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タイムラグ

とりあえずそんなことは考えたって仕方ないし、終わった人のことなんてどうでもいい。 現状確認が第一優先だ。 オレが事故当時所持していたと言うキャリーバックの中から教科書を見付けてパラパラと中を見た。 数学とか科学はいいとして、古典が厄介だな。 教科書を1から読んでいくけど、中々進まない。 一年のロスを埋めれるだろうか。 編入試験のために、かなり国語は勉強したつもりだったけど、古典になるともう全く違う言葉に見えてしまう。 このオレが学力不足で進級できないなんて冗談じゃない。 わからないところは教科書やスマホで調べながら集中して問題を解いた。 「むずか、は………いや、なにわ?……がた、みじか、き………あーもー、くっそ、日本語喋れよ……」 「難波潟短き蘆のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや」 「わ…っ」 突然被せてきた声にびくっと顔をあげると、元カレさんが教科書を覗き込んで呆れたように笑っていた。 「まさか一睡もしてないの?」 「え?……え!?もう朝?」 窓からは光が差し込んでいて、時計は9時過ぎを指していた。 いつの間にそんなに時間たってたんだろう。まだ半分も進んでないのに。 「朝食は?」 そういえば、集中してるとき、誰かに話しかけられた気もする。 ちらっと横を見ると、ベットサイドにトレイに乗せられたご飯が置かれていた。 「全然気付かなかった……」  「貧血もってんだからちゃんと食べろ。勉強なら教えてやるから」 なんで? 別にこの人とオレもう何の関わりもないんだよね? 「大丈夫ですよー。オレ、自分のことは自分でできますー」 教科書を閉じて、身の回りのを整える。 朝になったのなら、さっそく家から探さなきゃ。 別れたとは言え、付き合ってたという人と二人きりはさすがに気まずい。 それに昨日、なんで抱き締めてきたかもわからないし。 「あの、オレ退院の手続きしてきます」 「もうしてきた」 「えっ」 しれっと言う元カレさんをびっくりして見る。 他人が退院手続きとか出来るのかよ。すごいな日本。 そう思ったオレの心を読んでか、目の前に英語で書かれたものと、日本語で書かれたもの、二つの書類を見せてきた。 「籍こそまだうつしてないけど、日本では俺一応お前の保護者だから」 「えええー?」 慌ててその書類を見ると、確かにそう書かれてある。 グレッグ伯父さんに引き取られて、さらにこの人に任せたという内容で余計に頭が混乱する。 グレッグ伯父さんってもう何年も会ってない人だし、嫌われてた気がするんだけど。 それより、じゃあ父さんと母さんはどうなったんだ? 長期休みで帰る約束は? ………いや、それはあとで確認すればいいことだ。 取りあえず別れてるのに、この人に負担が残ってることの方が今は問題だ。 「……立て替えてくれてありがとうございます。治療費いくらでした?すぐ伯父と連絡をとってあなたの負担にならないようすぐ対応しますので」 「いい。大した金額じゃない。それに俺はリチェールの身元を手放す気はない」 え、なんで? 書面での手続きしちゃってるから? ………正直、めんどくさいな。 差し出された書類を受け取り、その場でビリビリと破ってベット横のゴミ箱に捨てた。 「こんなものにサインさせてしまったせいで、別れた後も責任感じさせてしまってすみません。 伯父にはオレから伝えておくので、もう大丈夫ですよ。 それと、後々面倒なことにならないためにもお金は受け取ってください」 たしか昨日看護師さんに聞いたら3万8千円くらいだったはずだ。 笑って財布の中から5万取り出すと彼の手に握らせた。 彼はオレが書類を捨てたゴミ箱を一度見て、感情が読み取れない表情のままお金を押し返してきた。 「悪いけど、持ち歩いてる方のそれはコピーなんだわ。 お前のことどうこうしてやろうってやつに失くされたり万一の時のために原本は家。 …まさかリチェールに破り捨てられるとは思わなかったけどな」 無表情なのに、どうして傷付いたように見えるんだろう。 この人からしたら、解放された方がありがたいだろうに。 「そうですか。じゃあそれ捨ててください。あとお金はオレがちゃんとした方が気が楽なだけなので、本当に結構です」 無理矢理握らせて手を離すと、彼から一歩離れる。 「以前はすごく御世話になっていたようで感謝します。でも、オレは1人の方が気楽なので、あとは放っておいてください」 気を遣わなくていいんですよって意味で笑って言ったのに、彼は無表情のまま、手の中のお金を見つめた。 その姿はやっぱり少し寂しそうにも見えて、何故だかチクと胸が痛む。 なんだよ、これ。 やりずらいな。

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