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来訪者
リチェールside
バイトが終わって、ルンルンで帰宅したのは1分前。
すぐに違和感に気付いた。
いつも通りただいまーってソファに座ってた千に抱きついたのに、いつもなら抱き留めるように腰に回される手がない。
「千ー?どったのー?ボーッとしてたらちゅーしちゃうよー?」
千のほっぺを両手で包んで、おでこにちゅっとキスをした。
けれど、目があった千の顔を見てぎくっと体が固まる。
「おかえり。今日から久瀬が謹慎明けてたけど、関わってねぇよな?」
胡散臭い爽やかな笑顔の裏には確信が滲み出ていて顔がひきつる。
関わってることに対して怒ってる理由もわからないけど、そもそもなんで知ってるのだろう。
そしてすぐに、ピンと来た。
純ちゃんだ。
あのお節介、最近やたらと千と仲良しだからチクったな、と内心舌打ちする。
「えと……殴ってごめんねってわざわざ謝りに来てくれたから大丈夫だよーって言ったよー」
「へぇ、他には?」
「た、体育で二人一組の準備運動、一人余るからオレが組んだけど……だめだった?」
千の黒い笑顔がぴくっとひきつり、その恐ろしい雰囲気に千の上から退こうと体を浮かした瞬間、ぐっと手を引かれ顔がくっつきそうなほど近付く。
「殴った相手に自分からしっぽ振って近寄っていくお前見て俺がなんとも思わないと思ってんの?」
眉をしかめて、口元に歪んだ笑みを浮かべるその表情は魔王のような迫力があり、オレも辛うじて笑顔は保ったものの顔が青くなってることが自分でもわかった。
「で、でも誤解があったわけだし、謝ってくれたし一発殴られたくらい何ともないよー?それに、そんなに痛くなかったし」
だからそんなに過敏にならないで、と努めて明るく笑うと千は呆れたように深く長くため息をついた。
「リチェールのその傷付けられたことを気にも留めない感覚がたまにすごく怖ぇよ」
そんなことないと思うけど。
千がオレに何かあることに敏感すぎるだけだと思う。
腑に落ちない所はあるけど、今まで自分のエゴを貫いた結果千に迷惑をかけたり、傷付けたりしていたのだから、ここはオレが素直に引くべきなんだろう。
でも、やっぱり好きな人に騙された久瀬先生は可哀想だと思うし、好きな人を傷付けられて守ろうとした行動なわけだし、誤解が解けたなら久瀬先生だって被害者なんだから、オレのことなんか気にしないでほしいと思う。
とは言え、七海先生が強姦をなすりつけた相手が千で、久瀬先生が千を殴ってたらと想像すると、同じ行動はとれないだろう。
騙されたことに同情はするけど、挽回の手助けはしない。
千が気にしてないと言って久瀬先生と仲良さそうにしてたら……許さない。
しゅんとする久瀬先生を見て胸が痛んで、つい千の気持ちなんて省みもしないで、エゴだけで行動してた今日の自分に今さら気が付く。
「………千ってオレのこと好きでいてくれてるんだね」
「今更だろ」
ハッキリと言われ、また胸がぎゅーっと締め付けられる。
だって、未だにどうしても実感がわかないから。
だからいつも、千の気持ちを知るのは怒らせちゃったり困らせちゃったりしたあとだ。
「……ごめんね千。オレが無神経だった」
逃げようと後ろに置いてた重心を前に傾けて千の胸に体を預ける。
オレの体をすっぽり包む広い腕の中に入り込むと背中に手を回した。
「リチェールの長所だとはわかってる。けどもう少し危機感もて」
千がぽんぽんと受け入れるように軽く背中を叩いて、甘くて低い声が、優しく耳に届く。
さっきまで怒ってたのに、こんな簡単に機嫌直っちゃって変なの。
厳しくて、底抜けに優しくて、この人が好きで好きで、胸に顔をぎゅーっと押し付けた。
「千ってさ、甘いよね」
「俺もそう思う」
「ふふ。大好きー」
「はいはい」
諦めたように渇いた笑い方をする千に、小さくキスをした。
そのまますぐ唇を放しもう一度抱き付こうとすると頭を固定され深く口付けられた。
「んぅ……っ」
キスが深くなるにつれて、服の上から体を撫でられ、するのかな……と考えていると、ポケットに入れていたスマホが着信を告げた。
ピタッとお互いに止まり、千が体を放したら少し恥ずかしく思いながらスマホを取り出した。
だれだよ、と確認して首をかしげる。
表示されたのは全く知らない番号からだった。
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