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来訪者
『トム、シート倒して寝ときな』
リチェールが後部座席のシートを倒して後ろから柔らかい毛布生地の膝掛けを取り出す。
後部座席を広く使えるようにと、俺が寝転がるのを確認するとドアを閉め、リチェールは助手席に乗り込んだ。
車内で流れる洋楽は、いつだったかリチェールが好きだといってた歌手のものだ。
仮病だし体調なんて全然悪くないけど、気まずくてすぐ顔を隠し寝たふりをする。
「もう11時になってたんだね。千、ごめんなさい」
車が走り出して多分10ほどたち、俺が寝たと思ったのかリチェールが静かに口を開いた。
「スマホは肌身離すなよ。それだけ次から気を付けてくれたらいい」
「はい……。ごめんなさい」
「変なのに絡まれなかったか?」
「うん。むしろずっと英語で話してたし、避けられたくらいだよー。いつも心配かけてごめんね。こんな遠くまで迎えに来てくれてありがとう」
二人の会話は、なんだか穏やかだ。
うっすら目を開けると、ちょうど彼がリチェールの頭を優しく撫でていて、なんとなく見たくなくてまた目を閉じた。
「楽しかったか?」
「うん。オレ、赤福って初めて食べたんだけど、めっちゃおいしいねー。千にも買ってきたからね」
「ふ。お前ほんと和菓子ブームだな」
「好きだねー。かるかんってのも美味しかったー。千には博多のメンタコも買ったよー」
「……………あぁ、明太子か」
「メンンタコー?」
「明太子」
クスクスと二人の笑い声が車内に響き胸がずきずきする。
こんな温かい空間、俺は知らない。
今の親戚の家も、俺を大切にしてくれるのはわかるけど、それとは全く違う。
まるで、本当に幸せそうだと思えてしまう。
「原野が寂しがってたぞ。俺に文句いいに保健室来てた」
「最近二人仲良しだよねー。妬けちゃうなぁ」
「お前のこと色々知らせてくれるから助かってるよ」
いつも変わらずへらへらしたリチェールも、声に表情がある。
なんだか、まるで本当に愛し合ってるみたい。
俺は知らない。
誰かを愛することも愛されることも。
またリチェールに置き去りにされた気分にモヤモヤして、耳を塞いだ。
____________
「ん……」
体がふわふわ浮いてる感覚がして、ゆっくり目を開けた。
いつの間に眠っていたんだろう。
『起きたか』
目を開けて最初に映ったのは、スカイブルーの瞳の彼だった。
『…はぁ…っ!?』
『……っと、暴れんな。落とすぞ』
ビックリして離れようとしたら体がガクンと揺れて固まる。
俺はリチェールの彼氏に抱き抱えられている状態だった。
『ざっけんな!!放せ!』
暴れるとハイハイと表情ひとつ変えずにゆっくりおろされた。
ありえない。こんな軽々と、大の男を持ち上げるか?
身長だってそんなに大きく変わるわけでもないのに。
『トムおはよう。具合はどう?』
『うるせぇ!』
恥ずかしさで顔が熱く、思わず隠すように背ける。
リチェールの顔も、彼の顔もなんだかまともに見れない。
『もう、トム!せっかく千が運んでくれたのにそんな言い方すんなよ』
『起こせよ!』
『言っとくけど、昨日も千がお布団まで運んでくれたんだからね』
『はぁっ!?』
いやいやいや!
こんな恥ずかしいことが昨日もあったなんて思いたくねぇし!
「リチェールも最近こそだっこーって引っ付いてくるけど、最初は抱き抱えるたび恥ずかしがってただろ」
「そうだっけー?」
癖のようにぽんっとリチェールの頭に手を置く彼に、リチェールがへにゃっと顔を赤くして微笑む。
ああ、ほら、また。
ずきって痛む胸は、なに。
リチェールがこの男に甘えて、それを当たり前のように男が受け止める。
『………やっぱ、まだ気分悪いわ。寝ていい?』
『え!大丈夫?すぐお布団敷くね』
パタパタとリチェールが小走りでエレベーターから降りて昨日の部屋に布団を敷いてくれた。
柔らかく上質な布団は、柔軟剤のいい匂いがして、それを頭まで被るとなにも考えたくなくて目を閉じた。
『電気消すね』
リチェールの声は聞こえたけど返事は返さなかった。
イギリスに居場所をなくしたリチェールを連れ戻そうって思ってたはずなのに。
あの時俺を地獄から連れ出してくれたリチェールを、今度は俺が連れ出してやりたかった。
それなのに、俺の知らないところで幸せを掴んだリチェールに胸がジリジリ妬けるようだった。
遠くで、リチェールとあの男の会話が聞こえる。
何て言ってるかまでは聞き取れないけど、やっぱり雰囲気が穏やかだ。
あの男がリチェールを優しく撫でる光景ばかりを思い出しては唇を噛み締めた。
……結局三時間くらいたっても眠れず、水でも飲もうと布団から抜け出した。
二人の話し声が聞こえなくなったことから、寝たのだろうと廊下に出たけど、リビングのドアの窓からは灯りが漏れていた。
ドアを開けると、ソファに腰かけたあの男の後ろ姿が映りドキッとする。
『まだ起きてたの』
ノートパソコンになにかを打ち込んで気付いてない男に話しかけると顔をあげた。
『ああ、起きたのか。具合は?』
『別に、普通』
『リチェールが夕飯作ってるけど、食べれそうか?』
言われてみたら、お腹がすいた。
てか、リチェールが見当たらないけどあいつは先に寝たのかな。
二人きりだと思うと、なぜかわくわくしてるような、ドキドキしてるような、それでいて後ろめたいような不思議な感覚だ。
『お腹すいた』
『冷蔵庫にパエリアと今日お前らが買ってきたお土産品が入ってるから悪いけど自分で温めて食べてくれ。今動けない』
『わかった』
リチェール、ほんとにパエリア作ってくれたんだ。
冷蔵庫から取りだし電子レンジにいれる。
なんとなく、待ち時間が暇だから今日のお礼でも言おうと彼に近付いた。
そして体が固まる。
いないと思ったリチェールは、彼の膝枕でクッションを抱えて寝ていた。
ああ、動けなかったのはパソコンでしてるであろう仕事から手が放せないんじゃなく、リチェールが寝てるからか。
幸せそうな寝顔に、気が付けばぎりりっと奥歯を噛んでいた。
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