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四方八方

まだ9時30分。 千に言われて時間帯を短くしてから最近はよく寝れている。 生活費とか親からの金を使いたくないからって頑張ってたけど、千は全然生活費を受け取ってくれないし、逆にいらないって言っても食費分だとお金を渡してくるくらい。 そのおかげで、今は週4日の五時間くらいのバイトで済んでいる。 バイトだって本当はやめてほしいと何度か話をされたけど、光邦さんや暁さんとするバイトは楽しいし、やっぱり千になにかをしてあげるとき自分のお金でしたいからわがままを言って続けさせてもらってる。 でも、オレがバイトするのは今は時間的に法律に引っ掛からないとは言え、校則では禁止されてる。 自由に働ける大人って、羨ましい。 また頭のなかで今日の千と七海先生を思い浮んだ。 私生活にしても千をサポート出来たことなんて一度でもあっただろうか。 そんなことを考えながら電車で揺らされて纏まらないまま家についていた。 合鍵を回して家の中に入る。 「千、ただいまー」 お邪魔しますから、ただいまに変わったのだってもう馴染んだ。 それなのに、いつまでもオレの弱さは変わらない。 リビングのドアを開けると千がソファでパソコンを触っていた。 「おかえり」 「うん、千もお仕事お疲れ様」 それだけ言って、お風呂に入ろうと今入ったばかりのリビングを出ようとしたら千に呼び止められた。 「リチェール、そこ座れ」 「あ、はい」 コートを脱いで手に折り畳んで持つと、言われるがまま千の隣にちょこんと座った。 バイトに向かう前に、予めメールで掃除は何事もなく終わったことを伝えていたけど、そのことを詳しく聞きたいんだろう。 オレが隣に座ったのを確認すると千がパソコンを閉じてオレの頭にぽんっと手を乗せた。 「今日、来てたのに構えなくて悪かったな」 緊急事態で慌ただしい中、目も合わなかったのに、来てたことを気付いてくれていたのにびっくりする。 「え、気付いてたの?」 「リチェールの声聞き間違えるわけないだろ?」 ふっと微笑を浮かべて髪を撫でてくれる千に胸がきゅっと締め付けられる。 どうしよう。嬉しい。 あんなに落ち込んでた気持ちがこんなにも簡単に浮上するから不思議。 「ううん!オレも忙しい時にごめんねー。彼、大丈夫だった?」 体ひとつ分あけて座っていた距離を詰めて千にぴったりくっつくと、千は肩に片手を回して包んでくれる。 「部活中木にかかったボールを取ろうとして落ちたんだと。血の割に軽傷だったよ」 「そうなの。よかった」 「誰かさんは病院が別荘かってくらい定期的に病院のお世話になるんだから人の心配してないで自分の心配しろよ」 「ふふ。別荘だって」 クスクス笑いながら穏やかな時間を過ごす。 「あ、千気付かなくてごめんね。コーヒーいれてくるよ」 量の少なくなったマグカップを見て立ち上がろうとしたら、千が腕の力を込めてそれを止めた。 「いい。それよりリチェール。居残りの掃除の話聞かせろよ」 あ、やっぱりそのことも気になってたんだ。 相変わらずオレ心配されてるなって苦笑する。 「気にしてくれてありがとう。あのね……」 それから、オレは武田先生に美術室に向かわされたことから掃除をすることになった流れや今日の掃除中のやり取りを順番に話した。 千は聞いてる途中でタバコをつけて、白い煙を吐き出した。 「武田の野郎。この間もっとしっかりしろって学年主任からも言われてたのに」 「あ、でもね、武田先生からしたら内容はちゃんと知らないし、生徒の喧嘩の仲を取り持とうとしてくれたわけだから、責めるようなこと本人に言わないでね」 「てか説教されたときに武田のこと言えばよかっただろ」 「さすがにそれだと武田先生立つ瀬ないじゃん。いいよ。別に普段サボりまくってたわけだし一回くらい罰受けてもー」 「立つ瀬ってお前な……」 千が呆れたようにため息をつく。 それから、自分の髪をがしがしかいた。 こんなに心配症すぎて、将来はげないかな、とかどうでもいいことをぼんやり思う。 「まぁ30分したら先生も来るし、明日からはスマホも持ち歩くようにするからー。 それにシンヤもね、謝ってくれたし」 だから安心して、と笑って言うと、千がスッと目を細めてオレの顎を持ち上げた。 「お前の体に触れたやつと二人っきりになるのを謝ったからって許すわけねぇだろ」 不機嫌な顔に、皮肉な笑みはとても迫力があり思わずごめんなさい、と小さく謝った。 「………リチェールが悪くないのはわかってる。明日からはどこで掃除するのか報告するのと、終わったら連絡しろ」 ふーっと仕方なさそうにため息をついてまたオレの髪を撫でてくれる千に、はい、と素直に頷いて胸に顔を埋めた。 このままぐだぐだとしてしまう前にさっとお風呂に入って、学校で出た課題を広げた。 「そう言えば、千。今日は子供っぽいことしてごめんね?恥かかせちゃったでしょ?」 パソコンを打つ手を止めて千が顔をあげる。 「なにが」 「ほら、お弁当……」  「ああ、あれな。七海に彼女持ちだってアピールできたから助かった。明日からも期待してる」 思い出したように千がふって笑ってオレの髪を撫でてくれる。 こう言ってくれるのは千の優しさで、本当は恥ずかしい思いをさせてしまったかもしれないのに、嬉しくてシャーペンを放り出して千に抱き付いた。 「千~~。ほんとなんでこんなにやさしいのー。こんな子供っぽいこともうしないからね!ごめんねぇ!」 「子供っぽいなんて思ってねぇよ。ほら、早く課題終わらせて寝ろ。いつまでもちびのままだぞ」 背中をポンポンって撫でられ、そんなことにすらきゅんってなる。 好き。大好き。 光邦さんの言う通りだ。 不安なことも話してしまえばすぐ楽になる。 「まってー。課題なんて30分で終わらせるから充電させてー」 座ってる千に対して立ち上がり顔を包むようにぎゅーっと抱き締めて顔をすりすりと押し付けた。 抱き締められるのも好きだけど、抱きつくのも好き。 自然と緩む口元に、幸せを感じてそれからしばらく千にくっついた。

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