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嘘つきトライアングル
千はこんなところでみっともなく泣き付かれてきっと迷惑だと思ってるはずなのに、オレをきつく抱き締めてくれた。
この腕はもうオレのものじゃない。
もうトムを抱きしめるためのものなのに、優しいから怪我をしたことを怒って、泣いたから抱き寄せてくれてるんだ。
その優しさが今は少しだけ憎いよ。
それでも体に教え込まれた安心感に、また新しい涙が次から次へとこぼれ落ちて行く。
ひっく、ひっく、と静かな室内にオレの情けない泣き声だけがよく響いて恥ずかしいのに、もう少しだけこの腕の中に居たいという気持ちが勝ってしまう。
千の手は相変わらず宥めるようにオレの背中を優しく撫でた。
「リチェールはズルいよな」
ポツリと呟く千の言葉にズキッと胸が痛む。
うん、オレってズルい。
こんな風に泣き付いたって千の気持ちは変わらないのに。
「ごめ……っ」
ごめんなさい、と離れようとすると千の腕に力が込められまた胸の中に閉じ込められた。
千が、はーっと深くため息をつく。
「勝手に離れるわ、怪我するわ。今度こそ起きたら説教からだって、甘やかさないって決めてたのにな」
千がまたオレの髪をさらさらと何度も存在を確かめるように撫でる。
「今ちゃんとここにいるんだら、まぁ、いいかって許しそうになる」
なに、それ。
そんなの、まるで、これからもここにいていい、みたいな。
そんなバカな期待をしてしまいそうな言葉に胸がぎゅっと締め付けられた。
「まぁ、当分許さねぇし、お仕置きもするけど」
ふ、と笑いながら耳元で柔らかく言う千に、たまらず顔をあげた。
「……んで、トムと浮気したの…… ?」
こんな台詞、まるで責めてるみたいで言いたくなかった。
これから先、千が幸せになってくれるなら、オレのことで苦い思いなんてさせたくない。
そう思ってたのに。
千が、まるでまだオレのことを愛してくれているみたいに話すから、堪えきれなかった。
「オレじゃ、だめだったの……?」
涙をボロボロこぼしながら見上げると、千は呆れたようにまたため息をついてオレの頬を摘まんだ。
「俺は愛してるのはお前だけだって何回も言ってるし、リチェールで手がいっぱいなんだから浮気なんてするはずねぇだろ」
「………え?」
まっすぐ言われた言葉の意味を理解できず、思わずフリーズする。
浮気、してない?
じゃあトムとしたのは?
あの時の千の気まずそうな顔の意味は?
釈然とせず言葉を考えいると、カタンと後ろから音がなった。
振り向くと、トムが気まずそうな顔で部屋に入ってきた。
『話聞いてていたたまれなくて。ごめんな、リチェール……俺が嘘をついたんだ』
『え……?』
余計に混乱して千とトムを交互に見る。
した、というのはトムの嘘だった?
いや、あの時の千の反応は何もなかったというものではなかった。
少なからずオレに知られたくないことが2人に起こったはず。
『どういうこと……?』
緊張のあまり上ずってしまった声で聞くと、トムはちらっと千を見た。
『千、俺リチェールと少し二人で話したい。ちゃんと本当のこと全部話すから、頼む』
トムの言葉に千は、ああ、と短く返事をして立ち上がった。
千が部屋から出るのを確認すると、トムはオレに向き直った。
心臓が嫌に鼓動を増す。
『リチェール、嘘ついてごめん!』
『千としたっていうの、嘘だったの?』
『……うん。隙をついてキスはしたけど、千は拒否するように出ていった』
『……キス……』
してなかったってことは嬉しいのに、キスも中々の衝撃でやっぱり胸はズキズキと痛んだ。
『千にも、リチェールが久瀬と浮気してるって嘘を何度もついたけど、千は信じなかった。リチェールが千に大切にされる姿をみて、俺もそうされたいって思ったんだ』
心臓がぎゅっと捕まれたように痛む。
………千は、最後までオレを信じてくれたんだ。
それなのにオレは、まんまと騙されて千の話も聞かないで、引き止める千を叩いて逃げてしまった。
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