296 / 594

喧嘩とクリスマス

「あー、でもやっぱそのオッサンムカつくわ」 車を発進させずに助手席で小さくなるリチェールを引き寄せて頭を預けると、甘い匂いがした。 リチェールが戸惑ったように頭を撫でてくる。 「慰めてくれてんの、リチェールくん」 「ううん。ごめんなさいしてるの」 「慰めろよ。せんせー今傷心中」 がぷっとリチェールの細い首に噛みつくと、甘く声を漏らして息を飲む。 この体にもう誰も触れてほしくなかった。 「千、すねてるみたいー」 「拗ねてんじゃなくて傷付いてんだよ」 「そうなの?」 いつも俺がするように、リチェールが俺の髪を何度も優しく撫でる。 体も、手も、全部が小さくて儚く感じる。 「オレがこーゆー目に合うと、千傷付くの?」 「傷付くよ。隠されたから余計な」 「そっかぁ……」 そっか、じゃねぇっての。 今更だろ。 「じゃあ次から男か女か調べられそうになったら、顔写真付きの身分証出さなきゃねぇ。 千といるから学生証はよくないし、パスポートのコピー持ち歩くね」 そこじゃないだろ。 イマイチ今回のことを反省してるのかしてないのかわからない。 相手はただの痴漢だっての。 こいつに色んなことを自覚させる道のりはまだまだ長そうで、また小さくため息をついた。 こんな調子で、俺が記憶をなくしてる間どう過ごしていたのかと不安になる。 「リチェール」 「んー?」 「他に隠してることはないよな?」 「ないない。千は心配性だねぇ」 クスクス笑って、隠してる様子はないことにほっと息をつく。 さっきまでの不安そうな顔は晴れていて、持ち直そうともう一度わしゃわしゃリチェールの頭を撫でた。 「リチェール、どこかいきたいところあるか?」 「どうしたのー? 千、今日なんかすごい優しくない?」 「甘やかしたい気分なんだよ」 「いつも甘いくせにー。それにオレだって千を甘やかしたいんだよ」 素直に甘やかされないやつがよく言う。 「……あ」 穏やかだったリチェールの表情が何かを捉えてぴたっと凍りついた顔をする。 「どうした?」 見下ろすと、リチェールが戸惑いながらオレを見上げて口ごもる。 それから、目線だけで斜め前をとらえて小さく口を開いた。 「さっきの、警備員のおじさん」 一瞬で顔が強張るのがわかる。 リチェールはドアを開けて男に向かって走り出した。 いや、なんで走り出すんだよ。 こいつ本当に反省してないだろ! その先には小学生あがるかあがらないかくらいの中性的な子供の手を引く太った男がいて俺も後を追う。 「あの、おじさん!その子、知り合いですか?」 男が不機嫌そうに振り替えって、子供は不安そうに見上げる。 てか、なんで警備員だって言うのに私服なんだよ。 「ああ、君はさっきの……」 「この子、どうしたんですか」 言葉を遮るようにリチェールがおっさんを睨む。 なんでこいつは自分のときになんの疑問も持たずされるがままになって、今見知らない子供のために食いかかってんだよ。 リチェールの前に立って睨むと、俺を見て男が一歩後退った。

ともだちにシェアしよう!