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天邪鬼
「純也は、男の子だから……」
ぽつりと母さんが呟き顔をあげると、そこにはいつもの笑顔はなかった。
悩んでるように視線を彷徨わせて、手も震えている。
「女の私にはわからないことがたくさんあったの。
父さんがいなくて寂しい思いをさせて、
私が若いから……お水をしてるから、恥ずかしい思いもさせてしまってたと思うし、何が一番よかったのか、今でもわからない」
ちがう。
違うんだよ母さん。
ぐっと唇を噛んで、顔をあげた。
素直に、丁寧に。
もう俺の弱さが、俺の大切な人を傷付けないように慎重に言葉を続けた。
「父さんがいなくて、周りとは少し違って、からかわれたりもしたけど、辛くなかったよ。
動物園とか遊園地とか行けなくても、母さん日曜日の夕方公園につれていってくれて、二人で鬼ごっこしたよね。……すごく、すごく嬉しかったよ」
「純……」
「俺のせいで、若くから働かせてしまって無理をさせちゃったよね。それでも母さんは強いからいつも俺のために笑っていてくれたでしょ。……自分のために笑ってほしい」
そうだ、寂しくない。
もう寂しさから卑屈な言葉を母さんを止めようとなんてしない。
だって、俺にはもう居場所があるから。
「違うの純也!」
母さんが今までの聞いたことない声を張り上げる。
びくっと母さんを見ると、その大きな目からポロポロと涙を流した。
「母さんは……弱いの。あなたが、強くしてくれたの。すごくすごく弱くて、純也ができて男にも捨てられて、不安でしかたなかったけど……純也の顔を見て初めて大切なものが出来たの。純也が、母さんを強くしてくれたんだよ」
「……母さ……」
「保育園も、小学校も、親の職業を書かなきゃいけなくて、学歴も職歴もなくて恥ずかしかったのは、純也がいたせいじゃない。恥ずかしいことだっていったのは、同じ道を歩んでほしくなかったから。私は、純也がいてくれるだけで幸せだったけど、純也には他の子が当たり前に持っているもの何も与えられなくて悲しい思いばかりさせてしまったから……っ」
あの日の、辛い思い出が思い浮かぶ。
母さんの仕事は恥ずかしいことなの?って聞いて、そうだと言った母さんは寂しそうに笑った。
俺は休みの日までぐったりなるくらい俺のために働いてくれる母さんを、そうは思ってなかったけれど、その言葉が、俺がいたせいで嫌なことを無理してしてると思ったから。
俺のせいで、不幸にしてしまったと悲しかったのに、あの言葉の真意は俺への愛情だったのだと今さら気付いた。
悲しかった記憶が、優しいものへと温度を変えて行く。
俺の瞳からも涙がポロっとこぼれ落ちた。
そんなことなかったよって言いたかったのに、涙が邪魔して声が出ない。
「似た者親子ですね」
ふって笑って雅人が俺の頭を撫でる。
「あ、すみません!先生の前でお恥ずかしいところを……っ」
わたわたと母さんが涙を手で拭う。
「いいえ、微笑ましいです」
雅人の穏やかな声に確かに安心してる自分がいる。
「し、進路の話でしたよね!すみません。私は中卒であまりいいアドバイスはできないので、純也のなりたいものを尊重します」
ああ、そうだ。進路をどうするかって話だった。
ふて腐れてばかりで全然考えてなかった。
「俺、まだ全然なりたいものも決まってないから、バイトしながら大学に進んでみたいって思うんだけど……」
母さんの負担にならないだろうか、と恐る恐る言ってみると、母さんはぱっと嬉しそうに明るい表示ようになった。
「素敵!母さん、大学って全然想像つかないの。キャンパスライフとかその単語しか知らないくらい!どんな感じなのか通い出したら教えてよ」
俺の話を満面の笑顔を聞いてくれるとこ、全然変わってない。
そっか。
やっぱり俺が突き放してだけだったんだ。
「うん」
「あと、バイトはやめて。母さんのためだって思って学校生活を一番に楽しんでね」
「いや、それだと……」
母さんの負担になるじゃん。俺もバイトくらいするってば!と声を張りそうになってしまいぐっと堪えた。
こう言うとき、多分、ルリなら。
「ありがとう。でも、友達もバイトしてて、すごく楽しそうだから、経験してみたいんだ」
うん、こっちの言葉の方がずっといい。
母さんも穏やかに笑ってわかったと言ってくれた。
「なんかすごく変わったね、純也。先生のおかげかな?」
そう言われて、ふと雅人を見る。
あの狭い部屋に一人で閉じ籠ってた時も、母さんやルリに八つ当たりしたときも、優しく手まねくように温かいところへ連れ出してくれる雅人の存在は大きかった。
雅人がいなかったらルリにも会わなかったし、母さんともこうして和解できなかっただろう。
「うん。多分、この人のおかげ」
一呼吸おいて、雅人の手をぎゅっと握った。
「今、俺この人と付き合ってるんだ」
「へ!?」
「ん!?」
雅人と母さんが同時に固まる。
でも、俺は清々しく笑って見せた。
「今度は本当だよ、母さん。俺はもう大丈夫だからね」
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