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元通り
優しいあの人を困らせないように強くならなきゃ。
出会えてよかったと思う。
ほんの少しでも付き合えて幸せだった。
今こんなに痛くても、辛くても大丈夫。
出会えてよかったってそう思いたい。
出会わなければよかったなんて思いたくない。それくらいあの人からは幸せをたくさん貰えたから。
だからせめて困らせないように、付き合う前の元通りのオレにならなければ。
「ねー。駅からずっと見てたけど、いい加減そこから出ておいで」
ふいに聞こえた声にびくっと顔をあげると、よく見えないけど20代半ばくらいの男性が立っていた。
駅からずっと?
「君、うちに今日から入ってきたでしょ?俺、君たちより少し早くあがって駅にいたんだけど。君がキャリーバック持って歩きながら泣いてるから、問題抱えたやつかと思ってついてきたらこんなところ入るし。ここが家?」
少しバカにしたような半笑いで男が中に入ってくる。
スタッフが多くて全員は覚えられなかったけどホテルの人らしい。
「あ、いえ、あの……っ家の人と喧嘩して家出中で……すみません」
草薙さんの紹介で来てるバイト先で、変なやつが来たと思われるわけには行かなくて慌てて立ち上がる。
「ふーん。こんなところにいたらだめだよ。泣き顔見られたくないのはわかるけど、君、良くも悪くも目を引く容姿なんだから」
「すみません……」
「ほら出ておいで」
もう立ち上がってるのに手を差し伸べられ、戸惑いながら手をとった。
そのままぐんっと手を引かれ、暗い路地裏から出された。
明るい街の明かりが彼の顔をハッキリとは照らしお互いの目が合う。
「ちょっとごめんね」
男の人の手がぺたっと胸に当てられる。
「えっと……なんですか?」
「本当に男なんだ?もう一人の方も中性的な顔だけど、君は大分女顔だから男って聞いてても半信半疑だったわ」
「あはは。それ、オレが本当に女の子だったら今の事件ですね」
若干失礼なこと言われてるけど、なんとなくもう慣れた。
人と話すときは、自然と笑えて気持ちを押しこらえることができて楽だ。
「うん。君、事件に巻き込まれそうな顔だから心配」
「お気遣いありがとうございます。もう大丈夫ですから」
笑って会釈をすると、そろそろ離れようとやんわりと放そうとした手をぎゅっと握られた。
「家出中なんじゃないの?」
ドキッとする。さっさとネカフェに入ってしまうべきだった。
「友人の家に泊めて貰えるので大丈夫ですよー」
というかこの人、今日あったばかりの短期のバイトに構いすぎじゃない?
あの高級ホテルのブランドに傷付けるような真似しないから、放っておいてほしい。
その時、ポケットの中のスマホが静かに振動した。
「あ、ちょっとすみません」
声を聞いたら、もう別れたくないって縋って困らせないと誓った心が揺らいでしまいそうで着信拒否にしたのはオレなのに着信の度にドキッとしてしまう。
けれど勿論、千のはずはなく画面にはグレッグ伯父さんの名前が表示されていた。
バイトの前に着信を残していたから折り返してきたんだろう。
時差の関係もあって、早々電話のやり取りはできないから、すみません、とってもいいですか?とことわりをいれる。
手で「どうぞ」とされ、英語だから聞き取れないとは思うけど念のため数歩彼から離れた。
『もしもし』
『着信があったみたいだけど』
グレッグ伯父さんは不機嫌そうな声で思わず身構えてしまう。
イギリスでは18歳から成人だ。
だからあと少しとは言え、今はオレのことを引き取ってくれてるグレッグ伯父さんには千と離れたことを報告するべきだと思った。
『あの、オレ月城さんと離れることになって。お世話になってるグレッグ伯父さんには報告しようと思って連絡しました』
『はぁ?どうする気なんだ?前も言ったけど俺はお前を引き取るつもりなんてないからな』
ズキッと胸がほんの少しだけ痛む。
こんなこと言われたって千がそばにいてくれたから今まではたえられたんだ。
『それは勿論です。グレッグ伯父さんには迷惑をかけないよう18になったらすぐ籍を抜くので』
『今いくつだ?』
『あと数日で18ですから』
『……はぁ、本当お前もお前の親も迷惑しかかけることしか知らない。大体嫌々引き取ることにしたのも月城が全部面倒事はおうって言ったからだ』
だって、もう嫌われてしまったんだもん。
あの時、ハッキリと千の元に戻ることをもっとちゃんと拒否していたらよかったのだろうか。
愚かにも、あの人との愛を信じたいと思ってしまった。
『大体お前は我慢弱いんじゃないか?もっと我慢は必要だぞ。親に抱かれるくらいなんだ。それで生活できてたんだからよかっただろ』
思わずスマホを握る手に汗がにじむ。
なんでそんなこと、今さら言われなきゃいけないんだろう。
『その容姿、迷惑しかかけられないお前ら一家に唯一ある取り柄じゃないか。次引き取ってくれる男なんてすぐ見付かるだろ。父親にそうしてたように股でも開いてろよ。どうせ月城にもそうしてたんだろ?』
ジョークだと、付け足してハハッて、グレッグ伯父さんは笑うけど笑えない。
オレ、そういう風に見られてたんだ。
こんな言葉で一々傷付くことはもうないと思っていたのに、千に全てを委ねて頼りきっていたオレは今、立っているのすら精一杯だった。
『……住む場所とか、身寄りとか、これからどうにかします。決まり次第また追って連絡しますね』
電話を切って、気持ちを整えるためにそっと息をつく。
その時、突然後ろから手を引かれた。
ビクッと振り替えると、いつの間に近付いていたのか、さっきの先輩が顔をしかめて手を引いていた。
「びっくりした……すみません話し込んじゃって」
なんとか笑ってそう言っても、彼の顔は険しいまま口を開いた。
「君、身寄りないなら俺ん家来る?」
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