋られようが抱くわけないだろ」 あまりにも往生際の悪いリチェールについ声が低くなってしまう。 リチェールが怖がっていることは見てとれたけど、そんなこと無視して手を引き寄せて視線を合わせた。 「他の野郎がお前に触ることが許せなかった。 ____こう言う独占欲も、お前の父親と同じだってお前が言うならそうなんだろうな」 ショックを受けたように息を呑んで、それからぼろぼろと涙をこぼし始めたリチェールを抱きしめて頭を撫でた。 ずっと恐怖の対象だった父親と自分を重ねて、自分が怖くなったんだろうな。 「俺はリチェールが俺にかける言葉全部嬉しかったよ。それだけじゃ声を出す理由にならねぇか?」 腕の中で震えるリチェールは、首を縦にも横にも振らず、弱々しく服を握るだけだった。

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