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温泉

リチェールside やばいやばいやばい! あれは本気で怒ってた。歴代1位かもしれない。 今までに比べて起こした問題は大したことじゃないって油断してた。 例えばシンヤのこととか、久瀬先生のこととか父さんのこととか、不可抗力だったから甘やかしてもらえた分で、今回は完全に故意に千の心配を無視したんだから、怒るのは無理ないのかもしれない。 そんなことに気付くのが、怒らせたあとなんて。 長い廊下を全速力で走り抜け、死角になってる小さな角を見つけ乱れた浴衣を整えた。 「はぁ……っはぁ……っ」 お風呂上がりだからくらくらしてきた。 どうしよう。 許してくれるまで戻らないって子供みたいなこと言って逃げてきちゃった。 「……くそ、難しいな……」 息を整えながら浴衣の着崩れを直そうと帯を解いた。 一度見て覚えたつもりだったけど、焦って中々うまく結べない。 前がどうしてもだらけちゃって仕方なく適当に帯をくくった。 「あー、だめだめ。それじゃまたすぐ解けちゃうよ」 後ろから包まれるように帯を結ぶ手がだれかに重ねられる。 「えっ」 後ろから知らない人に距離を詰められ、びくっと体が一瞬強張ってしまう。 「外国人には難しいでしょ。やってあげるからじっとしてて」 振り向くと縦にも横にも大きい20前半くらいの眼鏡をかけた男の人が優しく声をかけてくれた。 目が合うと、大きなお兄さんは一瞬固まった。 なに? 「あのー……?」 「あ、いや、男物の浴衣着てるってことは男の子……だよね?」 「はい。男ですよー」 「かわいいね。手、広げててね」 「え?あの、大丈夫です」 「いいから。やってあげる」 オレも純ちゃんのネクタイとか結び直してあげるとき自分目線じゃなきゃうまく結べないからこの体制になるのもわかるけど、ちょっと苦手だなぁ。 ……なんて、厚意でしてもらっててそんなこと言えないけど。 「すごくいい匂いするね……お風呂上がり?」 ふぅーふぅーと荒い鼻息が耳元で聞こえ、ぞわっと鳥肌が立つ。 「あ、ですね……ここの大浴場よかったですよ」 なんとか笑って答える。 ……てか、これ万が一にも千に見られたらヤバイだろ。 気付いた瞬間、さっと血の気が引く。 早く逃げなきゃ。 もしかしたら放置されてるかもしれないけど、追いかけてきてるなら本気でヤバイ。 「あ、あの、オレ、友達待たせてるんでもう大丈夫です」 「あ、暴れちゃだめだよー。乱れちゃった。やり直すからじっとしてて」 「わあっ」 大きなお兄さんは前に回って帯を解き、バッと前を広げた。 男だし見られるくらいいいけど。……いいけど! 「ふふ。いい匂い」 浴衣の両端を引いて体を近付け、すんと匂いを嗅がれぞわっと鳥肌が立った。 「あの、本当に大丈夫ですー」 気まずい中、それでも笑って体を離そうとするけど、中々力が強い。 「いいからいいから。可愛い子がこんな格好でうろうろしてたら危険だし。世の中変態っているんだからねー」 あなたはその部類だと思います、とはっきり言ってやりたい。 でも、本当に厚意でしてくれてるのかもしれないし、オレの自意識過剰だったら申し訳ないし。 あああ、でも、千に見られたらオレ今度こそ愛想尽かされるかも。 「ねー、これ、こんなにぷっくりしてて、浴衣の上からわかっちゃうんじゃない?さらし巻く必要あるかな?」 「あっ」 人差し指で胸の突起をくりっと触れられた瞬間、びくっと反射的に声を漏らしてしまった。 「声も、可愛いね」 そのむちむちした手が伸びてきて、もう限界だと暴れようとした。 「___さわるな」 その瞬間、殺気を纏った低い声に空間が凍りつく。 心臓が冷たい手に捕まれたように畏縮し、頭が真っ白になった。 怖くて振り向けないオレの代わりに振り向いた大きなお兄さんは、青い顔でひっと悲鳴をあげる。 にににに逃げなきゃ。 怖くて動かない体を無理矢理動かしそろーっと右足を動かそうとした瞬間、がしっと左の二の腕を捕まれた。 「ひぎゃあっ」 びくっと、大袈裟すぎるほど体が揺れ、その手に引き寄せられる。 恐る恐る顔をあげると、千は人を二、三人殺してそうな顔で鋭く大きなお兄さんを睨み、無言のままオレを片手で担ぎ上げた。 そのままお兄さんに何か言うこともなく歩き出した千の本気の機嫌の悪さに、これから連れて行かれる先が地獄のような絶望を感じた。 「お、お願いします。見逃してください!本当にごめんなさい!反省してます!」 かなり暴れてるのにびくともしない。 無言でスタスタと人気のない所へと向かう千に焦りばかりが募る。 「や…やだやだやだー!怖い千やだ!放して!温泉入りたかっただけじゃん!ばかー!許してくれるまで好きじゃない!怖いー!」 「……喋るな」 「はい」 やっと喋った低い一言に全身の血が一瞬で間違いなく凍った。 どっから出してんだあの声!こわ!!

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