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嘘つきトライアングル
久瀬side
月城先生がアンジェリーを連れ出してから、気持ちがちっとも落ち着かなかった。
俺が暴れたせいで散らかった部屋を真っ白な頭のまま、ただひたすら片付けていた。
アンジェリーのぐったりした顔ばかりが頭に浮かんでは、胸を締め付ける。
ひゅーひゅーと、変な呼吸をしていたけど、大丈夫だろうか。
俺はもう教師は続けられないけど、それでももう一度だけでもいいからアンジェリーに会って謝りたかった。
いや、会うことは叶わないだろう。
俺からアンジェリーを奪いとった時の月城先生の表情は普段から想像つかないほど険しく、二度と近づくなと言われてるようだった。
「………アンジェリー……」
ぽつりと名前を読んでみても、また胸を締め付けるだけ。
ふいに、ヴヴヴと机に置きっぱなしにしていスマホが震えた。
画面を確認すると、アンジェリーからでぼーっとしていた頭が突然覚醒し慌ててとった。
「もしもし!?」
「もしもしー。久瀬先生?」
中性的な声が聞こえほっと息をつく。
「ごめんアンジェリー!痛かっただろ?大丈夫か?」
「いやいや!オレも久瀬先生のこと蹴っちゃったし、こちらこそすみません」
「なんでお前が謝るんだ!ごめん!本当にごめん!何も悪くないお前に二回も手をあげてしまって……ほんと、短気で、我慢ができなくて、だめな大人だよな。傷付けて、ごめん」
こんな自分がどうしようもなく情けない。
最低だ。
自分で自分が許せない。
どうしてこんな俺が教師なんかやれると思ったんだろう。
アンジェリーが優しい言葉をかけるから、余計に自分がどうしようもなく小さな人間に思えて胸がいたんだ。
「だめな大人とか言わないで久瀬先生。
オレ、好きって言ってもらえて嬉しかったし、泣いて謝ってくれてたのも聞こえてたよ。
久瀬先生は短気なわけじゃなくて、情に熱いっていうんだよ」
そんなこと、言わないでくれ。
許してくれるまたお前に甘えそうになる。
「違う。俺、本当に最低なことをした。こんな欠点ばかりの俺がなんで好きになってもらえたって勘違いしたんだろうな……」
つい、弱音をこぼしてしまう俺に、通話越しに小さく息を呑む音が聞こえる。
ああこんなこと言って困らせるのはわかってるのに。
「オレ、久瀬先生の短所なんか一個もわかんない。人間、短所なんてなくて、長所しかないと思うよ。たまに長所が悪目立ちするだけで。
七海先生の時もさ、好きな人が傷つけられたからって怒ってたのかっこよかったよ」
そんなことない。
そんなの、綺麗事だって思うのに、最悪だった俺の心は簡単に暖かく包まれていく。
「殴っちゃった、ってそればかり気にしてくれてありがとう。でも、久瀬先生だってたくさん傷付いたんだからちゃんと自分の気持ち大切にしてあげてね」
「そんな……」
そんなの、むしろお前に言いたいくらいだ。
俺はこの子より一回りも年上で、教師なのに。
うん。悲しかったと、その言葉に甘えてしまいそうになる。
悲しかったよ。
本当に好きだったから。
でも救われた想いもある。
叶わなかったけれど、好きになった相手がこの子でよかったと素直に思える。
「あのね、久瀬先生。トムが代わりたいっていってるんだけどいい?」
トムくんの名前を聞いて、思わず一瞬ぴくっと体がこわばった。
「うん、いいよ」
けれど、アンジェリーが俺を許してくれたのだから、俺がトムくんを許せない訳がない。
「も、もシもし……」
あんなにも狂いそうな怒りをぶつけたかったはずなのに、穏やかな気持ちでトムくんの電話に出られた。
「もしもしトムくん?さっきは怖い思いさせてごめんな。大人げなかった」
「い、イヤ、おれガ、わルかった。ごめンなサイ……」
「うん、謝ってくれてありがとう」
「り、リチェールにカワル!」
怯えたようにすぐトムくんはアンジェリーに電話を戻した。
小さな声で英語がボソボソと聞こえて、アンジェリーの声がまた届いた。
「久瀬先生、トム、ほっとしてた。ありがとう」
「うん」
アンジェリーが、じゃあそろそろ、と電話を切ろうとする。
ひとつ伝えたいことがあって、まって、と引き止めた。
「どうしたの?」
「あのな、アンジェリー。俺、学校やめることにした」
電話の向こうで、え!?と珍しく声を大きくする。
「どうして?今回のことが原因?それなら久瀬先生が悪い訳じゃないんだから……」
「俺が悪いんだよ、アンジェリー」
想像通り、アンジェリーは俺をかばってくれるけど、その心地のいい優しい言葉を遮って言葉を発した。
こんなことをして教師を続けていいはずがない。
なにより、お前にしてしまったことにちゃんと向き合いたいんだ。
「久瀬先生……でも……」
「向き合わせてくれ。
申し訳ないとか、自分を許せないとか後ろ向きな気持ちじゃないんだよ。アンジェリーのおかげでやっと前に進めそうなんだ」
「え?」
俺のいってることが、ピンと来ないのか、アンジェリーは不思議そうに聞き返す。
それでも、俺が沈んでいるわけではないことがわかったのか、小さく、うんと返事をした。
明日には校長に辞表を出す。
引き継ぎはあるだろうけど、アンジェリーはあの怪我では間違いなくしばらく休むだろう。
もう会えないかもしれないけど、それでもよかった。
気持ちはかえって来なかったけど、この子を好きになってよかったと心からそう思える。
「アンジェリー、好きだよ」
最後にと、そう伝えると、アンジェリーは電話の向こうであたふたする。
その焦った声がかわいくて、笑いが溢れた。
「幸せになれよ」
最後にそう伝えて、静かに通話を切った。
スマホを机に置いて、ソファに倒れ込む。
胸はまだ痛むけれど、頑張ってまっすぐ歩いていこうと思えた。
優しいあの子が、優しいといってくれた俺でいれるように、この胸の痛みはお守りのようだと思えて、短所は長所の悪目立ちという綺麗事が少しだけ馴染んだ。
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