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温泉

どこに向かうのか、オレを肩に担いだままスタスタと千の足は止まらない。 目をつぶってぐたっと力を抜き死んだフリをしてみても突っ込んでさえくれない。 なんか、すごい寒いんだけど外? でも目は開けない。死んだフリしてるから。 あの、千だよ? 常識人の千が雅人さんや純ちゃんもいる部屋でお仕置きするとは思えないし。 てか、静かすぎない?やっぱ外? 人の声全然聞こえないし。 まさか、こんな旅先で捨てられたりする? ごめんなさい!と声を張り上げて千の首に抱きつこうとした一秒前、ピピッと聞きなれた電子音が聞こえる。 たぶん、これ千の車の後ろの席のドアが自動で開く時の音……? そう理解した瞬間、若干残ってたオレの余裕も一瞬で消え去る。   旅館の夜の駐車場なんて他に誰かいるわけないし、お仕置きにはうってつけの場所だ! 急いで逃げようと頭をあげる。 ゴン!! まさに車の後部座席に乗せられる直前だったらしく、勢いよくあげた後頭部に重たい痛みが走りまたパタンと千の肩に倒れ込んだ。 たぶん、車の入り口の上のところでぶつけた。 やだもう恥ずかしいし痛いし逃げ損ねたし。 「ふはっ」 あまりの痛みになにも言えず頭を押さえてると千がオレをそっとシートにおろし、ぱっと口元を押さえた。 今、笑った? 不幸中の幸い。 すっごい痛くて恥ずかしいけど、この間抜けっぷりにお怒りの魔王も笑ってしまったようだ。 有耶無耶にするなら今しかない。 「いたいよー。頭くわんくわんするー。千頭撫でてー」 起き上がって千の首にぎゅっと抱きつく。 やっぱり笑ってたらしく千は、クックッと喉を鳴らしてオレのぶつけた後頭部を撫でてくれた。 「お前ずるいだろ。わざとぶつけたんじゃないだろうな」 「こんな捨て身なことしないよ!超痛い。たこぶんになっちゃってないー?」 「たこぶん?あー……たんこぶ?いい音してたから、明日は腫れるだろうな」 痛みも段々引いてきたけど、痛い痛いと言い続けて千の胸にぐりぐりと頭を押し付けた。 「はいはい。痛かったな。 まぁ笑いがとれたんだからよかったじゃねぇか」 「そんな芸人魂ありませんー」 いや、笑いにかなり救われたけど。 オレだけシートに座ってドアを開けて立ってる千に抱きつくと、千がオレの体を少し浮かして乗り込んで来た。 ぶつけた所を優しく撫でてくれる手つきにホッとする。 「さて、そろそろ痛みも引いただろ」 そっと呟いた千の一言に、ぎくっと体が強張る。 いや、さっきほど怒ってはないよね? てか今十分オレ痛い目にあったし、チャラにならないの? 「千、まだ怒ってるの?」 恐る恐る尋ねると、千がにこっと爽やかに笑う。 「今の間抜けさで怒りは半減したけど、やっぱムカつくしチャラにはできねぇわ」 優しく撫でてくれる手付きとは裏腹に怖い発言にひくっと顔がひきつった。

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