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置き去りのバレンタイン
千からトムとのこととか、別れようとか、聞きたくなくて乱暴に拒絶した。
涙は辛うじてたえたけれど、きっとひどい顔をしていただろう。
2月の冷たい風が身を切るようだった。
千の頬をぶった手がじんじんと痛んで、ぎゅっと手を握る。
後ろから追いかける音もないのに無我夢中で走って、角を曲がった瞬間、ドンッと誰かにぶつかってようやく体が止まった。
「すみませ、」
「あ、いや……アンジェリー?」
聞き覚えのある声に顔をあげると、久瀬先生が驚いたような顔でオレを見下ろしていた。
……昨日といい今日といい。
「なんで、ここに……」
疑問をそのまま口にする。
タイミング、悪すぎる。
オレって、ほんと、神様に嫌われてるのかな。
「トムくんから連絡があって、会う約束してたんだ」
ああ、だからトムはエントランスにいたんだと納得する。
そういえばトムの気持ちも久瀬先生から聞いたし、いつの間に仲良くなったのかわからないけど、トムの恋の相談とかに乗ってるのかもしれない。
「……これ、月城先生に?」
ぶつかった拍子に落ちた形の崩れた紙袋を拾って切なそうな表情をする。
今日はバレンタイン。
オレが走ってきた方向からわかったのか、久瀬先生から同情するような目を向けられ、なんとも言えない気持ちになる。
でもこの人は心配してぐいぐい突っ込んでくるところがあるから、なんでもないよう笑って見せた。
「あ、いえ……それは、なんでもないんです」
「なんでもなくないだろ」
控えめにチョコを取り替えそうと伸ばした手を捕まれ引き寄せられる。
「泣きそうな顔してる」
頬に手を添えられ、胸がズキンと痛んだ。
昔から、感情を取り繕うのは得意で、千以外にごまかせなかった人はいなかった。
そんな余裕もないくらい動揺していたのだと、思い知らされる。
「それ、渡す相手がいないならもらっていいか?」
グシャグシャのチョコを目で指して久瀬先生が言う。
「はは。気を使わないでください。これはもういいんです」
「いや、くれよ。どうせ人にはもうあげれないだろ。俺今年もチョコゼロの寂しいバレンタインなんだけど?」
茶化すように久瀬先生が言ってくれて、なんだか少しなごむ。
「じゃあ、普段お世話になってますしちゃんとしたやつ、今度渡しますね」
土ぼこりもついてぐしゃくじゃでさすがにだれかにあげるのは失礼な状態だし。
もう捨てるしかない状態だけど、これは千と仲直りできるようにって暁さんと作ったものだから。
紙袋を受け取ろうと手を伸ばしたけれど、ひょいっと久瀬先生に手を避けられ、ガサガサと中を開け始めた。
「ハンバーガーの件、これでチャラにしてやる」
また冗談っぽく笑って、紙袋から出したハート型だったボロボロのビターチョコのタルトを一口食べる。
「あ」
「うん。うまいよ。手作り?」
アンジェリーは料理上手なんだな、と久瀬先生が笑う。
少し複雑な気もしたけど、オレがあまりにも情けない状態で、久瀬先生が優しさで食べてくれてることがわかるから、ありがとうございますと微笑んだ。
「月城先生にフラれた?」
2個目を口にしながら、久瀬先生に心配そうに尋ねられ、その言葉が頭のなかで重く響く。
フラれたのかな。
ううん。その言葉が怖くて聞く前に逃げ出した。
でも、千の気持ちは少からずトムに傾いていて、終止符を打ったのはオレだけど、捨てられたのもオレだ。
オレ、千と別れたんだ。
そう思った瞬間、ぼろっと涙がこぼれ落ちて慌てて手で押さえて俯く。
「アンジェリー……」
しまった。
見えてしまったらしい。
「すみませ……っ」
「いいから」
久瀬先生がオレの髪の2、3度撫でて、そのまま頭を自分の胸へと押し寄せた。
「先生?」
抱き締められてるような体勢にビックリして顔をあげると、滲んだ視界の中で久瀬先生と視線がぶつかる。
オレの頬を撫でながら、久瀬先生は親指でオレの目尻の涙を拭った。
「アンジェリー。お前外では泣かない方がいいよ」
「え……?」
「男を誘惑してるみたいな顔してる」
そう言って近付いてきた久瀬先生の顔が、オレを犯した日のシンヤの表情と重なって、ぞわっと全身が栗立つ。
"リチェールは自分になにかありそうな時、固まるんだから"
びくっと体が硬直したその瞬間、いつかの千の声が響いた。
「や……っ」
もう少しで唇が触れそうな所で久瀬先生の口を両手で押さえた。
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