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置き去りのバレンタイン

トムくんと少し話して、月城先生の家まで送ると学校に戻る。 ずっとトムくんに言われた言葉をモヤモヤ考えているとあっという間に放課後になった。 自分の気持ちをハッキリさせたくて、気がつけば二年一組に向かっていた。 ホームルームが終わってすぐなのか、まだ生徒が多くざわざわとした教室内で一人の生徒に目をとめる。 「アンジェリー。少しいいか?」 ドアから声をはって呼ぶと金髪のあの子が顔をあげる。 目があって、ごく自然とへにゃっと柔らかく微笑む顔を見て心臓がどくんっと跳ねた。 「久瀬先生さっきは本当に助かりましたー。ありがとうございますー」 テテテと小走りで俺の元に来て、揺れる金色の髪からさっぱりと甘い柑橘系の香水の匂い。 白い肌に華奢な体。 何よりこの無垢な笑顔。 ……ああ、抱けるわ、これ。 もう、自分のこの感情に確信を持っていた。 そして、気がつけば手がアンジェリーに伸びていた。 その手がアンジェリーの顔に触れる前に、微かにアンジェリーの表情がびくっと固まる。 「髪、食ってる」 小さく一束口元にくっついていた髪を指でどかすと、ほっとしたように小さく息をつき、またアンジェリーが髪を耳にかけて恥ずかしそうにはにかむ。 「あはは。髪そろそろ切らなきゃなーって思ってたんですー」 いつも笑顔でばかりいるから、わからないけど、きっと殴ってしまった日、弱々しく泣いてしまうほど色んなことを溜め込んでいるのだろう。 今見せた怯え表情は本当に一瞬で、またすぐ完璧な笑顔に隠してしまう。 気付けるようになりたい。 アンジェリーの色んな感情に。 「アンジェリー。お前彼氏とは上手くいってるのか?」 「彼氏?」 「秋元」 自分で聞いておいて、アンジェリーにキスする秋元を思い出し、イラっとする。 アンジェリーはキョトンと可愛らしく首をかしげて、思い出したように、顔をあげた。 「あー!シンヤね!違う違う!あれはオレを七海先生から庇うためにシンヤが捨て身で機転をきかせてくれただけで、オレらそういう関係じゃないよー」 「は!?」 あっけらかんと答えるアンジェリーに思わず狼狽える。 「え、だって、キス!!」 「あはは。いやほんと、やりすぎですよねー。まぁあれで強姦の疑いが晴れたからいいけど」 「いやだめだろ!」 なんでもないように笑うアンジェリーの肩をガシッと掴む。 「お前さぁ!もっと自分の体大切にしろよ?」 俺の真剣さに、少し引きながらアンジェリーは困ったように笑う。 しまいには、今の笑うとこだよー、ごりりん。と茶化す始末だ。 あの場では俺はこいつを、傷つけてしまった一人だから言う筋合いないけど……。 ないけど!! ああ、この子はちゃんと大人が見てあげてないとだめだ。 こんな不用心な子と、泣いてる相手に強引にキスしたりする秋元を二人っきりで居残りさせていたことを今更ながらに後悔して背中に冷たいものが走った。 「お前、好きな人とかいないの?唇は大切にしろよ」 ぽんっと頭に手を置くと、アンジェリーが顔をポッと赤くして照れたように笑う。 え、なにその顔……。 俺まで顔がカァっと熱くなる。 「オレね、月城先生が好きなんです。片想いだけど。だから月城先生の前でちゅーされたのは嫌だったかなぁ」 頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。 月城先生って……あんな人に敵うわけないだろ。 あの顔だぞ。 しかも、一緒に住んでるし。 衝撃的すぎて言葉でない俺にアンジェリーは赤い顔のまま話を続ける。 「だから、家は楽しいよ。心配してくれてありがとーございますー」 迷惑かけたくないから内緒にしててね、ごりりん。と恥ずかしさを隠すように可愛らしく人差し指を小さな唇に当てた。 ムカつくけど可愛い。 月城先生なら、あれだけモテるし、常識的な人だし、アンジェリーに振り向くことはないだろう。 ……ないか? こんなに可愛いのに? どくどくと心臓が早鐘を打ち焦りで手に汗が滲む。 ………いや、俺はこの子の幸せを願うべきだ。 「アンジェリーが好きなら、頑張れ。 月城先生はすごくモテる。よく生徒から呼び出されてるしデスクにも手紙がよく届くし。 ライバルは多いけど、辛くなったら俺に相談しろよ」 そのことを知らなかったのか、アンジェリーは微かに傷付いたように瞳を揺らし、口を結んだ。 「……それと、トムくんも、月城先生のこと気になるってさっき言ってたし。 二人を見てて辛くなったら俺の家に逃げてきてもいいからな」 「えっ」 今度は分かりやすくアンジェリーが動揺する。 これはあくまでアンジェリーのためだ。 傷ついてほしくないから。 そう自分に言い聞かせて口を開いた。 「日本で頼る大人は少ないだろ?ほら、連絡先交換しておこう」 「あ、いえ、そんなに甘えるわけにはいかないので…。大丈夫です」 「いいから、早く。先生の言うこと聞けないのか?」 遠慮するアンジェリーからスマホを取り出させてお互いの番号を登録した。 何かあったら、頼ってほしい。 それだけだ。 でも、さっさと失恋して追い出されてしまえばいいのにとも思えてしまって考えを振り払った。

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