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四方八方

リチェールside 「あ、ねぇちょっと!」 学校について教室に向かう途中、七海先生に呼び止められた。 優しくて気さく先生だって聞いたし、いい人なんだろうけど千と一日中一緒にいるから嫉妬が邪魔して少し苦手。 「はーい」 もちろんそんな感情は一ミリも出さず笑顔で答えた。 七海先生はきょろきょろと辺りを見渡して手招きをする。 話があるからついてきてと言われてついた先は普段はほとんど使っていない地学準備室だった。 ここで犯されたことがあるから、入るのに少し抵抗がある。 「どうしたの?早く入って」 妙な息苦しさを感じつつも笑って頷き中に入った。 この人がオレになんの用だろう。 相手は女性なのに、この部屋はどうしても苦手で、つい入り口側をキープしてしまう自分の気弱さに心が重くなるようだった。 「どうしたんですか?」 笑ってそう聞くと、七海先生は綺麗な顔を悲しそうに歪めて俯いた。 「君、月城先生と一緒に住んでるんだよね?月城先生の彼女さんってみたことある?」 「えっ」 千に彼女?思わず固まってしまう。 なんの話? 「毎日お弁当持たせてるから、出勤前にとってきてるのか、彼女さんが作りに来てるのか。もしかして彼女さんと3人で暮らしてたりする?」 なるほど。お弁当は意外と効果覿面だったらしい。 てか、こんなこと聞いてくるってことはやっぱり七海先生、千のこと好きなんだ。 オレでもさすがにこんなに早くは惚れなかったけど、一目惚れする気持ちは今はすごくわかる。 「月城先生の彼女ってかわいい?私より美人かなぁ?」 「え、いや………」 七海先生の方が比べ物にならないくらい可愛いし美人だ。 それなのに、そう言いたくない。 「えっと、月城先生秘密主義で一緒に住んでてもほとんどプライベートな会話ないんです。 だから彼女さんも見たこともないです。協力出来なくてすみません」 「そうなの?いいよいいよ!いきなり呼び出してごめんね!」 すぐ謝ってくれる所とかやっぱり優しい人なんだと思う。 そんなことを考えていると、手をぎゅっと握られ可愛らしい顔に覗きこまれた。 「ね。これから協力してくれない?」 「え?協力?」 「私どーしても月城先生がいいんだよね。あんなにかっこいい人早々いないよ。しかも月城医院のご子息らしいし?将来安泰じゃん」 その、月城医院云々は千を好きなことに関係ないだろ。 無邪気に笑う顔が無神経に見えてムッとしてしまう。 落ち着け、オレ。英国紳士だろ。 女性相手にいらっとするな。 ふーっと気付かれないように息をついて困ったような笑いを浮かべた。 「オレ、月城先生にはすごいお世話になってる身なので今の付き合ってる人との関係をこじらせて困らせるような真似はできません。 力になれなくてすみません」 一応言葉は選んだつもりだし、柔らかくもはっきり断れた。 これで大丈夫かと思い、もう会釈して出ようとしたら、七海先生に手を引かれた。 「困らせるって……大丈夫だよ? なんかね、月城先生に彼女さんが束縛激しいって相談されてね」 「………え」 胸がギクッと痛む。 最近、たしかに千に甘えすぎて束縛激しいと言われても仕方ない行動をとっていた。 「和食も作れないのにバカみたいな弁当仕事場に持たせて、いい笑い者だったよ昨日。 ね?そんな女別れた方がお世話になってる月城先生のためになるでしょ?」 「…………っ」 その通りかもしれない。 その通りなのは分かっていても、もう千を手放すことはできない。 名前を呼んでもらえるだけで嬉しかったし、抱き締められて幸せだった。 今だって付き合えてることが夢のようなのに、オレだけを見てほしいなんて烏滸がましい欲が出て、千を困らせていたんだ。 「あ、そうだ。よかったらこれ家で月城先生に食べさせてあげて。 せめてもって肉じゃが作ってきたんだけど彼女さんが妬いて面倒だからって受け取ってくれなくて」 ガサッと紙袋をつき出され思わず狼狽えてしまう。 たしかにオレは、肉じゃがなんて作れない。 たまにチャレンジするけど、まだまだの出来だった。 「君が作ったってことにしていいから。日本人なのに手作りの和食も食べれないって月城先生が可哀想でしょ?」 「………七海先生がせっかく作ったんですから、七海先生からって渡しときますね」 控えめに紙袋を受けとりなんとか笑う。 七海先生も嬉しそうに笑った。 その顔はやっぱり可愛くて、胸がジリジリする。 「わかってるねー!あ、君名前何て言うの?よかったら連絡先教えてよ」 「連絡先?」 「そうそう。教えて?ほら早く。時間ない」 別にホームルームくらいサボってもいいけど、教えないと納得しなさそうだし、連絡先を教えてとりあえずこの場は離れた方がいいように思えた。 「QRコード出すね~」 「あ、はい」 言われるがまま登録すると七海先生が英語の表記で書かれてるオレの名前を読めないと顔をしかめた。 「あ、ルリって呼んでください。みんなそう呼ぶんで」 「おっけー。ルリ君ね。また月城先生と肉じゃが食べたら月城先生の感想聞かせてね~」 無邪気に笑って颯爽と出ていく七海先生に合わせて片手を降ったけど、オレは一刻も早く出たいと思っていたこの部屋からしばらく動けずにいた。 まだ急げばホームルームにも間に合うし、教室に向かわなきゃって思うのに、騒がしい教室でいつものように笑っておはようと言うのが何となく憂鬱でその場に座り込んでしまう。 1限は化学だったはず。雅人さんサボってもなにも言わないよね。 チャイムの音がホームルームの始まりを告げた。 オレ、最近甘えすぎてたなぁ。 だって、千が甘やかしてくれたから。 七海先生の話を全部信じる訳じゃないけど、少なくとも千はそういう発言を七海先生にしたんだろう。 ………思えば、一気に千と親密になったきっかけはこの部屋で乱暴された時からだった。 あの時からもうずっとオレは千に守られて重荷になっていた。 ここで押さえ付けられて面白おかしく犯された時も、父さんの時も、たぶんオレは耐えられた。 だって実際千に助けられて、怒られて、甘やかされるまで、仕方のないことだと割りきっていた。 今回のことだって付き合ってすぐの時なら、こんな独占欲なかったのに。 「はぁ……」 なんかもう、オレだめだな。 "明日も期待してる" そんなこと言われたら、頑張っちゃうに決まってる。 今日も昨日に比べたら落ち着いたものの卵焼きをハートにしてしまった。 ああもう恥ずかしすぎて死にたい。 一人で浮かれてた。 動きたくないのに、この部屋で起きたことが嫌でも思い出されて吐き気がしてくる。 せめて、寒くてもいいから屋上に移動しようと受け取った紙袋を鞄にいれて立ち上がるとドアを開いた。 「リチェール?」 一歩出て屋上に向かおうとした瞬間、後ろから呼ばれドキッと心臓が跳ねる。 振り返ると七海先生を連れて千が不審そうな顔で立っていた。 「お前何でそんなところから……」 見る見る不機嫌な顔になって長い足てコツコツと音を立てながら距離を詰めてくる千につい後ずさってしまう。 やだ、今は会いたくない。 「じゅ、授業遅れるので失礼します!」 つい大きな声でそう言うと、逃げるようにその場を駆け足で離れた。

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