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気まぐれ

__________   仕事が終わって、なんだか飲みたい気分だったから、千に連絡すると、リチェールが熱を出したから無理だと返信が来た。 子供じゃないだから放置してたらいいのに。 リチェールもあれはどうみても弱ってるときは放置されたい側の人間でしょ。 千は本当にお人好しになった。 それはいいんだけど、とにもかくにも暇だ。 職場から草薙の店はすごく近いから、一杯飲みに行こう。 明日休みだし、草薙がその気なら泊まらせてもらえばいいや。 「蒼羽!!!」 「わっ!?」 怒りを含んだでかい声と共に肩を乱暴に捕まれ振り替えると、男が血走った目をして立っていた。 えっと、だれだっけ。 見覚えはあるけど、思い出せない。 「お前なんで連絡返さないんだよ!! 俺がどれだけ探し回ったと思ってんだ!」 ああ、兵藤だ。 オラオラ系の、セックス下手な。 一夜だけ相手して次は無しだと見切りをつけた相手だった。 遊び相手に仕事を教えたりしない。 それなのに、なんでこいつは、僕の職場の近くにいるんだろう。 余裕のない血走った瞳に、少し血の気が引く。 「あのさ、とりあえず放してくれる? 手、痛いんだけど」 にこっと笑って言うと、兵藤の力がぎりっと強くなる。 うーん。久々にめんどくさいのに当たっちゃったなぁ。 「俺はお前と別れるつもりない!!」 「は?てか一回ヤったくらいで彼氏面しないで。 その勘違いかなり痛いから」 ふんっと煽るように鼻で笑うと兵藤がカッしたように拳を振り上げた。 やんちゃいていた中高時代を思えばコイツくらい簡単に勝てると思うけど、1発くらい殴られてやった方が後に引かないかな。 「うわっ!?」 殴られる、と構えた瞬間、兵藤が後ろに尻餅をついた。 何が起きたか一瞬理解するのに時間がかかり、見上げると草薙が冷めた目で兵藤を見下ろしていた。 首根っこを後ろに引かれたらしく、首を押さえて苦しそうに咳き込む兵藤をまるで虫を見るように草薙が冷たく見下ろしてその冷めた目線をそのまま僕に向けた。 「なに草薙。ほんとに盾になりに来たの?ウケる」 クスクス笑うと、草薙は、はーっと呆れたように深くため息をついて頭をガシガシかいて多少苛立ってるみたい。 「なんだよお前!!!お前も蒼羽の男か!?」 兵藤が立ち上がり、草薙の胸ぐらを掴み上げる。 草薙は長い前髪の隙間から、鋭く兵藤を一瞬睨み、う、と兵藤が息を飲む。 けれどすぐにお店にいるときのような営業スマイルをにこっと浮かべて深々と頭を下げた。 「乱暴に止めてしまい大変失礼しました。 お怪我はございませんか?」 「ああ!?お前誰だよ!関係ねぇだろ引っ込んでろ!」 「この人の友人なので、見過ごせません。 もちろん彼にも非はあることとは存じますが、これ以上言い合っても埒があきませんし、さっきのように手が出るようなら警察に仲裁に入ってもらいますが。よろしいでしょうか?」 真っ黒な笑顔でなんとも言えない威圧感を醸し出す草薙に、兵藤が悔しそうに黙り混む。 この会話の最中も今にも手が出そうな兵藤に対して僕を庇うように背に隠してくれていた。 しばらく兵藤は2、3言、捨て台詞を吐いて離れて行った。 「あんたと職場が近いってのも考えもんですね」 さっきの黒い笑顔さえなくして、いつもの冷たい無表情で草薙が振り返った。 「ほっとけばいいじゃん?」 「それ、人としておかしいでしょ」 普通でしょ。 友達ですらないんだから。僕らの関係なんて。 草薙は、とことんお人好しだ。 僕なら知り合いが絡まれてたって絶対無視する。 「草薙は優しいね?」 「ボコボコの顔の人とセックスしてイける気しないってだけです」 草薙はハッと皮肉に鼻で笑い、落ちていた僕のバックを拾った。 そんなこと言うくらいならモテるんだから僕以外のやつとしたらいーじゃんね? 「店が開くまで1時間くらいあるんで、下準備の間、好きなの飲んでていいですよ。 明日休みだからどうせどっか飲みいこうとしてたんでしょ」 「え、やった。草薙優しい~」 「まぁ、さっきの今でまたあいつが来ないとも限らないですしね。 しばらくは一人で行動すんのも控えた方がいいですよ。 諦めたかどうかわかんないし」 心配性だなぁ。 あんなの、慣れてるのに。 「僕、ハイボールね」 めんどくさいから話を無視して、店についたら何がのみたいかを伝えると、呆れたように小さくため息をついてハイハイと言ってくれる。 必要以上に触れてこないし、関わってこない。 でも甘やかしてくれる。 だから居心地いいんよね、草薙のそばは。 その日はしばらく草薙の店で飲んでいて、店が賑わってきた時、好みの男性に誘われたからその人と店を出た。 草薙は営業スマイルでその人と僕にまたお越しくださいと見送ってくれる。 こう言うところを見ると、やっぱり僕に特別な感情はなく、草薙の優しさは下心なしの純粋なものなのだとほっとする反面、最近は少し、ほんとに、少しだけ、面白くないと感じつつある。 その理由はあまり深く考えない。

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