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天邪鬼

純也side 「そろそろかな。行こっか純也」 雅人が穏やかに微笑んで俺の手を引く。 その笑顔をみて、どういう気持ちなんだろうってぼんやり思う。 大切な両親を亡くして、雅人こそ寂しいはずなのに、くだらない意地でうじうじしてる俺にイラついたりしないのかな。 すこし怖じ気づいて俯くと、雅人に頭を撫でられ、ああ、大丈夫だと気持ちを持ち直した。 「純ちゃん頑張ってねー」 両手をぐっと胸の前に持ってきて握るルリに、頷いて部屋をあとにした。 待ち合わせのロビーが見えてきて、心臓が早鐘を打つ。 先に着いていた母さんがこちらに気付き立ち上がって会釈をした。 「こんにちは、原野さん。お時間を作っていただきありがとうございます」 雅人がまるで教室で見るような爽やかさで挨拶をして、ぽんと俺の背中を叩いた。 母さんと目が合ったけど、ついそらしてしまった。 二人が近くの喫茶店に移ろうって話してるのをぼんやりと見ていた。 まだ自分の言いたいことがまとまらない。 母さんに会うのだって今日が久しぶりで、さっき酷い言葉をぶつけたばかりなのに。 ちらっと横目に盗み見る。 長い茶髪はくるくる巻かれていて、格好もやっぱり歳のわりに派手で、でも若く見えるし、贔屓目かもしれないけど相変わらず綺麗だ。 でも少し痩せた? また無理してるのかな。 お酒飲む仕事やめれないのかな。 喫茶店に入ると雅人はさっさと注文を済ませて、店員が下がるのを確認すると、雅人が何かを言おうと口を開いた。 「母さん」 けれど、遮って声を出した。 これは俺と母さんの問題で、向き合わなきゃいけないのは俺だ。 雅人はいてくれるだけでいい。 十分心強かった。 母さんが顔をあげて、視線がぶつかる。 一度気持ちを落ち着かせようと深く息を吸うと、雅人が机の下でぎゅっと手を握ってくる。 吸った息をゆっくり吐いて言葉を続けた。 「……俺ね、今この人と住んでて楽しくやってるよ。母さんは、最近どう?」    思ったより穏やかな声が出たのは、机の下の温かい温もりのお陰なんだろう。 「そう。楽しくやってるの……」 母さんが目を細めて穏やかに笑う。 「さっきは酷いこと言ってごめん」 「ううん。私も調子乗っちゃったから」 久しぶりにちゃんと見た母さんの穏やかな表情に、胸が苦しくなる。 今までの母さんは、無理して空元気の笑顔か、苦しそうな顔ばかりだった。 さっきのことだけじゃなくて、謝りたいことはたくさんあった。 「小学校の時、授業参観に来てくれた母さんに、酷いこと言ったの覚えてる?」 "母さんが来るとはずかしいんだよ!" 小学校一年の時、母さんをバカにされて、二年の時はもうばかにされたくなくてこなくていいと言った。 それでも行くと譲らない母さんを最終的には酷い言葉で黙らせてしまった。 「酷い言葉?ううん。覚えてないよ」 へらっと笑う母さんに、どっちなんだろうと見つめた。 すこし前の俺なら、やっぱり俺との思い出なんてすぐ忘れるんだって不貞腐れたと思う。 でも、この笑い方をするやつを俺はよく知ってるから。 へらへら笑う金髪の少年が頭によぎった。 きっとこの笑い方は俺への思いやりなんだろう………なんて、今さら期待するのはおかしいかな。 「母さんが覚えてなくても、俺はよく覚えてるよ。 酷いことを言ってごめん」 頭を下げる俺に母さんが、狼狽える。 「え、や、純也、あの」 「でも、母さんのこと恥ずかしいとか思ったこと、一回もない。いつも俺のために無理して身を削ってくれてるから、これ以上無理してほしくなかったんだ」 母さんが若くて、派手だからいじめられた。 そんなのは、理由じゃない。 多分俺がいじめのターゲットになるような雰囲気で、母さんはその後付けのネタにされていたんだ。 そして、そのことを母さんが知って悲しむことが嫌だった。 遠ざけるために俺が傷付けてどうするんだって話だけど。    "純也の気持ちを丁寧に丁寧に紐解いていけば、きっと暖かい答えは待ってるから大丈夫" 母さんに会う前に、そう言ってくれた雅人の言葉を思い出し、色んな苦い記憶を思い返した。 「構わないでって言ったときも、明るく笑ってくれたよね」 母さんは笑ってわかったと言って、喜んでるように見えた。 それでも、あの時も、こんな悲しそうな笑顔だったかもしれないと今さら気付く。 「俺のせいで、恥ずかしいって思ってる仕事を無理してしてほしくなかった。 俺のことをかまう時間を自分に当ててほしかったんだよ。 俺ができちゃったせいで、若い頃からたくさん我慢させてしまったから」 母さんの瞳が大きく揺らいで、俺も雅人の手を強く握った。

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