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信用
なにも言えずに放心してると、グイっと千に手を引かれもつれながら歩いた。
すぐ近くに千の車が見えてそこに入れられる。
車が発進しても、千は無言のままでオレは頭が真っ白になっていた。
「………せ、千。ほん、とに……めんなさ……っ」
涙は出ないのに、息が苦しくて言葉が途切れ途切れになる。
千は何も答えなかった。
顔が、見れない。
長い沈黙に、色んなことが頭によぎった。
オレのことを信用してるからって折れてくれた千を、オレは裏切ったんだ。
くだらないプライドにしがみついてないで千のいうことを聞いとけばよかったと今更ながらに後悔する。
全然力がこめられていなかったからか、叩かれた頬っぺたは、全然いたくなかった。
それなのに、胸ばかりが痛くて涙がボロボロと溢れだした。
「………千………」
あの、優しい千に手をあげさせてしまったことが悲しくて仕方ない。
家につくまで千は終始無言のまま、操作された運転はどことなく荒かった。
家についても泣くばかりでもたもた歩いてしまうオレをいつもみたいに抱き抱えてはくれない。
それでも体がよろけると支えて手を引いてくれる。
こんなにも優しい人になんてことをさせてしまったんだろうと涙が止まらなかった。
家について時計を見ると朝方6時になろうとしていた。
どれくらいこの寒空の中探してくれていたんだろう。
「………風呂、入ってこれば?」
_____汚いから?
千は振り向きもしないでソファに腰かけるとタバコに火を着けそれ以上なにも言わなかった。
「………ごめんなさい」
一言そう呟いて浴室に向かった。
少しずつ効果が切れてきたのか頭は少しずつクリアになっていくのに、物事が考えられないのに、漠然とした不安ばかりが押し寄せて息がつまりそうだった。
店の外で会わないと自分から約束したくせに、車に乗ってしまったのはオレ。
千がオレを信用してくれることはもうこの先ないかもしれない。
本当にオレは馬鹿だ。
対等なんかじゃなくていい。
千が心配してしまうのなら、言うことだって何でも聞くし、自尊心なんていらない。
だからどうか、嫌いにならないで。
……なんて、いまさら、もう遅い。
怒りながらも抱き寄せてくれた強引な手がないことがそれを知らせていた。
お風呂から上がって覚悟を決めてリビングに向かった。
千は足を組んでソファに座っていて、いら立ちを洗わすように灰皿にはタバコの吸い殻が何本も押し消されていた。
少しスペースを置いて隣にゆっくり腰かけ、気持ちを落ち着かせるようにそっと息を吐く。
「………リチェール」
名前を呼ばれ、ビクッと肩を震わせた。
返事をしようとしたけど、涙が出そうで顔だけ上げる。
千は、オレの顔を見ようとしなかった。
「話せるか」
千に低い声で言われて、ぐっと手を握りしめる。
車に自分から乗ったと言ったら、きっと嫌われる。
でも隠すわけにもいかなかった。
「…………バイト終わったら、外にカズマさんがいて」
断ろうとしたけど、すごく悲しそうに頼むと言われて車の中でゆっくりこういうのはこれっきりにしてと言うつもりだった。
あんなことがあって、男を警戒するなんてまるで心まで弱くなったようでいやだった。
車を乗るとき、少しでも怖いと感じたことが悔しくて負けなくなかった。
なにより信じたかった。
傷付いていたカズマさんを疑ってしまうよりは、信じて裏切られた方がずっといいってそんな綺麗事、思ってしまってたんだ。
一番大切な千が離れてしまったら、オレにとって何の意味もないのに。
「話があるから、車で送るって言われて。
……カズマさん、職場のお客様からセクハラ受けてすごく辛かったみたいで……その、ストレスたまってたらしくて……」
違う。こんな、言い訳がましいことするな。
弱い上に、ズルい奴になんてなりたくない。
千のとなりに立ちたいのに、これ以上醜くなるな。
自分に言い聞かせて、震える手をギュッと握るとまたひとつ息をついた。
「………カズマさんが、どうこうじゃなくて。
オレが千を裏切ったことに代わりはない。
本当に、ごめんなさい」
オレの言葉にずっと黙っていた千がハッと呆れたように乾いた笑いを溢した。
「じゃあ、合意の上ってことか?」
そんなことない。
嫌だったに決まってる。
千以外に触られたくなかった。
でも、それじゃあ無理矢理?
全部カズマさんが悪いの?
ううん、オレも悪い。
車に乗ったのだから。
信じたかった、とか。ズルい言い訳だ。
すごく辛そうな顔をしたカズマさんを思い浮かべて胸が締め付けられる。
あんなことをさせたのは、オレだ。
オレばかりが辛い訳じゃない。
「………否定しねぇんだな」
その言葉と共に視界がグラッと暗転し、体を押し倒される感覚に、ヒッと小さく悲鳴が漏れた。
見上げると、千が無表情にオレを押し倒していて、そこにはなんの感情も見えない。
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