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四方八方
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「千、朝だよー。おきてー」
穏やかな声にゆっくり意識を覚醒する。
シャッとカーテンがスライドする音がして差し込む光にうっすら目を開けると、リチェールが金色の髪を朝日にキラキラと反射させて微笑んだ。
「千、おはよう。朝ごはん出来てるからね」
制服のスラックスにシャツとエプロンをつけてリチェールが俺の頬にキスをした。
「コーヒーいれとくから、顔洗ってダイニングに来てねー。二度寝したらだめだよー」
朝はいつも家を出る一時間前に起こされる。
俺がしっかり起きたのを確認するとリチェールは寝室をあとにした。
言われた通り洗面台で顔を洗い、歯を磨いて、パリッとアイロンされたシャツと準備されていたスラックスに着替えダイニングに行くと、ちょうどリチェールがテーブルに朝食を並べ終わりエプロンを外してるところだった。
今日はフレンチトーストとハムエッグにサラダとスープらしい。
「千、コーヒー熱いからねー。ふーふーしてね」
「それ毎日言うな、お前」
「大好きな旦那様の舌が火傷したらやだもん」
「お嫁さんも手、火傷すんなよ」
「………っ」
だから、なんでリチェールからふっといて、軽く返すだけで赤くなるんだよ。
コーヒーを届けてくれたリチェールのふわふわの髪を撫でれば嬉しそうに抱き付いてくる。
毎日やってて飽きないのがすごい。
手を合わせてご飯を食べると、リチェールは食器を洗いだし俺は新聞でニュースを確認する。
微かに聞こえる楽しそうな鼻唄が、相変わらず音を外していて、今はそれが心地いい。
選曲がトトロでなんで音をはずせるのかわからないけど。
「千、そろそろお時間だね」
リチェールより30分くらい早く出る俺のネクタイや腕時計、鞄を準備しながらリチェールが近付いてきた。
いつもそこまでしなくていいと言うのに、すると言って聞かないし、楽しそうに俺の世話をやくからもう何も言えない。
ネクタイ、腕時計をつけてスーツを羽織るとリチェールが、何かを言いたそうにうつむいたり見上げたりしていた。
「千、あのね……」
「なに?」
言いやすいように極力優しく言うとリチェールが後ろに隠してた包みを恥ずかしそうに前に出した。
「お、お弁当とかって、迷惑かなぁ」
昼はお互い簡単に済ませてしまうから、少し意外。
「弁当?」
「ご、ごめん。重いよね。その……いやだったら、全然クラスのやつにあげるし気にしないで」
聞き返しただけなのに悲しそうな笑顔でパッと後ろにまた隠されてしまった。
てかこれ、絶対七海のこと気にして始めたやつだろ。
そんなことしなくても、恋人がいることを隠したりしないのに。
なんていうか、分かりやすくて可愛い。
「俺に作ったんだろ。他のやつにやるとか言うな」
ひょいっとリチェールの手から奪えば、リチェールが焦ったように狼狽える。
思い付きでやったはいいけど、俺に引かれるか心配してるんだろう。
引かねぇよ。
「弁当何いれたか楽しみにしてる。ありがとな」
頭を撫でてやればまた胸に飛び込んできて、ぎゅーっと抱きついてくる。
女の実習生だけで、そんなに不安になるものか?
どんだけ自分に自信ないんだよ。
「千……ごめんやっぱりお弁当明日からにする。それはクラスのやつにあげるね」
「は?なんで?」
「なんでも!」
何かを必死に隠してる様子のリチェールに、意地悪心に火がつく。
結局、ダメダメとうるさいリチェールをキスで無理矢理黙らせてその弁当を持って仕事に向かった。
そして、昼休み。
あんなにリチェールが弁当を渡すのをいやがった理由と直面して思わず笑いそうになった。
「あら?とっても可愛らしいお弁当ですね~。彼女さんが作ったんですか?」
覗き混んできた七海がニコニコと微笑んで、通りかかった佐倉がブフッ!!と吹き出して笑っていた。
内容はタコを型どったウィンナー逆さにいれて花に見映えていたり、ハムがチューリップの形だったりちょこちょこの小細工は相変わらずで予想はついたけど、左半分に詰められたオムライスは上に乗る卵がハート形に切り取られ赤いチキンライスがでかでかとハートから覗いてその形を色で強調していた。
「……っ愛されてますね、月城先生」
必死に笑いを噛み殺した佐倉が肩を震わせながら言ってくる。
リチェールのやつ、絶対他のやつに騒がれるように作ったな。牽制のつもりだろう。
珍しい行動にふっと笑いが溢れる。
「まぁな」
これを他の奴に渡そうとしてたのはいただけないけど、これくらいの行動可愛いと思う。
「ねー月城先生、写メっていい?」
「だめ。お前からかいたいだけだろ」
バレたーと楽しそうに笑って佐倉も隣で飯を食い始めた。
「でもこういう料理する子って実は料理苦手だったりしますよね。
私、煮付けとか肉じゃがとか茶色い料理は得意なんですが、こういったのは全然だめだめです。人って得手不得手ありますからね。料理ってよりは彼女さん工作とか得意そうですね」
オブラートに包まれてはいるものの、毒の含まれた言葉に、女らしいなと、さして関心も持たず適当に相槌を打つ。
「たしかにうちのは和食苦手だな。この間も日曜日に魚の煮付け作るって張り切って、コンソメいれてたし」
あれは美味いとは言えなかった。
あと、工作はたぶん苦手だ。そもそも美術系が壊滅的だと思う。
リチェールが暇だからとノートの端に描いていた化け物を思い出しまた口元が緩みそうになる。
その化け物を本人は自信満々にウサギだといっていた。
「可愛らしい間違いですね。
コンソメってそれだけで味が終わっちゃうから、苦手な子が使うことが多いんですよ。やっぱり料理は、さしすせそを使いこなさなきゃ。あ、さしすせそ言えます?」
「砂糖、塩、お酢、醤油、味噌だよねー。
てか月城先生の恋人、料理上手じゃん。うちのが今度習いに行くって言ってたよ」
割って入ってきた佐倉にめんどくさい会話を助けてもらいながらさっさと弁当を食べる。
見た目こそ、メルヘンチックだったけど相変わらず野菜もしっかり入ってて味も申し分ない。
「佐倉のところはお前がほとんど料理してるんだっけ?」
「そうそう。うちのはフライパンすら握ったことないから」
「お二人は仲いいんですね」
七海が俺らの会話をクスクス笑いながら入ってきた。
「まぁねー。俺ら休みの日でも会ったりしてるしね。彼女同士が仲いいんですよ」
「へぇ~。お二人の彼女ってどんな子なんですか?」
「こーゆー弁当持たせるくらいにはヤキモチ妬きのやつ」
昨日も体力のない体に無理をさせたのに、いつもより早起きしてまで手の込んだことをするリチェールをどうしようもなく可愛く思ってしまう。
残業はなるべくしないで早く帰ってやろうと、さっさと弁当を食べて仕事を始めた。
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