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置き去りのバレンタイン
あ、そういえば、オレトムに鍵を貸したっきりだから、マンションに入れないんだ。
家についてから今さらそんなことを思い出す。
学校はサボってしまったけれど、おかげで気持ちは大分落ち着いた。
千にはメッセージで学校を休むことを伝えたきりだった。
カサ、と紙袋の中でチョコが揺れて、ふーっと息をつく。
もうすぐ千が帰ってくる。そしたら、家に入る前に車で話をしようって言うんだ。
逃げ出してごめんなさい。
時間をくれてありがとう。
それから、不安だったことも。
大丈夫…大丈夫…と何度も心の中で唱える。
千は、きっとまたオレを迎え入れてくれる、だから今だけは素直になって、と自分に言い聞かせ震える手をぎゅっと包んだ。
『リチェール?』
ふいに後ろから声をかけられ、振り向くと不機嫌そうな顔のトムが立っていた。
その姿にまた大きく気持ちが揺さぶられる。
『トム……』
トムが着ている、サイズが少し大きな服は千のものだった。
ゆったりした、そのニットはオレが気を失ってても着せやすいからと情事の後千がよく着せてくれているもので、さあっと血の気が引く。
いや、落ち着け。
またまた、服がなくて貸しただけかもしれないし。
オレのは小さくて明らかに入らないからだろうし。
それなら、千の服を貸してもなんら不思議じゃない。
…………って、いやいやいや。
そんな風に自分を無理矢理納得させようとしたって。
いやなものはいやだ。
仕方のないことだとわかるから、どこにぶつけていいのか未だに答えはでない。
でも、少なくともトムじゃない。
『トム、昨日は心配してれたのに怒鳴ってごめんね。千と喧嘩して余裕なくてトムに当たっちゃった』
顔をあげて、トムに会ったらまず言おうと思ってた謝罪を口にした。
顔はうまく笑えたはず。
それなのにトムは一瞬ぴくっと眉間にシワを寄せ、何か考えるように目を伏せた。
『……俺もリチェールに謝らなきゃいけないことがある』
どくん、と心臓が大きく跳ねた。
なんだろう。この、嫌な予感は。
七海先生が保健室に半裸でいたときのような、胸騒ぎに顔がひきつる。
『なに……?』
大丈夫。あの時とはちがう。
千から話を聞くまで千を疑ったりしない。
ぎゅっとチョコレートが入った紙袋のを握りしめ慎重に聞き返す。
『千……リチェールが浮気したって荒れてたから、その……悪いのは俺だし、責めないでやってほしいんだけど……』
いつもはズバズバ物を言うトムが歯切れの悪いことを言う。
千のニットの裾をぎゅっと握って意を決したように顔をあげた。
『ごめん…シた』
『……っ』
ショックを受けるな、オレ。
トムは友達だ。
こんな嘘をつくやつじゃないって、信じたい気持ちはある。
……でも、千を疑うことは、もうしない。
気持ちを落ち着かせるよう一度深く息をついた。
『うん、わかった。話してくれてありがとう』
顔をあげて、柔らかく笑うと、トムが目を見開いた。
『あとはオレと千の問題だから、二人で話し合ってみる』
だから、間に入ってくるな、と感情を乗せて微笑んで見せた。
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