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来訪者
『どう?少しはよくなった?』
リチェールの冷たい手がさらっと俺の前髪をどかして額に触れる。
辺りはもう真っ暗で焦ってるはずなのに、そういう表情は一切見せず穏やかな笑みを浮かべているリチェールはイギリスにいた頃から何も変わらない。
俺のスマホが日本で使えるはずもなく、そもそも今の時代近い人間の番号すら覚えてるはずがない。
あの同居人に連絡ができないまま時間だけが過ぎていく。
『悪い。まだキツい』
『うーん。ねぇ、やっぱり病院行こう?旅の疲れが出たんだと思うけどやっぱ心配だし』
『いかねぇ。なんだよ。早く帰りたいならお前一人で帰れば?』
『もう。なんでそんなひねくれた捉え方するんだよー』
ふーっとリチェールがため息をつく。
『ごめんね。よく考えたらトム長旅で絶対疲れてるのに、こんな遠くまで連れ出すべきじゃなかった。イギリスから来てくれて嬉しかったからはしゃぎすぎちゃったね』
『これだからギゼンシャは……めんどくさいって思ってるくせに』
『思うわけないだろ?熱とかでなきゃいいけど……』
本当に心配そうにリチェールは俺の顔色ばかり伺う。
それでも相変わらず小刻みに腕時計を見て時間を気にしてるようだった。
昔は時間なんてまったく気にしないでずっと俺の気のすむまで一緒にいてくれたのにな。
『……彼氏のこと気にしてんの?』
『え?んー、まぁ千心配性だからねぇ』
『心配?17の男二人で出歩いてるのに?』
思わず半笑いで聞き返すと、リチェールが気恥ずかしそうに笑う。
『だよね。オレ喧嘩だってそこそこ強いし、心配すること一つもないのにねぇ』
時間を気にするから、よっぽど厳しいやつで苦労してるのかと思いきや、リチェールはどこか幸せそうに笑う。
干渉されるのどちらかと言うと嫌いなやつだったはずだ。
心配ってなんだよ、ばからしい。
リチェールも感情のないようなヘラヘラした笑い方をするけど、あの男も大概だ。
どうでも良さそうに口数は少ないし、分かりやすい愛想笑いは冷たい雰囲気で、何を考えているのかわからない。
リチェールのことなんてどうせどうでもいいんだろ。
あんな色男がなんで、リチェールを勘違いさせて側に置いているのか腹は読めないけど、絶対騙されてる。
そのことを思い知らせて、二人の仲をとことん拗れさせて、リチェールはイギリスに連れて帰る。
まぁ、リチェールがあの男から嫌われたところでこたえるか怪しいところだけど。
こたえたら、そのまま喧嘩まで持っていってイギリスに連れて帰るし、こたえなかったら、それだけの関係なんだから、余計に連れ帰るのは容易い。
10時を越えるころ、そろそろかと思い席を立った。
『よくなったわ。悪いな』
『ほんと?無理すんなよ?』
リチェールは何も疑わず心配そうにこてんと肩に頭をかしげて俺を見上げる。
『大丈夫。スマホ探すんだろ?早くいこう』
『いや、スマホなんてどうでもいい。トムが動けるうちに早く帰ってベットに横になろ?』
これはちょっと予想外。
そんなに心配されたら、気まずいだろ。やめろよ。
少し苦い気持ちになりながら頷いて喫茶店をあとにした。
寒くもないのにリチェールのコートを肩からかけて駅に向かう。
返そうとしたけど、リチェールが体を冷やすなと言って受け取らなかった。
『なんかこうしてトムと暗い道歩くの懐かしいな』
へにゃっとリチェールが笑って、俺もつられて口元が緩んでいた。
うん、懐かしい。
イギリスにいるとき、リチェールの隣が唯一俺の居場所だった。
「リチェール!」
少し怒ったような声にリチェールがビクッと顔をあげる。
リチェールの視線を目でおうと、同居人が立っていた。
「え!?千!?なんで!?」
リチェールがするりと俺の横から抜け出し彼の元に向かう。
なんでこんな電車で三時間もかかる場所にいるのだろう。
「っんとに、お前は……!次は何に巻き込まれた?心配させんじゃねぇよ」
「わ……っ」
彼がはーっと長いため息をつきながら片手でリチェールを抱き寄せる。
昨日までの無表情はそこにはなく、どこか焦っているように見えた。
「なんでここにいるの?」
「お前が暗くなっても帰ってこないからスマホ鳴らしまくってたら、警察が出たんだよ。落とし物で届いてたって」
「あー!オレの携帯!」
「普通は見付からないぞ。運が良かったな」
俺が捨てたスマホを彼から嬉しそうに受け取り、リチェールがほっとしたように握りしめた。
日本のスマホなんてどうせもういらなくなるのに。
「で、スマホが届いた交番に取りに行って、最寄りの駅で待ってた」
彼はリチェールの存在を確かめるように頬や髪を撫でる。
なんだこれ。相手は17の男だぞ?
心配?なんで?
わざわざ、迎えに来るくらい、なにが心配なわけ。
……俺は、こんなことされたことない。
胸がチリチリと疼く。
「ごめんね。暗くなる前に帰ろうって思ってたんだけど、オレがあちこち連れ回しすぎてトムが気分悪くなっちゃって休んでたの」
彼と目が合いぎくっとする。
俺に一歩近づいてゆっくり手をあげた。
思わずぎゅっと目を閉じると、その手は優しく俺の額に触れる。
『熱はないみたいだけど、大丈夫か?』
………え。
ゆっくり目を開けると、透き通ったスカイブルーの瞳が俺を映し、ドキッと心臓が跳ねた。
なんで、俺のことまで心配してるの。
リチェールを散々子供扱いして甘やかして手が俺に伸びて、心臓が早鐘を打つ。
…………なんだこれ。
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