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あの日の母と子
『今、さ。オレ、この人といてね』
また長い沈黙の末、リチェールが絞り出すように話始めた。
今まで冷めきった目をしていたこの子がこんなにも表情を出しているなんて。
あなたに感情を取り戻させたのは、きっと彼なのね。
『なんていうか、その………オレは、今幸せだからね』
父親に犯されて自殺までしようとしたあなたが、幸せ?
動揺して瞳が揺れる。
『………もう、会えないけど、母さんも今の人と幸せになってね。
それだけはずっと変わらず、日本で祈ってる。
17年間、育ててくれてありがとう。
色々あって今日本でこの人と会えたから、よかったって今は思えるよ』
『……リチェール、あなた、いま、母さんって』
思わず言葉がポロっと溢れると、リチェールが10年ぶりに穏やかに微笑んだ。
『……………母さんも、オレの名前呼んでくれるの久しぶりだね。嬉しいよ』
"ごめんなさい。ママにおやすみっていいたかったの"
"お母さん、今日は全部食べれたよ。いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう。
_____どうしてあなたは、こんなひどい私にいつも優しい言葉をかけてくれるの?
あなたはすごいわね。私がやれないことをできちゃうのよね。
リチェール、あなたは憎まれ口を叩いていいのよ?
お前のせいでオレは死にかけたって罵声を浴びせられても仕方ないこと、私はしたの。
『どう、して……』
震える声でそう聞くと、リチェールが少し驚いた顔をして、悲しそうに微笑んだ。
『………小さいとき、母さんといれる時間は短かったけど、たまの休みはオレと過ごしてくれたでしょ。
仕事で遅くなっても、夜寝てるオレの額にキスしてくれてたよね。
たまに起きて、待ってたから知ってるよ。
母さんが、今、オレに感情がなくたって、オレにとっては変わらず大切な人だって今回さ、母さんの電話で痛感した』
感情がないなんてそんなこと、一度もない。
私だって、あなたが大切よ。
仕事がどんなに遅くなっても、夜あなたの寝顔を見るだけで疲れなんて降っとんだの。
あなたは、私の天使だったの。
『……あなたは、私のことが憎くないの』
呆然とそう訪ねると、リチェールがふっと悲しそうな顔で微笑んだ。
『母さんに構ってもらえなかったり、父さんとのこと目をそらされたりして、昔はそれなりに寂しかった気がするけど、憎かったことなんて一度もないよ』
うそ。うそよ。
あなた、あの日、何度も私を呼んだわよね。泣き叫びながら。
必死に伸ばした小さな手を私はとらずに逃げたのに。
『だからね、母さん。
なにも気にしないで。ただ幸せになってね。
最後に一目会えてよかったよ』
『…………………そう』
私によく似て、甘えるのが下手なリチェールが泣きそうなのはちゃんとわかるのに私は相変わらずなにも出来ない。
ツキシロが、リチェールの背中をぽんと叩いた。
ああ、その人は、ちゃんとリチェールの気持ちに気付いてくれるのね。
リチェールが悲しそうに微笑んで席を立つ。
『じゃあ……オレもういくね。
時間作ってくれてありがとう』
リチェール、行かないで。
席を立つリチェールの背中があの日の父と重なり伸ばそうとした手を引っ込めた。
離れていくリチェールに何も出来ず、呆然と席で座っていると彼が迎えに来てくれた。
『エリシア、疲れたでしょう。行こうか』
彼に手を引かれお店をでると冬の冷たい気温が体を包んだ。
たくさんの人で溢れかえってる街に、もうリチェールの姿はなくただただ漠然とした空虚感に立ち尽くした。
リチェールはきっと私のために会ってくれたのだろう。
あの子は、素直じゃないけど家族想いだから。
自分は幸せだから気にしないでって。
私は、それに甘えていいの?
『いこう、エリシア』
彼に肩を抱かれ歩こうとしてグッと立ち止まる。
あの子にとって私とロンしかいなかったのに、あの子は私たちの家族の負を一人で懸命に耐えてた。
私はまたこうして人に忘れさせてもらうの?
"あなた達の趣味はどうでもいいけど、その怪我で周りをうろうろしないでね。変な噂がたったら仕事の迷惑だわ".
"それしかいうことねぇのかよ"
"なに?心配してほしかったの?気持ち悪い"
私の言葉がどれだけあなたを傷付けたか計り知れない。
初めてあなたの顔を見たときは、あなたの幸せだけを願ったはずなのに。
私の言葉はいつも私を守るためだけにある。
ごめんなさいも、愛してるも、いかないでも今さらどの面下げて言うって言うのよ。
あなたは、私のために勇気を出して会ってくれたのでしょうに。
_____私は………。
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